■キリ番 ニアピン8500/赤樹国松様■
小さな英雄 / 2
「あなたの髪、私にそっくりになったわね…」 小さい頃はもう少し濃い色だったと思うのだけど、と頭を撫でながら言う母に、フリックは自分の前髪をつまみながら苦笑した。 「そんなの、けっこう前から言われてるよ」 気がつけば元々茶色かった髪の毛は母親と同じ金茶色になっていた。後ろのほうの髪の一部だけに元の色が残っていて、そこだけが父親似である部分だった。 瞳の色も母親の青い瞳と同じ。村の同年代の子供たちと同じだけ陽射しに当たっていても、一向に焼けない白い肌。 小さな村の中では、母親と同様ひどく目立つ容貌だ。 元々この戦士の村は他と比べて閉鎖的な村だ。多くの者が村の中の人間同士で結婚し、子供を産む。 外見は黒髪に黒い瞳が多く、他の色だったとしてもこげ茶や赤といった濃い色が多い。 そんな中、一人の男が、成人の儀式で北の国を旅していた時に知り合った女性を村に連れて帰ってきた。 金茶色の長い髪、澄んだ空色の瞳。そして、白い肌。戦士の村―――いや、この赤月帝国全体でも珍しいほど、北方の血を色濃く感じさせる女性。 それがフリックの母親だった。 旅の途中に知り合った人間を伴侶として連れ帰ること自体はそんなに珍しいことではない。だが、たいていはこの赤月帝国の出身の者が多く、北の国の人間はいままでいなかった。 それもあって、フリックの一家はこの村の中でひどく目立つ一家となったのだ。 「でもさ、髪の色が変わっていてもおれはおれだしね。多少は、めだっちゃうけどさ」 極力明るい声でフリックがそう言えば、母親はしょうがないとでもいうように溜息をついた。 「そうね。外見が違うから、自分とは違う、という人間もなかにはいるけど、あなたはあなたなんだから、髪の色ひとつでとやかく言われても気にしちゃ駄目よ」 その言葉に、ああ母さんは気付いていたんだ、とフリックはこっそり顔をしかめた。 たかが髪の色、瞳の色―――そうとしか言いようがないとフリック自身は思っていたし、おそらく村の人間だってそう思ってくれていただろう……今までは。 昔は、母親が村の外の人間だということで陰口をたたかれることは無かったのだ。 だが最近、特に紋章術の訓練が始まってからは、いろいろと言われるようになった。 (母親が、北の国出身だからさ―――) (あっちは紋章術が発展してるもんな―――) (だから、フリックの紋章術はすごいんだよ―――) たいていの紋章ならば体力が持つ限り使えることが分ってから、言われるようになった言葉。 もちろん、面と向かって言われるわけではない。だけど、そういうことはどこからともなく耳に入ってくる。 いくら頑張っても、周りからは「遺伝」の一言で済まされる。生粋の村の生まれの人間じゃないからこそ、紋章術が長けている、と。 そうじゃないんだ、とフリックは言いたかった。なんで今更、そんなことを言うんだ、とも思った。 時折耳に入る、「特別だから」「違うから」という言葉は、ひどくフリック自身を傷つけたし、母親の誇りも傷つけられている気がしてひどくつらかった。 うなだれてしまったフリックの頭に、優しく母親の手が置かれる。ゆっくりと、一定のリズムで撫でられる感触。 「けれどね、あなたはまだこの村の中の世界しか知らない。外はずっとずっと広いの。そして懐が深いの。外にはあなたの外見なんか気にせずに、あなたの中身を正当に評価してくれる人もたくさんいる。だから、今のこの世界だけがすべてだなんて、決して思わないでね……」 優しく諭すように言う母親の言葉には、説得力があふれていて。フリックはしっかりと頷いた。 何かに揺さぶられている気がする。 そう感じてはいるのだが、体が言うことを聞かない。 「―――ってば。ねえ、フリック、しっかりしてよ!」 揺さぶられつつも誰かに呼ばれている。その声がようやく耳に入ってきた。聞いたことのあるその声は、必死にフリックを呼んでいた。 呼びかけに答えようと、フリックは頑張って瞳を開く。その視界に入ってきたのは、見慣れない粗末な木の天井だった。 「…あれ、」 ここどこだ、と呟きながら体を起こす。何が起こったのか、ときょろきょろ辺りを見回すと、すぐ横に明らかにほっとした顔つきのウィンドウが座り込んでいた。 「大丈夫、フリック?」 その声を聞いて、さっきから呼んでいたのはウィンドウだったのか、とようやくわかった。そして、ウィンドウの顔を見て、何が起こったのかすぐさま思い出した。 