■キリ番 ニアピン3500/新堂周様■

BAD and BEST PARTNER / 7



「…驚いたな、」
目の前に聳え立つものを見上げて、フリックは呟いた。
「これが……"古より風吹く洞にて眠る白銀の龍"…なのか?」
風の洞窟の、おそらく最奥になるのだろう。天井の高い空洞がぽっかりと口をあけている。
その空洞の、入り口の真正面。洞窟の最奥の壁に、それはあった。
フリックは慎重に奥の壁へと歩み寄る。そして、そっと手を伸ばして壁に触れた。
ごつごつとした岩肌に、びっしりと苔が生えている。手を壁につけたまま、フリックは上を見上げた。
フリックの頭上二メートルほどの壁の部分から大きな岩の塊が突き出している。
それは龍の頭だった。石になった。
発光苔によってぼんやりと照らされている岩壁と同化してしまっている龍に、フリックは嘆息した。
「……これで、どうやって髭を取れって言うんだよな……」
確かに髭らしきものは見えるのだが―――今や石になってしまっている髭だ。たとえあれを切り落として持ち帰ったとしても、使えないのではないだろうか。
「まあ、とりあえずあれだけでも持ってくか……」
ユーリと約束した時間は、残り少ない。ここでぐずぐずして心配をかけたくもなかった。
「もうひとつの約束のほうは、果たせてないけどな……」
ユーリが、あったら拾ってきてほしい、と言っていた青水晶。今までの道には落ちていなかった。
『拾ってくるだけでいいんだな?』
『ええ。それで……それだけでいいの』
そう言ったときのユーリの表情を見れば、それがユーリにとって大切なものなのだろうということはたやすく想像がつく。できれば探し出したかったのだが、どこにあるのか限定ができないのでは、探しようがなかった。
「とりあえず今回は、髭だけってことで…一度外に出てから、もう一回入りなおして探せばいいか……」
よし、と決めて、フリックは腰に佩いた剣の柄に、そっと右手を乗せた。そして、左足を半歩後ろに下げ、左手を軽く広げて、居合抜きの構えを取る。
瞳を閉じ、意識を集中させた。だが―――
「妙だな…この場所。へんに魔力が集中している……?」
剣に意識を集中させたつもりが、なぜか右手の紋章に魔力が集中するのを感じ、フリックは瞳を閉じたまま呟いた。頭を一振りし、改めて剣のほうに意識を集中させる。
そして瞳を開き、ねらいの場所へ視線を向けた。
気合一閃、剣を抜こうとした瞬間。
「なんだ…っ!?」
不可思議な気配を背後に感じて、フリックは思わず後ろを振り返った。
今まで感じなかった新しい魔力の気配が何もない空間の一点に集中する。そしてその点を中心に、空間がぐにゃりと歪んだ。
「これは―――テレポート魔法?」
先の戦いの中で、仲間として共に戦っていたテレポート魔法使いの少女が起こす現象とよく似ていることに気が付き、フリックは呟いた。
何が出てくるのかわからないので、剣を抜き、右手で構えてその歪みから一歩離れる。同時に右手に宿した雷鳴の紋章に意識を集中させ、いつでも紋章を放てる状態に保った。
じっと見据えるフリックの視界の先で、歪みがさらに大きくなり。そして。
「だああああっ!」
聞きなれた声に、フリックは引き締めた気を一瞬にして霧散させた。
悲鳴と共に空間の歪みから現れたのは、抜き身の剣を持った相棒だった。
「だっ!!!」
どすん、と重量を感じさせる地響きを立てて、その男が落下する。
「だーっっ!だからもっと丁寧に下ろせないのかよっ、お前はっっ!」
腰を打ったのか、さすりながら抗議する男の声に、右手の剣が溜息をついた。
『学習能力がないのか、お前は……』
「うるせぇ!つーか、お前には思いやりとか気配りとかはないのかっ!」
