■キリ番 350/涼様■
い つ か 夕 日 を 見 に 行 こ う
今日も朝から天気がよくて、とても清々しい一日。 ここしばらくの間、ハイランドの動きはなく、珍しくここ同盟軍本拠地も、ほのぼのとした空気に包まれていた。 おりしも今は新緑の季節。 ちょうどマチルダからついてきてくれた部下達の訓練も終わったことだし、たまには、ゆっくり本拠地内でも散歩をしようと思い、マイクロトフは鍛練場から外に出た。 爽やかな風が、緑の香りと、花の香りを運んでくる。 ―――戦争中だとは思えない、のどかさだな。 子供たちが笑いながら走っていく姿を目にとめ、マイクロトフは微笑んだ。 自分を取り囲む環境に敏感な子供が笑って元気に走り回っていられるのは、この本拠地がたとえ戦争中であっても殺伐とした雰囲気になることがないからだ。 それは、同盟軍盟主が常に笑顔を浮かべて皆に接しているからであり、その義姉が常に元気よく振る舞っているからであり。 他にも色々な人がそれぞれ自分でできることをして、今のこの雰囲気が出来上がっているからだろう。 「俺は、周りを和ませることはできないからな…」 マチルダ騎士団に入団して以来の相棒と異なり、自分が親しみに欠けていることは重々承知している―――あの、笑顔魔神と比較すること事態が、もしかしたら間違っているのかもしれないが。 不意に、物陰から子供が転がり出してきた。 真っ赤な頬をして、息を弾ませながらマイクロトフを目に留めると、「こんにちは!」と元気よく挨拶をする。 「こんにちは」 マイクロトフが挨拶を返すと、子供は嬉しそうな顔をして笑い、また走り出していく。 「元気だな…」 その後ろ姿を見送りながら、なぜか懐かしさを覚え、首をひねった。 そして、不意にそれがなんだったかを思い出した。 あれはロックアックスにいた頃。 よく街の中を見回りしていたマイクロトフに、やはり同じように街の子供たちは元気いっぱいに挨拶をしていってくれていた。 それは、そんな昔のことではないのだけれど。 あの街の子供たちも―――今、あんなふうに笑えているのだろうか? そんなことを考えながら、つい池のほとりで佇んで、水面をじっと見つめていた。 「―――なにそんなに真剣な顔して、水鳥を見てるんだ?」 不意に、声が聞こえ、マイクロトフははっとして後ろを振り返った。 が。誰もいない。 「え…っ?」 あたりをきょろきょろ見回し、声の主を捜そうとしているマイクロトフに、笑い声が降ってきた。 ―――降ってきた? もしかして、とマイクロトフはばっと頭上を見上げた。 池のほとりに立つ大きな樹の張り出した枝が目に入る。濃い緑の葉の陰に隠れて、青い色がちらり、と見えた。 「……フリックさん?」 聞こえてきた声と、青い色。この二つを合わせたら、誰かなどというのは自然と導き出される。 がさがさっという音がして、マイクロトフの位置から見える枝のところまで降りてきたのは―――やはりフリックだった。 「よっ」 一番下の枝に腰掛け、フリックはにっこり笑った。 「珍しいな、マイクロトフ。こんなところでぼんやりしてるなんて」 首をかしげながら言うフリックの下に、マイクロトフは近づきながら苦笑した。 「フリックさんこそ、そんな樹の上で……」 「ああ、俺?昼寝」 「昼…って、危なくないですか!?そんなところで…」 てっきり本でも読んでいたのかと思っていたマイクロトフは、驚いてしまった。 「樹の上とか屋上とか。空に近い所、好きなんだよ、俺。なんだか落ち着いてさ。ここもお気に入りの場所の一つ」 足を軽くぶらぶらさせながら、にこにこと言うフリックの様子は、小さい子が秘密の場所を自慢げに言うのにどこか似ていて、おもわずマイクロトフは笑ってしまった。 「……なんだよ、マイクロトフ。そんなに笑うことかぁ?」 くすくす笑っているマイクロトフに、拗ねた顔をしてフリックがぼやく。 「い、いえ。おかしいとかそういうわけじゃなくて……」 その可愛いらしさががなんだか微笑ましくて、とは言えず、マイクロトフは何とか笑いをおさめた。……まだ目元は笑っていたが。 とても、この彼が、戦場で"青雷"の二つ名で敵に恐れられ、味方の士気を上げることのできる人間と同一人物であるとは、にわかに信じ難い。 