「…ああ、そうか、結局つかまったのか」 よくよく見れば、前でそろえられ両手には縄がかけられ、きつく結ばれている。そう呟くフリックに、ウィンドウがすまなそうな顔で「ごめん…」とうなだれる。 「まったくだ。ウィンドウだけでも逃げればよかったのに…」 しょうがないなあ、という顔でフリックが言うと、ウィンドウは顔を上げてフリックをきっと睨んだ。 「逃げられるわけ、ないだろ!友達が殴られててさ!!」 普段は温厚で、いつもマイペースなウィンドウが怒鳴るところをはじめてみて、フリックは驚いた。と同時に、自分がひどく押し付けがましいことをいったことに気付く。 「……そう、だよな。おれでも逃げないや。ごめん、かってなこと、言った」 「い、いいよ。フリックも僕を心配してくれてたんだよね」 頭を下げたフリックに慌てたように、ウィンドウが手を振り、「それよりも、」と切り出した。 「ここから、逃げないとね」 ウィンドウの言葉に、フリックは辺りを見回した。 殺風景な、狭い部屋だった。扉と窓がひとつずつ。ただし、窓には木が打ち付けてあり、その隙間から月の光が差し込んできているので窓とわかる程度だった。 「―――ここ、どのあたりか、わかるか?」 男に殴られ、気絶したままここに運ばれたフリックは、ここがどこだか全く見当がつかない。月の光があるということはまだ夜だろうから、せいぜい一、二時間程度しかたっていないと思う。おそらく、まだ森の中のはずだ。 フリックの言葉に、ウィンドウは首を捻りながら答えた。 「森と外の平原の境目くらいからなあ。ぼく、ここまで来たこと無いからわからないけれど…。たぶん狩猟小屋かなんかだと思うよ」 「狩猟小屋…………そうか、わかった」 ウィンドウの説明に、フリックはこの場所が何処だかすぐさま見当がついた。おそらく平原から入った時、一番近いところにある狩猟小屋のことだ。 フリック自身、何度か父親に連れられ、来たことがある。村から森へ直接入り、森を出る直前に立ち寄るような、小さな部屋が二つあるだけの、休憩場所として用いられる小屋だ。 「ってことは、あいつらは隣か…?でもなんで、こんな小屋で一休みしてるんだ?」 もう少しいけば、森から出られる。森を出てしまえば、村の人間もまずは追ってこれないだろう。 誘拐などという、確実に人に追いかけられるようなことをしておいて、なぜだろう。なぜこんな途中で足を止めるのだろう。 フリックの疑問に、ウィンドウが暗い顔で俯いた。 「―――ここで、引渡しがあるんだって」 ぼそり、と呟かれた言葉の意味がわからず、フリックは首をかしげた。 「引渡し?」 なんの―――と言いかけて、はっとした。誘拐犯が誰かに引き渡すものとしたら―――それは。 「おれたち、だな……」 フリックの言葉にウィンドウは何も言わなかったが、否定をしないのは肯定しているも同然だ。 「まいったな……さっきのやつら、ただの仲介なのか……」 ふぅ、と溜息をついてから、そう言えば、と今までさして疑問に思わなかったことが脳裏に浮かんだ。 「なあ、ウィンドウ、」 まだ暗い表情をしたウィンドウに呼びかけると、彼はのろのろと顔を上げて「なに?」と答えた。 そうとう落ち込んでいるな、と思いながら言葉を続けた。 「そういえば、なんでお前、誘拐されてるんだ?家の中にいたんだよな?」 「う、うん。そうだよ。いつもと同じで、自分の部屋で寝てたんだ。気がついたら森の中で…」 急に話題を変えられ、戸惑った様子でウィンドウが頷いた。その答えに、フリックは「変だな…」と眉をしかめた。 「部屋の中にいた人間をさらうってことは、通りすがりに金目当てでやったとは思えないな…。この小屋で引渡し、ってことは、少なくともこの辺りの地理を知っている人間だってことだよな。とすると…」 「で、でも、このへんって他に村ないし、よく知ってるなんていったら、調べでもしない限り無理じゃ…、ってそうか、」 ようやくフリックが言わんとすることがわかったのか、ウィンドウははっとした顔でフリックを見た。それに、フリックも頷く。 「―――そうだ。どう考えても、これは計画的だと思う」 下調べをした上で引渡し場所を確定し、村に忍び込んで誘拐し、森を抜けて逃げる。 「ただ、わからないのは……あの村の人間だったらだれでもよかったのか、それとも、」 「ぼくが狙いだったのか、だよね……」 「そこがわからないんだよな……」 ふぅ、と溜息をついてフリックは頭をかこうとして、体勢を崩した。手が縛られているのを思い出し、むっとした顔で続ける。 「ウィンドウ、おまえ、誰かに誘拐される心当たりとか、ある?」 