■キリ番 ニアピン8500/赤樹国松様■
小さな英雄 / 3
急に明るい部屋に入り、フリックは思わず目を閉じた。 今まで暗い部屋に押し込まれていたし、部屋に明かりが入ったと思ったらそれは薄暗いランプの明かりだけだったので、思ったよりも目が暗がりに馴染んでしまっていたようだ。 「さて、と。黒髪のほうだったな」 リーダー格の男の確認するような声が耳に入り、フリックはそっと目を開けた。 「うわっ」 なんとか明るさに慣れた視界に飛び込んできたのは、誘拐犯の男に腕をとられ、つんのめるように二、三歩前に足を踏み出したウィンドウの姿だった。 「なにするんだっ!」 思わずフリックも前へ踏み出し、ウィンドウと男の間に割り込もうとした。だが、そのフリックの前に、さっと横から腕が突き出され、反射的に足を止めた。 「勇ましいのもいいことだが、少し大人しくしていてくれないか?」 リーダー格の男が、フリックを見下ろし言ってくるのに、フリックはきっと睨みつける。 ウィンドウへの乱暴な扱いに文句を言おうとして口を開きかけ―――フリックははたと気がついた。ランプの明かりでは暗くて気がつかなかったが―――。 「え…」 目に飛び込んできた色に、フリックはなんといって言いかわからず、男を凝視した。 「……何を驚いているんだ?……ああ、もしかして、」 唖然としているフリックの目の前でくすりと笑ったその男の髪は短い金茶。瞳の色は、青みがかった翠だった―――そう、フリックとよく似た。 男はフリックの髪の毛を梳くように触りながら言った。 「お前、同郷の人間に会うのは初めてなのか?」 「ど、同郷…?」 「違うのか?」 意外そうに男は首を捻った。「そんなはずないだろう」という表情で続ける。 「こんな髪と瞳の色で、北方の出身でないとでも言うのか?」 「俺は―――」 男の言葉に、フリックは「違う」と言いかけて、口をつぐむ。 生粋の’戦士の村’育ちだ、そう言おうとして、思い出してしまったのだ。 (あいつは、違うんだよ) (母親が、北の国出身だからさ―――) (あっちは紋章術が発展してるもんな―――) (だから、フリックの紋章術はすごいんだよ―――) (おれたちとは、違うんだよ―――) 「俺、は―――」 本当に、違うと言えるのか? ウィンドウが怪訝そうにこちらを見ている。黒い瞳で、じっと。 男が意外そうに見下ろしている。青い瞳で、まじまじと。 どちらが自分と似ているかなんて、火を見るより明らかで、何も言えなくなった。 目をそらしたフリックに、男は、「まあ、いいか」と肩をすくめた。 「フリック―――」 ウィンドウの、どこか哀しそうな声に、フリックは頭を振って「ごめん」と呟いた。 何に対しての謝罪か、自分でも良くわかっていなかったのだけれど。 俯いてしまったフリックを無害だと判断したのか、リーダー格の男はとりあえずフリックから目を離し、ウィンドウへと向けた。 「さて、それでは『窓の紋章』の本当の力をお見せしようか」 「……ど、どうやって、見せる気なんだよ」 ウィンドウがどもりながらも男に問い返す。ちらり、とこちらに視線を向けてきているのに気がつき、フリックは頭を一回強く振って顔を上げた。心細そうな表情をしていたウィンドウと視線が合う。ウィンドウの顔が、少しだけほっとしたように見え、フリックは小さく頷いた。 (気にするな。俺は、俺じゃないか) 自分の生まれや外見。そんなことは、今はどうだっていいのだ。 今考えなければいけないこと。それは、この状況からいかにして脱出するか、そのことだけだ。 (気にするのは、こいつらの行動、注意の向いているところ―――それだけだ) 確固たる目的意識を持てば、そのことだけに思考を切り替えることには慣れていた。 その場の状況を即座に認識し、一番よい手段を選び取る。そのためには、余計なことなど考えてはならない。 それができてこそ、一人前の戦士と呼べる。小さい頃からずっとそう教えられてきたし、そうあるべきだとフリック自身も思っていた。 (まずは、少しでも自由にならないと……) 部屋の中にいる人間がすべて自分の前にいて、ウィンドウのほうに目を向けていることを確認してから、フリックは手を戒める縄をゆるめはじめた。隠していたナイフは、さっきウィンドウが取り外してしまっている。部屋を出るときにそれをどうしたかわからないが、とにかく今は、可能な限り手を動かせるようにしたかった。 そんなフリックの行動に気づかず、男はウィンドウに答えていた。 