『熊に使う気など持ち合わせておらんわ』
「なんだとーっっっ!」
このまま放っておくとどこまでも口喧嘩が続くことを知っているフリックは、はあっと盛大な溜息をつく。そして、抜いていた剣を腰に戻し、いまだ腰を落としたまま剣と喧嘩する男に近づいた。
「喧嘩は後にしろ、後に!」
そう言って、フリックは無造作に男の後頭部に拳骨を落とした。
「いてっ!畜生、何する―――、………あれ??」
唸りながら背後を振り返った男は、視界に入る見慣れた色に目を見張った。
「あれ?フリック??」
「よお、ビクトール。思ったより早かったな」
手を軽く上げてそう言うフリックに、ビクトールは慌てて立ち上がった。
「お、おお。星辰剣にちょっと裏業を使ってもらったんだ……フリックのいるところにわざわざ飛ばしてくれるとは、結構やるじゃねぇか、旦那も」
たまにはいいことするなあ、と剣に語りかけるビクトールに、「調子のいいやつ……」とフリックはこっそり呟いた。
急に持ち上げるようなビクトールの発言に、星辰剣もフリックと同様の感想を持ったらしい。呆れたような溜息をついている。だが口にしたのは別の言葉だった。
『……確かに、青雷の元に連れてゆけと言うから、強い魔力が在る場所に跳ぶようにしたが……どちらかというとこの場所の魔力の強さのほうにひかれたようだな』
星辰剣の言葉に、「なんだそりゃ?」とビクトールは首をかしげる。だが、フリックは先ほど感じたこの場にわだかまる魔力を感じ取っていたので、星辰剣の言葉にぴくりと反応した。そのフリックの様子に気がついたのか、星辰剣が笑う。
『さすが、鈍感な熊と違ってお主はこの場の変わった魔力に気が付いているようだな』
星辰剣の言葉に、ビクトールは苦虫を潰したような顔をする。魔力云々を言われてしまうと、どうにもならないことがよくわかっているので、反論もできないようだ。
「ああ、なんだかわからないが、強い紋章でも使ったのか……ひどく、魔力が空間に残ってる」
未だ右手をうずかせる力に、眉をひそめながらフリックは星辰剣に答えた。先ほど、何が起こっても対処できるように、と魔力を溜めたのが、力を抜いたにもかかわらず未だに右手にまとわりついているのだ。
その右手を握ったり開いたりしながら、「それよりも、」とフリックはビクトールを見た。
「早いな、本当に。そっちは無事に鱗を手に入れられたのか?」
フリックの言葉に、ビクトールはにやりと笑った。
「おうよ。ばっちりだぜ。ユーリにちゃんと渡してきたぜ。後は龍の髭だけどよ―――」
言葉を切り、ビクトールはフリックの肩越しに、壁面にはりついた石の龍を見上げた。
「………どうするよ?」
問い掛けられ、フリックも背後を振り返りながら答える。
「とりあえず石になっていても龍の髭にはかわりがないだろう。だから、一応あれを切り落として持って帰ってみようかと思ってる。ユーリに見てもらわないことにはわからないからな……」
フリックの言葉に、ビクトールは頷いた。そして五歩ほど後ろに下がりながら肩をすくめた。
「任せるぜ?」
「おう」
短く答えを返し、フリックは再度壁に向かって立つ。そして、瞳を閉じ、先ほどと同じ構えを取った。
ふうっとひとつ大きな深呼吸。そして、瞳を開けるや否や、右手で剣を抜き放つ。
小さな澄んだ音がきこえたと思った瞬間、フリックはその剣を腰の鞘に戻していた。
フリックの背後で腕を組み、壁に寄りかかってその光景を眺めていたビクトールでも、抜いた瞬間と戻した時しかはっきりと視ることができなかった。それほどの、早業。
「…さっすが、腕は落ちてねぇな……」
それどころか、ますます冴えている気さえする。腕を上へ差し伸べ、自分の剣圧で叩ききった石の欠片を受け止める相棒を見ながら、ビクトールは思わず口笛を吹いた。
