■キリ番 ニアピン8500/赤樹国松様■
小さな英雄 / 1
「夜に一人で外に出ては駄目よ。特に、森には絶対に行っちゃ駄目。約束よ?」 小さい頃から母親に何度もそう言われてきたのに、それでもその約束を破って夜の森を歩いているのには理由がある。 そんな事を考えながら歩いていたら、急に左手の茂みからガサガサッという音が聞こえてきて、フリックは思わずびくりとした。 足と共に息までも止めて、じっとその茂みを見つめる。 ひときわ大きく茂みが揺れたと思ったら、そこから小さな生き物が飛び出してきた。一瞬腰の短剣に手をやりかけたフリックだが、それが小さな野ウサギだと気付き、手を止める。 そんなフリックには目もくれず、野ウサギはそのままフリックの前を横切り、また別の茂みに駆け込んでいった。 「……なんだ、ウサギか……びっくりした」 ふうっ、と止めていた息を吐き出し、額に浮かんでいた汗を拭う。 そして、立ち止まってしまったのをきっかけに、足が疲れてきていることに気がついたフリックは、側にあった大きな切り株に腰かけた。 村のすぐ裏手の森の中を、月明かりだけを頼りに、随分長いこと歩いてきていた為か、普段よりも足が疲れるのが早いように思える。 晧々と光を放つ月を見上げ、フリックはふう、と今度は困ったような溜息をついた。 「……見つからないなあ……どうしよう……」 心底困った声で呟かれた声に答えるものは誰もいなかった。 『あのね、おじいちゃんからもらったかみかざり、森であそんでいるときにおとしちゃったの…。さがしたんだけど、みつからないの。どうしよう、フリック兄ちゃん……』 半分泣きながら、妹分の少女がフリックを頼ってきたのは夕方頃だった。 ちょうどその日の訓練が終わり、家へ帰る途中のフリックを見つけて走り寄ってきた少女は、フリックの手をきゅっと握り、必死な顔で見上げてそう言った。 普段は勝気で、まだ六歳にもならない少女だとは思えないほど口達者な少女の泣き顔を見るのは実に珍しい。 少女の頭を撫でてやりながら、フリックは『絶対見つけてくるから、泣くんじゃない』と即答した。 その言葉に安心した少女を家まで送ってやり、フリック自身もすぐに家へ戻った。 村の裏手にある森は、子供たちの格好の遊び場になっている。しかし、奥へ進むと鬱蒼としており、また、村からだいぶ離れた平原に出口がつながっている為、大人たちは「あまり奥まで行かないように」と口うるさく注意している。 特に夜はどんな獣や、はたまた野党などが潜んでいるともしれないので、決して森にはいらないように言われている。 過去に何度か夜の森にこっそり遊びに行き、そのまま行方知れずになった子供がいたからだ、ということを聞いたことはあるが、実際はどうなのかフリックは知らなかった。 だが、幼い少女が遊んでいて落としたというくらいだ。そんな奥までは行っていないだろう、と思ったフリックは、母親の用意した夕ご飯を食べた後、自室へ戻り、ベッドに入ったふりをしてこっそり窓から家を抜け出した。 明日まで待って、日が高くなってから探してもよかった。だが、少しでも早く、できれば朝起きると同時くらいに髪飾りを見つけて、少女の手に戻してやりたかったのだ。少女に、いつもの笑顔が戻るように。 「…あんなに泣くテンガなんて、みたくないからな」 そう呟き、フリックは「よしっ、」と腰を上げた。少女の泣き顔を思い出し、こんなのんびりとしている場合じゃないと気合を入れる。 「それにしても、こんなところまで来てもまだ見つからないっていうのもな……どこにいったんだろう」 だいぶ奥まで来ていることに、少し前から気付いていた。それでも少女の髪飾りは見つからなかった。 一度だけ、見せてもらったことのある髪飾りを脳裏に思い浮かべて、フリックは首をかしげた。小さな花の細工がついた、金の髪飾りだ。 今晩は月の光もあるから、落ちていればその光を反射して、見つかりやすいはずである。 「……鳥がくわえて、持っていったとか、かな?」 この森には大型の鳥が多い。光物が好きな鳥もいるので、ありえない話ではないだろう。そうなると、鳥の巣に運ばれている可能性も出てくる。 「木にも登ってみるか……」 とりあえずあたりを見回し、枝の隙間から鳥の巣が見える木を見つける。