「あ、あるって、あのねぇ…。あるほうが、変だろ。普通」 渋い顔をしてそう言うウィンドウに、「確かにな、」とフリックも肩をすくめた。 名うての剣士を輩出すると言われる”戦士の村”は、非常に質素な暮らしを営む素朴な村だ。どこをどう見ても、金目のものがありそうには見えないだろう。下調べをしているとしたら、それくらいはわかっているはずだ。 それでもなお、そこの子供をさらうとしたら、そのメリットはなんだろう?ただ人買いに売るのであれば、わざわざこんな辺鄙な村まで来る必要もない。だったら最初から”戦士の村”の子供狙いか、ウィンドウ狙いとしか思えないのだ。 だが、ウィンドウは生まれてこの方村の外に出たことがない。親戚も皆村の人間なので、村の外の人間がウィンドウを知っている可能性は限りなく低いはずだ。 「わざわざ”戦士の村”に忍び込んで、ウィンドウをさらう理由、か……」 「僕なんかさらっても、身代金なんか払えないよ、きっと」 「そうだよなあ…」 「………いや、べつに、否定してほしかったわけじゃないんだけど……そうもあっさり、肯定されちゃうと、ちょっと…」 少しだけ悲しそうに言うウィンドウの言うことは右から左に流して、フリックは首をかしげた。 「うーん……」 そのとき、ガタン、と隣の部屋で扉が開く音がした。 はっとして、隣の部屋へ続く扉に目をやる。そこが開いたのではなかった。おそらく、外へつながる唯一の扉が開かれた音に違いない。 「フリック…」 心細そうな顔で、ウィンドウが近づいてきた。フリックは扉を見つめたまま、ウィンドウに言った。 「ウィンドウ、おれのブーツの踵、ナイフが仕込んであるんだけど…それってあいつらに取り上げられてたか?」 「ううん、フリックからは短剣しか取り上げてなかったよ。ちょっとまって…見てみるから」 片膝立ちしたフリックの後ろに回り、ウィンドウがブーツの踵を調べ始める。 そんな複雑な構造にはなっていないので、おそらくすぐに手に取れるはずだ。 「頼む。取り出せそうならそれを使って、自分の手の縄をいつでも外せる程度に切れ目を入れとくんだ」 「わかった」 もっと早くに行動に移ればよかった、と後悔しつつ、フリックは扉の向こうに耳を傾けた。 足音からするに、おそらく四人。ウィンドウを誘拐した男たち二人に、引受人二人、といったところだろうか。 ぼそぼそと話し声は聞こえてくるのだが、内容まではわからなかった。ただ、椅子をひく音などが聞こえなかったので、立ったまま話を進めているのだろう。となれば、そんなに長い間話し込むわけではないに違いない。 「ウィンドウ、どうだ?」 ちらり、と背後を振り返り確認すると、ウィンドウはようやくナイフを見つけたところだった。 「だいじょうぶ、あった。フリック、ちょっとだけ踵を浮かせてくれる?」 「わかった」 なるべく取りやすいように、踵を真上に向けるようにする。しばらくごそごそと踵のあたりを触られた後、かちゃり、という金属音が聞こえてきた。 「取れた!」 「よし、じゃあ早く縄を―――っ!」 そのとき、扉の鍵を外す音が聞こえてきた。まずい、と思い、フリックはウィンドウの手元が扉のほうから見えないように身体を動かす。 ウィンドウもその音に気がつき、さっとフリックの背中に隠れ、そっと縄を切り始めた。 がちゃん、という重い音が響き、扉がゆっくりと開かれる。無意識にぐっと顎をひき、フリックはいつでも動ける体勢をとった。 暗い部屋に、ランプの明かりが差し込み、思わずそのまぶしさに、目を細める。 光の中には、三人の影が見えた。その影は、部屋の中にするりと入り込む。 そのうち、ランプを持った人間が、「ほう、」と珍しそうな声をあげた。 「めずらしい毛並みのやつがいるな。こいつがそうなのか?」 低い、男の声だ。フリックは反射的にその声の主を睨みつけた。 「威勢がよさそうだな」 その視線を受け、男はくすくすと笑う。 「そのガキじゃないです。目的のガキは、その後ろの黒髪のほうですよ」 右のほうに立っていた人間が、その男に言った。その声からするに、ウィンドウを担いでいた男のようだった。 「へぇ…。なんだ、隠れてるほうか?おい、後ろにいる子供、」 尊大な調子でその男はフリックの背後に眼をやった。反射的に、フリックはその男の視線からウィンドウを隠すように身体を動かす。 「お前が、あの『窓の紋章』を受け継ぐことのできる人間か?」 その問いかけに、ウィンドウはびくりと肩を震わせた。それが男への答えとなる。 