戦場を離れたフリックは、この様なひどく無防備な表情を見せることがよくある。 いつも穏やかに微笑んでいて。素直に笑ったり時には怒ったりと表情をよく変えて。 そんな彼を見ている人間に、自然と笑顔を与えられる。フリックとはそういう人だった。 普段は仏頂面で真面目一直線、と言われているマイクロトフでさえ、フリックと話していると自然と笑顔になるのだから、その力は絶大、と言ったところだろう。 「お前も上がってこいよ、マイクロトフ。……それとも、お前、木登りできない?」 いたずらっ子のような顔で言うフリックに、マイクロトフは「そんなことないですよ」と反論して、樹の幹に歩み寄った。 長身を生かし、上の方の窪みに手をかけて体を持ち上げ、そのままひょいっとフリックの座る枝に登った。 「へぇ…意外。木登り慣れてるな、マイクロトフ」 「実家に、とても登りやすい樹があったんです。枝振りも見事で…」 実家の―――ロックアックスの街の西にある屋敷の庭。小さい頃は、よく登って遊んで、庭師に苦笑されていた。 「そこに登って、その上から夕日を見るのが―――」 好きでした。そう言おうとして、言葉を止めた。 騎士団団員の証である炎のエムブレムを床に叩き付けた瞬間から、故郷の街へは二度と戻れないかもしれないと、わかっていたのに。 なぜかロックアックスを赤く染める夕日がひどく懐かしくなって、マイクロトフは目を伏せた。 「―――そうか」 フリックは、静かに頷いただけだった。 特になにも言わずに、真っ直ぐ前を見つめている。 風が葉を揺らす音だけが、そっと聞こえてくる。 その沈黙が、何故か安らげるもので、マイクロトフはふうっと息を吐き出した。 「……すみません、ホームシックでしょうか。なんだか、ロックアックスが懐かしくなってしまいました」 気を使わせてしまったようで、申し訳ないと思い、マイクロトフはなんとか顔に笑みを浮かべる。 だが、そんなマイクロトフに、フリックは逆に笑みを消した真剣な表情を向けた。 「マイクロトフ、」 「はい?」 「戦いは、必ず終わる。終わらせるために、俺達は今、戦っているんだ」 そうだろう?と問い掛ける蒼い瞳は、どこまでも真っ直ぐで。 「どんな形で終結するかなんて事は、誰にも分からない。だけど、それが少しでも皆が望む形で終わるように、誰もが戦っている」 だから、とフリックは微笑んだ。 「だから、この戦いが終わったら―――お前のお気に入りの場所に、連れていってくれよ?」 「フリックさん―――」 強い人だ、と思った。 この世の中の表も裏も知っているだろうに、戦いが何たるかなど、自分よりもずっと知っているのに、それでも信じることを止めない心。 皆が望む形で、終わることなど、ありえないと知っていたとしても、それに近づく努力を惜しまないフリックに、マイクロトフは感動すら覚えていた。 話に聞いたことがある。 フリックは、先のトランでの戦いで、誰よりも何よりも大切な人を失った、と。 それでも、こんな心を持てるこの人が、羨ましくもあり、憧れでもあり、そして―――悲しいほど、強いと思った。 「ええ……約束、します。本当に、素晴らしい眺めなんですから、見なかったらもったいないです」 力強く頷きながら、マイクロトフは思った。 いつか、この人にあの景色を見せたい。 街を赤く染めて沈みゆく太陽は、どこか寂しさも覚えるけれど、また明日、再びその輝きを見せてくれると信じさせるなにかがある。 何度も沈み、何度も蘇る、その力強いまでの輝きが、なぜかフリックの生き様と似ているような気がして、マイクロトフは微笑んだ。 その微笑みに、フリックはそっとマイクロトフの右手に手を伸ばし、ぎゅっと握り締めた。 「そうだな。いつか―――いつか、必ず見に行こう。約束だ」 一見すると、たわいもない約束。 だが、その約束に込められた想い―――「必ず、ロックアックスへ帰れる」と励ましてくれている心を感じさせるその言葉に答えるように、マイクロトフは力強く頷いた。 いつか必ず、あの夕日を見に行こう。 空が好きだと言ったこの人と、暮れなずむ街を見るために。 fin... |
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■あとがき■ |