「どうやって?簡単なことだ。実際に、その紋章の力をふるえばいい」 「……だから、どうやって?『窓の紋章』は無いのに」 縄を緩める手をいったん止めて、フリックは男に疑問をぶつけた。少しでも、長く会話を続けたい。そうすれば、チャンスは必ず来る、そう考えてのことだったが、実際男が自信ありげに言う言葉に興味をひかれていたことも否めなかった。 ウィンドウの右手を見れば、紋章が宿っていないことなど一目瞭然だというのに、この男は「紋章を使えばいい」と言う。その自信はどこからきているのだろう。ウィンドウもおそらく同じことを感じているのだろう、どこか不安そうな顔で、男が言葉を続けるのを待っていた。 「紋章がない、か。紋章があれば、問題ないということだろう?」 「ま、まさか、『窓の紋章』を……?そんな、」 うろたえたような声でウィンドウが言うのに、フリックも頷いた。 「……『窓の紋章』は、随分前にどこかに消えたって聞いている。それを、見つけたって言うのか?」 そう問いただすと、男は首を横にふった。 「いや、正確に言えば違うな。見つけたのは、『窓の紋章』そのものではない。『窓の紋章』の欠片…とでも言おうか。紋章片ほど小さなものではなく、かと言って、紋章球として完全ではないもの、まあそんな感じだ」 あいまいな表現で説明した男は、懐から布の包みを取り出した。ぱっと見ただけでひどく上質のものだとわかる布を、丁寧に開いていく。 「これを手に入れたのは、まさに偶然だったが―――捜してみるものだな」 開かれた布の上に載せられていたのは、硝子の欠片―――としか見えない代物だった。 男はそれをそっと指で摘み上げ、部屋の灯りで透かしてみせる。きらきらと虹色の光を放つそれに、フリックもウィンドウも目を奪われた。 「『窓の紋章』を扱える人間は、"戦士の村"にしかいない、と言われているが、実際はハルモニアにもいることを知っていたかな?」 「……なん、だって?」 「特殊な血筋にしか宿らない。それは、まあ間違ってはいないがな。べつに紋章は一つしかないわけじゃないし、同世代で何人もの紋章使いが現れることもあるそうだ。おそらく、’戦士の村’の血筋は、元をたどればハルモニアにあるのかもしれないな。……まあ、そんなことはどうだっていいんだが」 男はそう言って、欠片を持たない手をウィンドウに伸ばした。反射的に身を引こうとしたウィンドウだが、腕を握ったままの誘拐犯の力に押さえつけられ、男の手から逃れることはできなかった。 「まあ、そんなに怯えるな。お前はいずれ『窓の紋章』を受け継ぐのだろう?だったら、これを受け入れてもいいはずだ」 いっそ優しげに微笑む男に、ウィンドウは怯えた表情で首を横に振った。 「い、いやだ…」 なんとかその男の手から逃れようと身をよじったウィンドウの右手首を、男が縄の上からがっしりと握った。 「いた……っ!」 そのまま、捻るようにして手を上に持ち上げる。そして、反対の手で持っていた欠片を、ウィンドウの右の手の甲に押し付けた。 「すべてのはじまりは、『闇』―――」 男が唱え出した言葉を、フリックは知っていた。 それは、球の形をとっている紋章を、身体に宿す時に使う言葉だ。 フリックが右手に雷の紋章を宿した時、それをしてくれた紋章師が使った言葉と同じものだった。 男が欠片と呼ぶものを、ウィンドウの右手に宿そうとしていることは、もはや疑いようもないことだ。 しかし、球でない紋章を宿すことが可能なのか、フリックにはわからなかった。 紋章は、小さな水晶球の状態でこそ人に宿すものであって、それが砕けて小さな破片になってしまったら、武器や防具にしか宿せない。それが、紋章の理だと習った。 確かに男が宿そうとしているものは一般に言われる紋章片ほど小さなものではない。どちらかと言えば、大きさ的には紋章球に近いだろうが―――。 「―――『闇』の涙より生れ落ちた、生まれながらに対立する宿命を背負いし『剣』と『盾』……その身を飾りし27の宝玉―――」 古の神話が元になっているという呪文を唱える男の、ウィンドウの手に欠片を押し付けた掌が、淡い光を放ち始める。 その光が強くなるにつれ、ウィンドウはがたがた震え出した。 「ウィンドウ!?」 その様子に、フリックは思わずウィンドウに駆け寄ろうとした。 「おっと、邪魔するなよ?」 しかし、フリックの左手に立っていた男が、フリックの肩に手をかけ、そのままフリックを下に引きずり倒した。 「っ痛!」 