「……そうか。ようやく手に入れられたな……」 「お前、何が目的だ?」 フリックは男を睨みつけながら鋭く言葉を叩きつけた。ウィンドウが縄を切るまでの時間稼ぎ、という目的もあったのだが、それよりもなぜこの男たちがウィンドウを狙ったのか、その真意が知りたかった。 男が言った、『窓の紋章』。あまりにも稀なその紋章の名前を知る人間は、めったにいない。 どんな窓でも思いのままに変化させることができる。そういう技能を『窓の紋章』はもたらす。それゆえ、『窓の紋章』を宿したものは’飾り窓職人’と呼ばれていた。 その呼び名は、世間でよく知られている。’飾り窓職人’は、仕事を依頼されればその場に赴き、その技を披露するからだ。 だが、その職人が紋章を宿しているということは、あまり知られていなかった。 火の紋章や水の紋章のように、紋章屋で出回っているものでもなく、またこの世に27しかない知名度の高い真の紋章でもない。 限られた血筋にのみ宿る紋章。真の紋章とはまた別に、特別な紋章ゆえ、人々はその名を知らないのだ。 『窓の紋章』を宿すことのできる人間が、たまたま’戦士の村’にいた。それがはじまりだ。 代々、希少な紋章を扱えるということで、大切に保護されてきた家系。それが、ウィンドウの家だった。 だが、その「保護」の意味は、貴重な芸術的技巧を絶えさせない、そう言う意味だった。 戦士ではなく、職人。’戦士の村’で生まれ育ったものであれば男女区別なく一度は受ける戦士としての訓練にも参加しないでよい―――というよりも、むしろ参加してはならない、ひどく特殊な存在であった。 代々、一人しか存在しない、’飾り窓職人’。親から子へ、子から孫へと、自ら手放す意志を固めた際に受け継がれていく。 だがしかし、ウィンドウはその紋章を受け継いではいなかった。いや、正確に言えば、現在の’戦士の村’には、『窓の紋章』を宿した人間はいなかった。 なぜならば、十数年前、当時紋章を宿した人間が、紋章を次の世代へ受け渡すことなく急死した際に、なぜか『窓の紋章』が消えうせてしまったのだ。 それ以来、何度となく紋章の捜索隊を出したが、再び見出すことが叶わないまま、現在にいたるのである。 「……自分の家の窓を作ってほしい…なんてことはない、かな……?」 背後でこっそりと呟かれたウィンドウの言葉に、フリックは思い切り脱力感を感じた。思わず後ろを振り返り、眉間にしわを寄せながらウィンドウに言った。 「……それくらいで、誘拐なんかするわけないだろ、普通」 普通に依頼に来れば、よほど無茶なことを言わない限りは仕事を引き受けるのだ。誘拐などという非合法な手段に訴える必要が何処にあるというのだ。 思い切り呆れた表情のフリックに、「そうかもしれないけどさ、」とウィンドウが反論する。 「だって、’飾り窓職人’ができることなんて、それくらいだよ?……まあ、僕はまだ、職人じゃないけど……」 その二人の会話に、くっくっく、という笑い声が割り込んだ。フリックとウィンドウがそろってその声の主を見ると、それは、先ほど問い掛けてきた男だった。 肩を震わせながら、男は笑っていた。手にもったランプが、それにあわせて揺れる。揺れる炎に照らされて、影が踊っているかのように揺れ動いた。 なぜ笑われるのだろう、と二人が不思議に思ったとき、男はぴたり、と笑いを止めた。 「―――呆れたものだな。自らの手の内に取り込んでおきながら、その真なる価値を知らないのか。それとも、まだ幼いから知らされていないのか……」 「―――どういう、意味だよ」 幼い、の一言にカチンときたフリックが、男をねめつける。その視線を軽くいなし、男は「本当に知らないのか?」と再度言った。 「―――自分の好きなように、窓を変化させられる、そういう力が身につくっておれは聞いている」 実際に『窓の紋章』の力が発動された場面を見たことがないフリックは、ウィンドウが祖母から聞いているといって教えてくれたことを、そのまま口にした。ウィンドウも異論があるはずもなく、そのフリックの言葉に頷いた。 紋章を受け継ぐ家系の人間ですらそう聞いているのだ。そのほかになにがあるというのだ?二人の顔にありありとその疑問が表れていたのだろう。 「いいだろう、」 真実を―――男が言う、真実だが―――知っているという優越感からか、そう言って、男は笑った。 「『窓の紋章』の本当の価値を、教えてやろう―――」 |
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