力に優れた自分とは違い、スピードと技に優れたフリックの腕前のすごさを、また改めて認識させられた気がする。こんな人間に、相棒として認められ、なんのためらいもなく背中を預けてもらえるようになった自分を誉めてやりたくなる瞬間でもあり、そんな相棒に失望されないような剣士でいなければいけないと自戒する瞬間でもあり。時折脳裏に浮かぶ二律背反な想いが心に浮かび、ビクトールは苦笑した。
「これだから、気が抜けねぇんだよな……」
「なにが気が抜けないだって?」
落ちてきた髭を無事に手に収め、それが壊れていないことを確認していたフリックはわずかに聞こえてきたビクトールの独り言に後ろを振り向いた。
その表情は、たった今凄腕を見せ付けてくれた剣士にしてはひどくやさしげな顔で、そのギャップにビクトールは思わず吹き出しそうになった。
「?なんだよ、お前。ぶつぶつ言ったと思ったらいきなり笑い出して―――」
「いや、わりぃわりぃ。思い出し笑い。気にすんな。で、そっちはばっちりなのか?」
話を無理矢理そらしたビクトールを咎めることなく、フリックは手にそっと持っていたものをビクトールに見せた。
「………ほんとにコレでいいのかよ…?」
どこをどう見てもただの細い石の塊にしか見えないものを指でつつきながらビクトールが言う。
「しょうがないだろ。これしか考えられないし…。石化した原因を取り除ければいいんだけどな……」
フリックも、正直困ったという顔をしている。「やっぱりナマじゃないとな…」とよく分らないコメントを加えて溜息をついた。
「とりあえず、戻るか」
しかし、ここでいつまでもうだうだ悩んでいても仕方がない、と割り切ったのか、フリックはその髭を袋に入れて腰に下げた。
フリックの言葉にビクトールも頷き、来た道を戻ろうと踵を返し―――
『マ、テ……』
不意に響いてきた声に、足を止めた。ビクトールの斜め後ろに立っていたフリックは振り返りながら既に腰の剣に手をやっていた。
「誰だ!」
誰何するフリックの声が、狭い空間に響く。ビクトールも油断なく辺りを見回しながらフリックの背後に背中合わせに立つ。
『…オ主ノ…腕ヲ、ミコンデ、頼ミガ、アル……』
辺りをうかがう二人の視界には人影は見当たらない。というよりも、人間もしくはモンスターの気配はどこにもなかった。だがたったひとつ気配があるというのならば、とビクトールはちらり、と背後の相棒に目をやった。
「……おい、フリック、なんとなくだけどよ……」
歯切れの悪い話し方をするビクトールに、フリックも頷いた。
「ああ。お前の言いたいことは、分る……」
そして二人一斉に、奥の壁を振り仰いだ。壁に同化してしまっている、龍の顔を見上げる。
先ほどまで、何の変哲もない石像と化した龍の眼の部分が、今や淡い白い光を放っていた。
「……この龍が、喋ってるのか…?」
嘘だろ、という顔でフリックは呟いた。ビクトールも驚きの目で、目の前の光景を見ていた。
『剣士ヨ……ワシノ、身体ヲ、一部ナリデモ傷ツケルコトノデキタ、オ主ニシカ頼メナイコトダ……』
驚いている二人にかまうことなく、石化した龍は淡々と言葉をつづる。
「俺、に頼みか―――?」
驚きながらも、相手に殺意や敵愾心がないことを敏感に感じ取ったフリックは、剣から手を離して龍を見上げながら言った。
『ソウ、ダ……。オ主ノソノ剣デ……ワシヲ、コノ場カラ解キ放ッテホシイノダ…』
「解き放つ―――?どういう意味だ、そりゃ。お前を蘇らせろってことか?」
龍の言葉に、ビクトールは眉をひそめた。フリックが眉間に皺を寄せ、「そんなことできるわけないだろ…」とぼやく。