急に床に叩きつけられ、胸骨をしたたかに打ち、一瞬息が止まる。その痛みを堪えて、フリックはすぐに身を起こそうとしたが、がつっと背中に衝撃を受け、再度床に押さえつけられた。なんとか首を捻って男を睨みあげると、フリックの背中に足を乗せて動きを止めた男がにやりと笑った。 それは、さっきフリックが雷の紋章を食らわせた男だった。ぐいっと乗せた足に力を入れられ、息が詰まる。 「大人しく見てるんだな。死にゃしねぇからよ」 「このっ…!」 なんとか男の足をはねのけようと身体を動かすが、大の大人の力を振り解けるほど、フリックには力がなかった。 せめて、手が自由になれば。そう思い、体の下敷きになってしまっている手にかけられた縄から力づくで手首を抜こうとする。 フリックを押さえつけている男は、欠片を宿そうとする男のほうに興味を奪われ、こちらを見ていない。今がチャンスだ。 右腕を無理に捻ると、かっと熱い感触がした。おそらく縄にこすれて手首が裂けたのだろう。じくじくと痛み出す右腕に、それでもフリックは腕を抜こうとするのをやめなかった。 「あっ……ああああああ!」 突然上がったウィンドウの悲鳴に、フリックは顔を上げ、ウィンドウを見た。 淡かった光は、いまや目を射抜きそうなくらい強く輝いている。同時に、キーンとした金属的な音が鳴り始めていた。 「ウィンドウ!」 フリックの呼び声に、ウィンドウがフリックを見た。そして、何かを言おうと、口を必死に動かす。 なんと言おうとしているのか、眉をひそめてその動きに注目していたフリックが、ウィンドウが言いたいことに気がついた時、思わず叫んでいた。 「ば…かやろう!!!」 叫ぶと同時に、フリックは無理矢理右腕を引き抜く。思いのほか、すぽんと抜けた腕を床に叩きつけるようにして、その反動で体を起こした。 「うわっ!?」 フリックの背に足を乗せていた男は、意表を付かれたか、そのフリックの動きに足をすくわれ、床に倒れこむ。背中にかかっていた重さがなくなり、フリックは身軽に跳ね起きた。 ウィンドウは、こう言ったのだ。「逃げて」と。自分に注意が向いている間に、逃げてくれと。 そんな馬鹿なことができるわけない、と声を大にして言いたかった。 さっきウィンドウも言ったではないか。友達が殴られていて、逃げられるか、と。それと同じことだ。 倒れた男が起き上がる前に、部屋の中央に置かれていた粗末な椅子を掴んで、思い切り男に投げつける。ちょうど身を起こそうとした男の頭部にそれは激突し、「ぐえ!」という変な悲鳴をあげて、男は頭から床に倒れこんだ。 フリックはそれを横目に、右手を顔の前に掲げた。縄ですれた手首には酷い擦過傷ができていて、傷口からは血が滲み出してきている。切り傷ではないので、いきなり大量出血することはないだろうが、放っておけば、貧血くらいは起こすかもしれない。 だが、今はその傷を気にしている暇はなかった。ぐっと右の手を握り締め、意識をそこへ集中させる。今夜二度目の紋章に、身体がついていくかは疑問だったが、ナイフ一つない身では、紋章に頼るしかなかった。 男の声に、ウィンドウを押さえていた誘拐犯がフリックが自由になったのに気がついたらしい。ウィンドウから手を離し、フリックのほうへ駆け寄ろうとするのと、フリックが紋章を放つのは、ほぼ同時だった。 「てめぇっ!」 「"雷撃球"!」 狭い部屋の中に出現した雷は、狙い違わず、男を直撃した。男は、その場で昏倒する。しかし、フリックも、強力な紋章を立て続けに使用したせいで、眩暈がした。 しかし、ここで倒れるわけにはいかなかった。 (あと、一人 ―――っ!) リーダー格の男を倒せば、逃げられる。男は、まだウィンドウに紋章を宿す呪文を唱え終わっていない。呪文に集中している男の背後に忍び寄り、攻撃を仕掛けることは簡単だ。 気力を振り絞り、フリックは紋章の直撃を受けて倒れた男の剣帯から剣を鞘ごと外した。 「――― その血に宿りて、力となれ、『窓の紋章』よ!」 しかし、その瞬間、呪文の詠唱が終わった。男の最後の言葉に、びくりとひときわ大きく身体を震わせ、ウィンドウがその場に崩れ落ちる。 「畜生!」 遅かった。舌打ちしてフリックは鞘を投げ捨て、抜き身の剣を正眼に構えた。と同時に、呪文を唱え終わった男がフリックを振り向く。 ウィンドウは、意識は失っていないようだが、左手を床につき、荒い呼吸を繰り返していた。 男は、左手でウィンドウの右手首を掴んだままだった。