■キリ番 350/涼様■

い つ か 夕 日 を 見 に 行 こ う / 2



今日も朝から天気がよくて、とても清々しい一日。
ここしばらくの間、ハイランドの動きはなく、珍しくここ同盟軍本拠地も、ほのぼのとした空気に包まれていた。
おりしも今は新緑の季節。
今日は特に用事もなく、「暇だから相手しろよ〜」と言う相棒もリーダーの交易のお供に連れて行かれたので、一日ゆっくり過ごせる……と考えていたら。
「フリックさーん、どこー?」
聞きなれた声が聞こえてきた。
「そうか、アイツがいるのか…」
せっかくの休みの日まで追いかけまわされたくない。
フリックは、まず見つからないだろうと思われるお気に入りの場所にいくため、外に向かった。


爽やかな風が、緑の香りと、花の香りを運んでくる。
店が建ち並ぶ通りをのんびりと歩きながら、この本拠地で暮らしている人々が「こんにちは」、と笑顔で声をかけてきてくれるのに同じように笑顔を返しつつ、フリックは「今が戦争中だってこと、忘れそうなくらい、のどかさだよな」と呟いた。
「あーっ、フリック兄ちゃんだーっ!」
「本当だ!」
「こんにちはー!!」
前から走ってきた子供たちが、フリックを見てはしゃいだ声を上げる。
「よう、みんな元気そうだな」
にっこり笑ってそう言うと、「もちろん!」という元気な答えが返ってくる。
「じゃあねっ!」
などと言って、子供たちは手を振ってから再びどこかへ走って行く。
「あーあ、そのうち転ぶぞ?」
くすくす笑いながら、フリックは呟いた。
この本拠地は、戦時下にありながらも、子供が笑って過ごせるような場所だ。
ほとんど本拠地の側で戦闘が起らない、ということもあるだろうが、それよりなにより、この本拠地の雰囲気は、盟主の性格によるものだろう。
同盟軍盟主であるフェイは、どんなに大変な時にでもおっとりした態度を崩すことがない。その年に似合わぬ落ち着きぶりが、時に悲しく思えることもあるのだが、人々に安堵感を与えていることは否めない。また、義姉のナナミが、どんな状況においても常に元気よく振る舞っていることも、無視できない要素だ。
他にも色々な人がそれぞれ自分のできることを精一杯行って生活しているこの空間だからこそ、この雰囲気が出来上がっているのだろう。
「俺は、なにかできているのかな…」
相棒の熊のように、いるだけで人々を安心させられるような包容力は持っていないし、元マチルダ騎士団赤騎士団長のように、人に好印象を与えるような人当たりのよさを持っているわけでもない。
戦場においては、それなりに自分の価値というものを認識できるが、こうして日常生活の中に立って考えてみると、自分は何ができているのだろう、とふと自問してしまう。
そんな事を考えながら、本拠地の奥、図書館裏の池のほとりにたどり着いた。
そのすぐ横に立っている大きな樹の上。そこがフリックのお気に入りの場所の一つだった。
同じようにお気に入りの場所に屋上があるが、あそこは人の出入りが皆無ではない上、最近よくニナがやってくるのでいまいち落ち着けない。
それに比べ、この樹は葉が生い茂っているので、上の方に行くと、まず外から見えない。
誰にも邪魔されず、一人でぼんやりとしたい時には、非常に適した場所なのである。
太い枝を張り出した樹の幹を軽く叩き、フリックは手慣れた様子で登った。ちょうど樹の真ん中ほどに、非常に座りやすい枝があるのだ。そこに腰掛け、幹に寄りかかる。そして、目を閉じた。
木の葉がさやさやと揺れる音、子供の笑い声、訓練中の兵士の声……様々な音が、よりはっきりと耳に飛び込んでくる。
―――こうしていると、なんだか落ち着くよな……
ちょうどいい陽気ということもあり、フリックは欠伸を一つして、本格的に昼寝の体勢に入った。