『違ウ…。ワシノ身体ヲ打チ砕キ、ワシヲ永久ノ眠リニツカセテホシイノダ……』
「打ち砕けって……いいのか?」
龍の言わんとする内容に、フリックは眉をひそめた。それはこの世からの抹消を望む言葉だったからだ。
『スデニコノ身ハ、死ニオオワレテイル……偶然ノ、魔力ノ絡ミガウンダ、悲劇ニ彩ラレタ、哀シミニ満チタ死ニ…』
どこか寂しげに響くその龍の声に、ビクトールは思わず問い返した。
「一体全体、ここで何があったんだ?」
その問いかけに、龍は一瞬安心したような吐息をついたように、フリックは感じた。自分の罪を、死ぬ直前に誰かに打ち明けることで、死後にまで嘘と罪を持っていかないようにする人間のような、そんな表情を見たような気がした。
『ソノ昔…コノ地ニ生キルワシヲ探シニキタ、人間ガイタ……。人間ハ、ワシヲ見ト、オソラクハ喰ワレルトデモオモッタノダロウ……石化ノ魔力ヲ秘メタ札ヲ、ナゲツケテキタ……。ダガ、ソレガ、暴発シタ…』
「暴発?」
『ソウダ…。ソノ人間ハ、己ガナゲツケタ札ノ魔力ニヒキズラレ、ワシノ身体ニトリコマレ……ソシテ、』
「そして……この場でお前さんと一緒に石と化した……」
そう言って、ビクトールは唸った。なんとなく、その人間が誰だか、分ってしまったような気がする。
「まさかと思うが―――、いや、」
大人しく話を聞いていたフリックが何か言いかけて、口をつぐむ。そして、首を横にふった。
「それで、俺はさっきみたいに力任せにお前を吹き飛ばせばいいのか?」
「お、おい、フリック……」
いきなり龍の頼みごとを引き受ける発言をぶちかましたフリックについていけずに、ビクトールは「本気か?」と言った。
「こいつぶっ飛ばすには―――ちっとばかし、でかすぎやしねぇか?」
なにせ、優に三メートルは超える石の壁だ。先ほど髭を切り落としたのとは訳が違う。
「なんだ、ビクトール。珍しく慎重だなあ」
フリックはすでにやる気なのか、右腕の手袋を外しながらにっこりと笑った。
とてもこれから荒事をしでかそうとしている男とは思えないすがすがしい笑顔に、ビクトールは一瞬口篭もり、そして何をするのか気づいて思わず一歩後ずさった。
「お前、いつの間にそんなめちゃくちゃ物騒なことを平気でしでかそうとするようになったんだよ……」
「国境破りで牢屋に放りこまれるよりも、死の砂漠と呼ばれる場所をこっそり通り抜けようと考える奴に、物騒とか言われたくないぞ?」
くすくす笑いながら言うフリックに、ビクトールは天を仰いだ。
「畜生。いつの間にそんなぶち抜けた性格になってるんだよ、お前……」
「そりゃお前、一緒につるんでる奴の影響に決まってるだろ?」
さらりと可愛くない言葉を返すフリックに、ビクトールは諦めたように肩をすくめた。
「……はいはい。俺のせいですよ。畜生。お手伝いさせていただきますよ」
「よろしい。……じゃあ、いいか?」
ビクトールに鷹揚に頷いてから、フリックは龍を見上げて言った。
『頼ムゾ……』
その一言と共に、瞳に宿っていた光が消えていく。それが完全に消えるのを待ってから、フリックはビクトールを振り返った。
「星辰剣」
その腰に佩かれた剣に声をかける。フリックの声に、剣が振動し、呆れたような溜息を吐き出した。
『だから、どうしてそうお前たちは人使いが荒いかの……』
そのぼやきに、フリックは苦笑した。
「悪いな。でも、ただとはいわないから」
『ほう……では労働報酬として、私は何をもらえるのか?』
「俺の魔力、でどうだ?」
真顔でそんな提案をするフリックに、ビクトールは驚いて叫んだ。
「ち、ちょっと待て、フリック!本気か!!?」
「本気だ。別に魔力をやるって言ったって、全部をやるわけじゃないんだぞ?」
「いやまあ、そうだけどよ……」