登りやすそうな枝に手をかけ、ひょいと体を持ち上げ、上まで登ってみた。 大きな巣ではあったが、すでにその住人はいないらしい。念のため、中を掻き混ぜてみるが、やはりそれらしきものはなかった。 「まあ、いきなりみつかるなんてことはないよな……あれ?」 巣の中を捜すのを諦め、ひょいと顔を上げたフリックは、その代わりといっては何だが別なものを見つけた―――というか、目に入ってきたというか。 村のほうから走ってくる人影が見えたのだ。 「こんな時間に誰だろう……もしかして、おれがいないのが母さんにばれたかな?」 ベッドが空なのを見つけた母親が心配して探しにきたのだろうか、と一瞬思ったが、すぐにそれは違うということに気がついた。 近づいてきたので、顔立ちがなんとなくだが見えてきたのだ。二人組の男で、少なくとも、フリックは見かけたことがない顔だった。 生まれてこの方十五年、一度も見たことがない顔であれば間違いなく村の住人ではないだろう。 しかも、後ろを走る男の肩には、人間が担がれていたのだ。 そのあまりにも怪しい光景に、フリックはただ事ではないと思い、目を細めてその担がれた人間が誰であるかを見極めようとした。 だんだんこちらのほうへ近づいてくるにつれ、その姿が見えてくる。 肩に担がれていたのは、フリックとそう年がかわらなそうな少年だった。後ろ手に縛られ、どこかぐったりした様子だ。 顔が男の背中側にあるため、なかなか見えなかったが、ちょうどフリックの登っている木の下を走り抜ける際に、ちらりとその横顔が見えた。 「ウィンドウ!」 その顔に見覚えのあったフリックは、小さな声で叫んだ。 同じ村に住む、ひとつ年下の少年だった。フリックの住む村の中で、ひどく特殊な血筋に生まれついてしまったために、村に住む子供なら参加することが義務付けられている戦士としての訓練にも参加できない少年だ。 そのため、日がな一日訓練を行っている子供たちとなかなか接点がもてず、なんとなく敬遠されがちであった。 もっと幼い頃、拾った猫の育て方がわからず困っていたフリックは、たまたまウィンドウと遭遇し、話す機会があった。 本を読むのが好きで、フリックの知らないことを知っているウィンドウと話すのは、非常に楽しく、フリックはそれ以来、暇があるときにウィンドウの家へ遊びに行ったりもしている。 その友達が、どうみても誘拐されているとしか思えない状況にあるのを見て取り、フリックはすくっと木の上で立ち上がった。 右手を顔の前でぎゅっと握り、瞳を閉じる。意識をその拳に集中させると、右手の甲が淡い緑色の光を放ちはじめた。右手に宿した雷の紋章が、フリックの魔力に反応しているのだ。パリパリと放電し始めた右手をぐっと握り締め、フリックは目を見開き、標的を見定めてその手を振り下ろした。 「”雷撃球”!」 右手から放たれた鋭い雷が、狙い違わず二人組のうち、前を走る男の背中に直撃した。雷を受けた男は、走る勢いのまま前のめりに倒れこむ。 ウィンドウを担いだほうの男は、それに慌てた様子で立ち止まり、あたりを見回した。おそらく、紋章を放った人間を探そうとしているのだろう。 フリックは見つかる前に、と躊躇せず、木の上から飛び降りた。ざっと足音を立てて着地すると、さすがにその音に気付いたのか男がこちらを振り向く。 隙を見せずにすぐに立ち上がり、短剣を鞘から抜いて構えた。普段訓練で使っている長剣でないのが少し心もとないが、そんなそぶりを見せずに男に言い放った。 「その子供を放せ!」 フリックを見て、驚いた表情をしていた男はその一言に、苦笑いをした。 「なんでぇ。まだガキじゃねぇか。怪我しねぇうちに、とっととうちにかえんな」 小馬鹿にした口調にフリックはむっとしたが、子ども扱いされて甘く見られているのならば好都合、とばかりに無言で地面を蹴った。 男が腰の剣に手をかけるよりも早く懐にもぐりこみ、その喉もとにぴたりと剣を押し当てる。 さすがに男は口をつぐみ、視線を下げてその剣を見下ろした。 「―――ガキのくせに、なかなかやるな。お前も”戦士の村”のガキか……」 「いいから、そいつを下ろせ」 一瞬たりとて男の目から視線を放さずに、フリックはできる限り低い声で言った。 表情には出していなかったが、フリックは少しだけ焦っていた。相手が二人、いるからだ。 