ぼんやりとした取り止めもない夢の中に、不意に子供の元気の良い声が響いた。
ちょうど、この樹の下にいるらしい。はきはきとした―――だが、どこか緊張したような声で、「こんにちは!」と挨拶している。
この本拠地の子供は、みんな礼儀はしっかりしているよな。
目を閉じたまま、そんな事を考えていたフリックの耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。
「こんにちは」
その声に、ぱちりと目を見開く。
座っている枝から体を下に乗り出し、葉の隙間から下を垣間見る。
そこから見慣れた青い騎士服がちらりと見えた。
「…やっぱりマイクロトフだよな。珍しいなあ、こんな所に……?」
マイクロトフの表情は見えなかったが、ちょうどこちらを向いていた子供の表情だけがはっきりとわかった。
おそらく、挨拶を返してもらえてうれしいのだろう、赤い頬をして目をきらきらさせながら笑い、子供は走り出していった。
「人気者だな、マイクロトフ」
誰に対しても真面目な態度を崩さない元青騎士団長を尊敬している子供は結構多いのだ。本人はそれを分かっていないのだろうけれど。
フリックも、どちらかといえば自分が真面目な人間の部類に入っているとは思うが、マイクロトフには到底かなわない。
かなわないというか…もう少し、肩の力を抜いてもいいのではないだろうか、と時折思うこともある。
「ああ、でも、カミューと合わせるとちょうどいいんだろうなぁ」
力の抜き方のうまい相棒がいるから、マイクロトフもうまくやっていけるのだろう…そう、自分とビクトールみたいに。
そう思った瞬間、フリックは顔を顰めて呟いた。
「いや、あいつの場合はカミューと違うな、もっとちゃらんぽらんなんだ」
あれのいい加減さにどれだけ俺が苦労したか…、となんとなく砦時代を思い出していると、樹の下にいたマイクロトフがふっと視線を池にやるのに気がついた。そしてそのまま、じっと池を見つめている。
「…?どうしたんだ?」
フリックも、葉の隙間からマイクロトフが見ている方向へ目をやるが―――水鳥が二羽、仲良さそうに泳いでいるのが目に入るだけ。
「―――なにそんなに真剣な顔して、水鳥を見てるんだ?」
思わず疑問に思い、フリックは樹の上から下に向かって話しかけた。
「え…っ?」
だが、マイクロトフは、その声が何処から聞こえたのかわからなかったらしい。
後ろをぱっと振り返り、そしてあたりをきょろきょろ見回している。声の発生源を捜そうとしているのだろうマイクロトフの、どこか慌てた様子に、フリックは笑ってしまった。
その笑い声で、ようやく声の主が樹の上にいると気がついたらしい。マイクロトフはばっと頭上を見上げてきた。
驚いた顔のまま、半信半疑な様子で、「……フリックさん?」と呼びかけてくる。
その用心深い呼びかけに、フリックは苦笑しながらマイクロトフから見えるところまで降りていった。
樹の一番下の太い枝―――マイクロトフの頭二つほど上の枝まで降り、そこにすとんと腰掛けた。
「よっ」
軽く手を上げて挨拶すると、マイクロトフは顔に少し笑みを浮かべて会釈してきた。
あいかわらず律義なやつ、とフリックは思った。
「珍しいな、マイクロトフ。こんなところでぼんやりしてるなんて」
首をかしげながらフリックが言うと、マイクロトフはフリックの下に歩み寄りながら苦笑して言った。
「フリックさんこそ、そんな樹の上で……」
「ああ、俺?昼寝」
間髪入れずにフリックがそう答えると、マイクロトフは目を見開いて驚いた顔をする。
「昼…って、危なくないですか!?そんなところで…」
フリックが「樹の上で昼寝」と言うと、たいていの人がしてくる質問と同じ事を言うマイクロトフに、肩を竦めて言った。