でもだからって…とぼやくビクトールに反して、珍しく星辰剣は上機嫌な声で言った。
『……いいだろう。お主のその潔さは心地よい。それに、お主の魔力ならば少しもらうだけでしばらくは持ちそうだしのう……』
「よし。交渉成立だな。じゃあ、とりあえず俺たちの周りと、あと外にいるユーリと馬たちのガードは任せたぞ」
ひさしぶりに全力でいくから、と言うフリックに、すでにビクトールは何を言っても無駄だと悟り、星辰剣を抜き放った。
フリックは、壁の近くに立ち、右手を掲げる。
その手の甲に宿る"雷鳴の紋章"を見据えて、すっと息を吸い込む。
少し離れてたつ「魔力ゼロ」と言われるビクトールですら感じ取れるほどの強い力が、フリックの右手に凝縮されていくのが分る。
『…この、魔力がわだかまる場所だからできる大技だな……。もちろん、あやつ魔力の強さもあるが……』
珍しく誉めるような言葉を口にした星辰剣に、ビクトールはにやりと笑った。
「なんだかんだ言って、お前フリックのこと気に入ってるよなー」
『……あやつを気に入っているのではなく、あやつの魔力を気に入っていると言ってくれ』
ビクトールの言葉に、星辰剣はどこか不貞腐れたように言う。
「はいはい」
あまり正直でない星辰剣の言葉に、ビクトールは適当に言葉を返した。
そうこう言っている間に、フリックの右手に集中した魔力がバチバチと火花を散らしながらまとわりついていく。
「いくぞ、ビクトール、星辰剣!」
「おうよ!」
『しょうがないな…』
フリックの声に、二人が声を返す。それを背中で受け止めて、フリックはくすりと笑った。
「……頼りにしてるからな、二人とも」
そう言って、フリックは右手で解放を待ち望んで暴れそうになっている魔力を解き放った。
「"天雷"!!!!」


ズゥゥゥン…という地響きがして、ユーリははっと腰を浮かせた。
すぐ側にいた馬たちも、不安そうに嘶く。
「大丈夫よ。おちついて…」
その馬たちの鬣を撫でてやりながら、ユーリは不安そうに背後を振り返った。
「え……?」
その視界の先、洞窟の入り口のずっと上のほうに、今までなかったはずの穴がぽっかりとできていたからだ。
「なに、どういうこと……?」
穴から白い砂埃が舞い上がっている。しかし、その中にちらりとここ数日間で見慣れた綺麗な蒼い色が見えたような気がして、ユーリは目を凝らした。
「フリックさん…?」
だがその呟きが上まで聞こえるわけもなく、ユーリははらはらしながら上を見つめていた。
そして、その視界に、ぬっと人影が現れる。
「ビクトールさん!!」
間違いない、ビクトールの姿にユーリは思いっきり声を張り上げた。こっちに気が付くように、一生懸命手を振る。
その声が聞こえたのか、穴のへりにかがみこんでいたビクトールが、ふと視線を下にやった。
そしてユーリに気づいたのかにやりと笑い、手を振り返してくる。
「よかったあ…無事で……」
ユーリも一生懸命腕を振りながら、ビクトールを見守っていると、なにやらかがんでいたビクトールが立ち上がった。その肩には、ぐったりとしたフリックが担がれている。
「やだ、フリックさん、どうしたのよっっ!」
遠目でも分るほど蒼白な顔をしたフリックを視界に捕らえ、ユーリは叫んだ。


「おーおー。お嬢ちゃん、元気だぜ。怪我ひとつなさそうだ」
穴から下を見下ろしていたビクトールは、そう言って肩を貸している相棒の顔を見た。
「そう、か―――よかった……」
息も絶え絶えにそう言うフリックは、少しも眼をあけようとしない。口を開くのさえも億劫そうだ。
「馬鹿かお前。魔力使いすぎだ」
ビクトールは呆れてそう言うが、フリックは反論せずに苦笑した。
