■キリ番 9999/シメサバ様■
寄 る な 触 る な こ の 俺 に
「ふっ、ふざけるな!なんで、俺がそんなことしなくちゃならないんだ!」 冗談にもほどがある、という思いでフリックはそう叫んで机を叩いた。 その音と声の大きさに、思わず横に立っていたフェイが耳を抑える。 顔を真っ赤にして叫んだフリックに少しだけ眉をひそめたシュウは、フリックの問いに一言で答えた。 「適任だからだ」 あまりにもあっさりと言われたので、フリックは一瞬反応が遅れた。その少しの間に、シュウは「いいか、フリック、」と再度同じ言葉を繰り返す。 「これは緊急かつ重要な仕事だ。そして、かなりの危険を伴う。迅速に対応できるのは、お前しかいない」 「だ、だからって何も別に、俺じゃなくたって………、いや、仕事がいやとかそういうのじゃなくてだなあ、」 理路整然と軍師に言われてしまうと、反論しづらい。それでもフリックはなんとかシュウに反論しようと頑張った。 シュウの言う仕事とは、現在ハイランド皇国勢力下にあるリューベの村にいる同盟軍の諜報員と接触し、調査結果を受け取るというものだった。 通常は複数いる諜報員のうち誰か一人が同盟軍本拠地まで届けているのだが、今回は人手がどうしても足りないので受け取りにきてほしいという知らせが来たのである。 別に、その仕事がいやなわけではない。危険な場所へ赴くことなどしょっちゅうだし、街への潜入もよくやっている。仕事内容的には引き受けることはやぶさかではないのだが。 「変装していけばいいだけのことだろう?」 ハイランド軍にばれなければなんら問題がないではないか、と言いつのるフリックに、シュウは冷たい視線を向けた。 「お前が一人で動き回るだけならばそれでも構わないが、今回は村にいる諜報員と接触しなければならない。リューベは大きな街ではない。小さな村だ。見知らぬ人間がいたら、すぐにわかってしまう。万が一にも、諜報員がばれるような危険は冒せない」 「だったら、別に俺じゃなくてカスミでもいいじゃないか!」 隠密行動専門家に頼めば問題ないだろう。そう言うと。 「カスミには今、ティントのほうを調べにいってもらっている」 シュウの言葉に、フリックはがっくりと肩を落とした。その時、二人のやりとりに口がはさめずただ見ていたフェイが、口を開いた。 「フリックさん、危険な仕事と分かっていてお願いするのは心苦しいのですけれど―――でも、フリックさんにしかお願いできないんです」 心底申し訳なさそうな瞳でじっと見つめられてそう言われると、ごねている自分がひどく子供っぽいような気がしてきて、フリックは反射的に「わかった」と言いそうになった。だが、「ここで流されては駄目だ!」と心を鬼にする。 「別に俺でなくとも問題ないだろう。変装して街に潜入することができて、あんまり目立たないように行動できるやつならさ」 なんとか他の誰かにこの仕事を振ろうとする魂胆が見え見えな言葉を口にするフリックに、シュウの眉間に皺が寄った。 「何人かは挙げられるが、その中でもリューベの辺りをよく知っている人間となるとお前かビクトールかに限られてしまうだろう」 シュウの言い分はもっともだった。 ミューズの傭兵隊を率いていた時、その砦はリューベの南にあった。フリックもビクトールも、あのあたり一帯は庭といってもいいくらいに知り尽くしている。 「じゃあ、ビクトールでも構わないじゃないか!あいつ、確か今暇な筈だぞ!」 ビクトールもああ見えて、潜入活動は得意だ。それに頑丈だし、剣の腕も申し分ない。今朝も「ヒマだー」と呑気にだらだらしていたから、別に問題ないはずだ。 これならばシュウも無理には頼まないだろう、という希望が見えて元気にフリックがそう言うと、「それはだめです!」と思わぬところからストップがかかる。 部屋の片隅に静かに控えていたアップルだった。その瞳は、戦場に赴く戦士のように真剣で、フリック達は口をつぐんで彼女の言葉を待った。 「いいですか、フリックさん、」 ぎゅっと握り拳を作って、アップルはフリックに詰め寄った。