「樹の上とか屋上とか。空に近い所、好きなんだよ、俺。なんだか落ち着いてさ。ここもお気に入りの場所の一つ」
足を軽くぶらぶらさせながら言うと、何故かマイクロトフはくすりと笑った。
「……なんだよ、マイクロトフ。そんなに笑うことかぁ?」
高いところにいると落ち着く、と言った自分を子供っぽく思っているのだろう、とフリックは考え、少し拗ねた表情でくすくす笑っているマイクロトフを睨む。
そんなフリックの表情に、マイクロトフは少し慌てて首を横に振った。
「い、いえ。おかしいとかそういうわけじゃなくて……」
言葉とは裏腹に笑ってしまっている顔を何とか普段の真面目な顔に戻そうと努力しているマイクロトフを見ていたら、フリックも何だか微笑ましくなって笑ってしまった。
マイクロトフは、普段、どちらかと言えば真面目な表情を崩すことがなく、大勢でいる時などは笑い顔をあまり見せない。
直情的で、熱くなりやすい性格だから、怒っている姿―――主にカミューに対してだが―――はよく見かけるのだが、くつろいだ表情というのはあまりしないように感じる。
しかし、こんなふうに一対一で接している時や、小人数の集まりの中では、時折このような笑顔を浮かべることがある。
そういう真面目で不器用な青年の、肩の力を抜いた笑顔は年よりもずっと若く見え、フリックはなんだか微笑ましい気持ちになるのだ。
「お前も上がってこいよ、マイクロトフ。……それとも、お前、木登りできない?」
思わず、もっと感情を表した顔を見たい、と思い、フリックはわざと軽い挑発をしてみる。
思った通り、マイクロトフは少し力強く「そんなことないですよ」と反論して、樹の幹に歩み寄ってきた。
その長身を生かし、上の方の窪みに手をかけて体を持ち上げ、そのままひょいっとフリックの座る枝に登ってくる。
その腕の力に感心しつつも、樹の登り方のツボを抑えたその動きに、フリックは驚きを隠さない顔で言った。
「へぇ…意外。木登り慣れてるな、マイクロトフ」
すると、マイクロトフは少し照れたようにフリックに笑いかけ、そして何かを思い出すような遠い目をした。
「実家に、とても登りやすい樹があったんです。枝振りも見事で…」
実家ということは、ロックアックスか。そんな事を考えながら、マイクロトフの話に軽く相づちを打つ。
「そこに登って、その上から夕日を見るのが―――」
不意に言葉を切り、マイクロトフは苦笑した。
おそらく、「好きでした」、そう言おうとしたのだろうとフリックには思えた。
そして、マイクロトフの、どこか寂しそうなその笑みに、思い出した。
マイクロトフは、故郷と決別してここにいるのだ、ということを。
恐らく何よりも誇りにしていたのだろう騎士団団員の証であるエムブレムを床に叩き付けた瞬間を、フリックは知っている。
『命が無駄に費やされるのを、見過ごすとなどできない!』
目の前で失われていく命すら救うことができない自分の立場を潔く斬り捨て、ただ自分の信念を貫きとおすために、今までの名誉をその場に捨て去ったマイクロトフ。
だがその代わりに、自分自身に対する誇りを守り抜いたマイクロトフに、フリックはある意味ひどく感動したのを覚えている。
何処までも真っ直ぐで折れることを知らない精神。だからこそ強くて―――眩しいのだ。
その真っ直ぐさゆえに、おそらく一度捨ててしまった故郷へ戻ることは、苦しみを生んでしまうかもしれない。
しかし、マイクロトフならその苦しみを乗り越え、再び故郷の為に剣を握ることができるようになるだろう。
故郷のためでなく、愛しい人のためにしか戦えなかった自分とは、器が違う、とフリックは思っていた。
だが―――今の状態ではマイクロトフは故郷へ戻ることすらままならない。
へたをしたら、もう二度と戻れない可能性もゼロではないのだ。
それを否定することは、フリックにはできなかった。