そのウィンドウの右手の甲には、先ほどまで押さえつけられていた紋章の欠片はない。 そのかわり、くっきりと手の甲に見たことがない紋章が宿っていた。不可思議な虹色の紋章。『窓の紋章』の欠片と同じ色だ。 「……やれやれ、お前、顔に似合わずすごいことするな……」 どこか呆れた口調で男が言うのに、フリックはむっとする。 「……顔に似合わず、ってのは、余計だ」 反射的に言い返すフリックに、くっくっと男は笑って、「まあ、慌てるな」と言った。 「折角、『窓の紋章』が正当なる後継者の手に宿ったんだ。その成果を見てみたくはないか?」 「……とてもじゃなけど、そういう気持ちにはなれない。そんな、ぐったりしてるウィンドウを見たらな」 きつい口調で言い返しても、男は肩をすくめるだけだった。 「なに、大丈夫さ。すぐに済む」 そう言うと、男はウィンドウの手をぐい、と引っ張りあげた。その動きに、ウィンドウは小さくうめく。 「ウィンドウ!」 「ああすまん、少々手荒だったか?」 さして悪いと思っていないような調子で言い、男はウィンドウの右の手のひらを、すぐそばにあるこの小屋唯一の窓硝子に押し当てた。 「さあ、ぼうや。この窓を見てごらん」 優しそうな声で囁かれた言葉に、ウィンドウがのろのろと顔を上げ、背後にある窓に目をやった。フリックもつられて、窓を見る。 窓硝子には、ウィンドウとフリックと男が、橙色の光の中、はっきりと映っていた。その窓に映ったウィンドウと、フリックは目が合う。 少し憔悴した様子のウィンドウは、それでも「大丈夫」というように少しだけ微笑んだ。しかし、その表情が、すぐに歪む。 何事かと、本体のほうのウィンドウに目をやると、窓に押し付けられていた右手から、淡い光が立ち上っていた。 それは、紋章の色と同じ、虹色の煌き。 「ウィンドウ!」 「だ、大丈夫…っ!」 「馬鹿!どこが大丈夫なんだ!」 これ以上は、ウィンドウが危険だ。そう感じて、フリックは構えていた剣の先を下へ向ける。 そして、斬りかかろうと重心を右足から左足にかけた瞬間。 「えっ……?」 視界に飛び込んできた光景に、思わず目を見張って、立ち止まってしまった。 男の背後にある、窓硝子。ウィンドウが手を押し付けられているそこには、先ほどまでフリックとウィンドウと男の三人だけが映っていた。 ランプの橙色のほのかな光の中、その三人だけが映っていたはずだ。 だが、今フリックの目には、全く別の光景が見えていた。 煌々と明るい部屋。ランプの光ではなく、太陽の光が差し込んでいる。そして、その場にいるのは、年のころ二十歳すぎの、男女だった。 「な、なんで…?」 しかも、微笑みながら何か言葉を交わしているその顔は、フリックには馴染みがある顔だった。思わず自分の背後を振り返るが、もちろん誰もいるわけがない。 動揺するフリックに、ウィンドウもまた、窓と、そして部屋の中とをせわしなく見比べる。 「ど…どういう、ことなんだ?」 ただ一人、これが一体何なのかを知る男は、窓を凝視して、肩を震わせていた。 「おお……これだ、これこそが……!」 「これこそが、何なんだ!」 ただひたすら窓を見つめたまま、この事態を説明するでもない男の態度に業を煮やし、フリックは怒鳴りつけるように言った。 「これは一体、何なんだよ!どうして―――、どうして、おれの、」 そこで一度言葉を切り、フリックは再度窓へと視線を向けた。 相変わらず、窓に映る二人はにこやかに話している。その声は聞こえてはこないが、おそらく狩の話でもしているのだろう、男が手に持った野兎を、女が笑って受け取るところだった。 男の笑顔も女の笑顔も、フリックが知っているものよりも多少若いものだったが、見まちがえるはずがなかった。 「―――どうして、おれの両親が、窓に映ってるんだよ!」 その声がまるで聞こえたかのように、硝子に映る女がフリックのほうにくるりと振り向いた。 長い金茶色の髪が、その動きにあわせてふんわりと広がる。そして、向けられた青い瞳。 どう見ても、それはフリックの母親だった―――年は、今よりもずっと若いが。 「ほう、お前の両親か。それはますます、うまくいったようだな」 男はようやくフリックのほうを向いた。その表情は、まるでほしいおもちゃをようやく手に入れることのできた子供のような笑顔だった。 「これこそが、『窓の紋章』の本来の力なのだよ―――」 |
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