いくら紋章の直撃を受けたといっても、ずっと気絶しているわけではないだろう。一方、ウィンドはその目を開ける気配が全くなかった。 ウィンドウが目を覚ましてくれない限り、どうしようもないのだ。 フリックよりひとつ年下だが、背丈はウィンドウの方がある為、背負っていくのも難しいし、なにより両手がふさがれる状態になったら、この目の前の男にたやすく倒されてしまうだろう事は火を見るよりもあきらかだった。 男もそれには気付いているだろうが、剣を突きつけられているのでとりあえず、と言った感じで肩に担いでいた少年を地面に下ろした。 「ウィンドウ!目を覚ませよ!!」 本当は、体をゆするなり頬を張るなりしたほうが効果的であるとわかってはいたのだが、この状況では声をかけることしかできない。 男から目を離さずにフリックは声をかけるが、地面にうつ伏せたままの少年はぴくりともしなかった。 「…しょうがないな、」 ふう、と溜息をつき、フリックは思い切り足を伸ばして、ウィンドウの頭を蹴り飛ばした。 「いてっ!」 さすがに今度のは効果があったようだ。ウィンドウはうめき声を上げながらようやく目を開けた。 今がどんな状況か把握していないらしく、呑気に「おはよう…」とか言ってくるウィンドウに、フリックは「周りを見ろって、ウィンドウ!」と注意を促す。 寝ぼけた眼で辺りを見回すこと数十秒。 「―――あ、あれあれ?ここ、どこなんだ?っていうか、どうして僕は縛られてるわけ??しかもなんか頭痛いし…」 「お前なぁ…もう、いいから、とにかくこっちに来いよ、ウィンドウ」 頭が痛くなってきた、と思いつつ、フリックは空いている手でウィンドウを手招きした。 足は縛られていなかったので、立ち上がってフリックの側に走りよってくるウィンドウに、怪我らしきものがないことを確認し、ほっと一息つく。 「―――ウィンドウ、お前、手縛られてるけど、とりあえず走れるみたいだな」 「う、うん。大丈夫だよ。それよりフリック、これは一体―――」 事情が飲み込めない表情で、ウィンドウはフリックに訊ねたが、フリックとてはっきりと状況がわかっているわけではなかった。 「たぶん、お前誘拐されたんじゃないかって思うんだけど」 「ゆ、誘拐!?」 驚愕して悲鳴のような声を上げるウィンドウに「落ち着けって、」とフリックは言った。 「とりあえず、ウィンドウは村に戻って、誰でもいいから大人にこの状況を説明して、ここまで来てもらってくれないか?」 本当は、一刻も早く誰かを呼んできてもらいたかったのだが、ウィンドウを落ち着かせる為にも、自分自身は落ち着いた素振りを見せないと、と極力ゆっくりと言った。 「え、でも、そうしたらフリックは、」 「二人そろって背中を向けるわけにはいかないだろ」 どうするんだ、と言いかけたウィンドウを遮りそう言うと、ウィンドウははっとした顔でフリックを見た。そろそろ状況が飲み込めてきたのだろう、何か言おうと口を開きかけたが、何も言わずに頷いた。 「……がんばってなるべく早めに呼んでくる。無理はしないでね、フリック」 「たのむ」 短く答えを返すと、ウィンドウはくるりと踵を返し、走り出した。それを横目で見、フリックはほっと一息ついた。 その一瞬だった。 それまで剣を突きつけられ、大人しくしていた男がフリックの腕をぐっと握りしめてきたのだ。 「なっ、」 手を押さえ込まれ、ぴくりとも動かせなくなる。しまった、と思って男を睨みつけたが、男は余裕の表情でフリックを見下ろしていた。 「やっぱり、まだガキだな。ちょっとばかり、ツメが甘いぜ」 「うあっ!」 ぐいっ、と腕を無理な方向へ捻られ、思わずうめき声を上げる。それに気付いたか、背後から聞こえていた足音がぴたり、と止まる。 「フリック!」 ウィンドウが呼ぶ声に、あの馬鹿、とフリックは思い、振り返った。驚愕して立ちすくんでいるウィンドウに叫ぶ。 「いいから行けっ、ウィンドウ!」 その瞬間、首筋に鈍い衝撃が走る。殴られたんだ、と思った時にはすでに意識が薄れ始めていった。 「フリック!」 再度、ウィンドウの呼ぶ声。 いいから逃げろ。そう言うつもりで口を開いたが、フリックの意識はそこで途切れた。 |
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