「そんなことないさ」と笑って慰めることは簡単だが、マイクロトフに対してそんないい加減な心で言葉を話したくなかった。
だから、フリックは、たった一言だけ、呟いた。
「―――そうか」
特になにも言わずに、真っ直ぐ前を見つめてたまま。
風が葉を揺らす音だけが、そっと聞こえてくる。
だが、フリックにはこの沈黙が苦痛ではなかった。
マイクロトフが自分の心の中の整理をゆっくりとつけられていればいい、とそれだけを考えていた。
しばらくして、マイクロトフが、ふうっと息を吐き出した。
「……すみません、ホームシックでしょうか。なんだか、ロックアックスが懐かしくなってしまいました」
あきらかに作った笑顔だとわかったが、フリックはそれにはなにも言わなかった。
ただひとつだけ。
慰めとかそんなものではないが、自分が思っていることだけを伝えるために、フリックはマイクロトフをじっと見つめて口を開いた。
「マイクロトフ、」
「はい?」
「戦いは、必ず終わる。終わらせるために、俺達は今、戦っているんだ」
そうだろう?と問い掛けるように見ると、マイクロトフはじっとフリックを見返してきた。
その、どこまでも真っ直ぐな黒い瞳に自分の顔が映っているのを目に留めながら、フリックは続けた。
「どんな形で終結するかなんて事は、誰にも分からない。だけど、それが少しでも皆が望む形で終わるように、誰もが戦っている」
もともと利害の対立から生まれた戦いなのだから、全員の望み通りに終わるわけなどない。
それでも。いや、だからこそ、人々は目指すものに少しでも近づけるように足掻き続けるのだ。
そして、戦いを終わらせるために、自分達はそれが最善の方法でないと知りつつも、その手に剣を取り、血を流している。
だから、とフリックは微笑んだ。
「だから、この戦いが終わったら―――お前のお気に入りの場所に、連れていってくれよ?」
「フリックさん―――」
そんな辛い戦いは、必ず終わらせなければならない。
だが、それも命あってのものだ。生きていなければ、何にもならない。
この戦いを終わらせるため、最初から命を捨ててかかるなんていうことは、馬鹿げている。
だからといって、熾烈な戦いの中、命を落とさない保証などは何処にもない。ただ、生きようと強く思っている人間の方が、そう思えない人間よりも、命を大切にすることができる。
だからこそ、生き抜くための約束が必要なのだ。戦いの後の約束を果たすためにも生き延びなければ、という想いがきっと、戦う力になるのだから。
「ええ……約束、します。本当に、素晴らしい眺めなんですから、見なかったらもったいないです」
力強く頷くマイクロトフに、フリックは「ああ、」と、頷き返した。
マイクロトフが、見なければもったいないというほどの景色はどんなに美しいのだろう、と思いながら。
眩い朱金の光を放ちながらゆっくりと沈みゆく太陽というのは、どこまでも鮮やかに輝いていて―――どこかマイクロトフの生き様を彷彿とさせる。
微笑んでいるマイクロトフの右手にそっと手を伸ばし、フリックはぎゅっと握り締めた。
「そうだな。いつか―――いつか、必ず見に行こう。約束だ」
少し驚いた顔をしたマイクロトフだったが、より一層深い笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。
たわいもない約束。
だが、その約束に込められた想い―――「必ず共に生き抜き、ロックアックスへ行こう」という想いは、きっと自分達を強くしてくれるはず。
そう思い、フリックはマイクロトフに微笑んだ。

いつか必ず、その夕日を見に行こう。
「約束」と言って笑ってくれたお前と、煌き輝く街を見るために。

fin...

---> マイクロトフ編

■あとがき■

last update 2000/06/08