そんなフリックの様子を見てから、ビクトールは下を見下ろした。洞窟の入り口の真上。真直ぐ切り立った壁にぽっかりと開いた穴の縁ぎりぎりまで足を進めてみると―――思ったほど、高くはなかった。
「ま。無理じゃねぇだろ」
そう言ってひとつ頷くと、担いでいたフリックを横抱きにして抱えなおした。
すでにその扱いに抗議する力もないのか、フリックは抵抗もせずにぐったりとしている。
「じゃあ、ちょっくら衝撃くるかもしんねぇけど。我慢しろよ?」
何が、とフリックが問い返す間もなく、ビクトールは潔くその穴から身を躍らせた。


「えっ、うそ、本気!!?」
いきなり穴から飛び出したビクトールに、地上にいたユーリはひどく驚いた。
六、七メートルは優にある場所から、男一人担いで飛び降りるなど、思わなかったからだ。
垂直に切り立った壁は、飛び降りる際に障害にならないとはいえ無謀である。
驚き立ちすくむユーリの前に、「どわっ!」とわめきながらも ビクトールは足からしっかり着地した。
「う、おおおおお、しびれる…っっ!」
しかし、その衝撃は殺しきれなかったようで、足から脳天にかけて突き抜けていく痺れを、歯を食いしばって堪えている。
「だ、だいじょう、ぶ…?」
おそるおそる声をかけるユーリに、まだ痺れを堪えているビクトールに代わってその腕の中から降り立ったフリックが、疲れた顔をしながらもにっこり笑った。
「大丈夫だよ。……ほら、約束の、龍の髭」
そう言って、腰に下げていた袋をポーンとユーリに放った。
慌ててそれを手で受け止め、ユーリは袋の口をそっとあける。
なかには瑞々しい黒い髭が一本、少し丸まって入っていた。
「龍の、髭……」
それを取り出し、ユーリが陽に透かして見ると、フリックは一瞬ひどく驚いた顔をして、そして苦笑した。
「最後に、おまけ、してくれたようだな…」
そんな呟きを残し、フリックはその場に崩れ落ちた。
「ちょ、フリックさん!!」
ユーリの叫び声を聞きながら、「大丈夫」と呟いて。
「何が大丈夫なのよっ、フリックさん!!」
倒れたフリックに駆け寄り、膝をついたユーリはそっとフリックの体に触れた。
とりあえず、きちんと呼吸をしていることを確認してほっとする。
「しばらく寝かせておいてやってくれ。魔力を使いすぎて疲れちまってるだけだからよ」
ようやく痺れが収まったビクトールがユーリの側まで寄って来て言う。
「魔力…?あ、もしかしてさっきの爆発?」
「そう。それ。あいつの紋章さ」
ビクトールの言葉に、ユーリは驚いた顔をした。
「……もしかして、近道を作るために壁を壊したの?」
あまりのコメントに、思わずビクトールはがっくりきてしまう。
「俺たちが、そんなに力づくで行こうとすると思ってんのかよ…」
「うーん…ちょっとだけ、そう思ってる」
ずばりと言うユーリに、「とほほ…」と情けない顔をしてビクトールは天を仰いだ。
そんな様子のビクトールに頓着する様子もなく、「それで、」とユーリは促した。
「いったい、何があったの?」
首を傾げて見上げてくるユーリに、ビクトールは表情を改めてその肩に手を置いた。
「ユーリ、あのな、」
今までになく真面目な表情を見せるビクトールに、ユーリも自然と真顔になる。
「……なに?」
「お前に、話さなきゃならないことがある。辛い事かもしれねぇけど…聞けるか?」
ビクトールの言葉に、一瞬ユーリは顔を強張らせた。だが、こっくりと頷く。
「…ちゃんと、聞かせてほしい。私に関係することなら」
気丈にそう言うユーリに、ビクトールは口元をほころばせた。
「そうだな…こいつが起きるまで、茶でも飲みながら話そうか…」
肩に担いだフリックの背中をポンと軽く叩き、ビクトールはユーリに笑いかけた。


 

last update 2000/12/18