その勢いに押され、思わずフリックは一歩後ろへ下がる。 「ビクトールさんを女装させたら、公害です!けれどフリックさんならば全っ然問題ないどころか喜ぶ人が多いこと請け合いです!」 「ああああああのなあっ、アイツが女装したら公害ってのはわかるけど、後半はなんだ後半はっ!」 「だってそうだったじゃないですか。実績は無視できませんよ?」 「うっ………し、しかし、しかしっ!女装はもう嫌だぁっっっっ」 アップルの勢いに負けそうになりながらも、フリックはそう叫んだ。 ――――要するに、「婚約者の身を案じてラダト(もしくはサウスウィンドウ)からはるばるリューベまでやってきた健気な女性」を村人として生活する諜報員に接触させるというのが、今回の任務の内容だったのだ。 かつてサウスウィンドウがハイランドの手に落ちた時、そこから脱出する為にフリックは女装をしたことがあった。もちろん、本人は大反対したが、その時共にいたレオナとリィナ、そしてアップルに説得―――というか脅迫されて泣く泣くしたのだ。 それをもう一度しろと言うのか。それはあまりにも情けない。そう思うフリックは間違っていないだろう。 しかし、アップルは容赦なかった。 「ああもうっ!仕事は仕事と割り切ればいいでしょう!!ほら、急いだ方がいいんだからとやかく言わずに来なさいっ!」 そう言って、フリックの腕を取る。これでは、前回と同じ展開になってしまう。ぎょっとしてフリックはその腕を振り解こうと腕に力を入れた。その時、ばたんと勢いよくシュウの部屋の扉が開かれる。 「さあいくよっ!」 腕まくりをして先頭に立って入ってきたのはレオナだった。その後ろからリィナ、そしてナナミ。さらにはカレンとアンネリー。 「な、な、な」 突然入ってきた女性陣にあっけにとられてフリックが一瞬力を抜いた隙に、レオナとリィナに両腕を捕まれる。 「お、おい、ちょっと、」 この面子はあまりにも前回の女装騒ぎを髣髴とさせるうえ、逆らうことができない。いや、できないというか、逆らったら最後、もっと恐ろしい目にあわされそうな気がしてならない。 「は、離してくれよ、レオナ、リィナ!」 懇願するフリックに、しかし二人は嬉しそうに言った。 「さ、今回はもっとちゃんとした格好をさせないとね」 レオナが楽しそうに言うと、 「そうですね。前回は時間が足りませんでしたから……」 ほほほとリィナが笑う。 「やーめーろーっっっ、はーなーせーーーーーっ!!」 フリックの声がだんだん遠のいていく。その声を聞くに堪えなくて、シュウが立ち上がり、部屋の扉を閉めた。 ようやく静寂が戻った部屋に、ふぅとため息をつく。 「………大丈夫かなぁ、フリックさん……」 しみじみと呟くフェイに、シュウは「大丈夫でしょう」と気軽に答えた。 「別に女装のひとつやふたつで死にはしません」 「じゃあ、シュウさん、自分がやってもいいんだ?」 「嫌です」 「…………うーん」 シュウの即答に、フェイは天井を仰いだ。少しだけフリックが不憫だと思った瞬間だった。 だからどうしてこんなことにっ! 現在のフリックの頭の中はそれだけでいっぱいである。 「そんなにむくれないでくださいよ」 目の前に座る男は困ったように笑った。彼こそが今回の仕事の発端であるリューベの村の諜報員である。 「……確かにな、怪しまれなかったよ、この格好だと」 そう言ってフリックは自分の姿を見下ろしてため息をついた。 「健気な娘」を演出するとあって、前回のような派手な格好ではなかった。しかし、スカートである。化粧までされている。とどめに、長い付け毛をされた上にそれを複雑に編みこまれていたりする。 「そこまでしなくてもいいだろう!」という最もなフリックの意見も、新しいおもちゃを手に入れたような女性たちの心には響かなかったらしい。 「どうせやるなら、きちんとね」 前回に引き続き、なぜそこまで、というくらいやる気になっているアップルの言葉に、リィナも頷いた。 「そうですよ、フリックさん。中途半端なほうが格好悪くなってしまいますよ」 そこまでいうなら女装をさせるなと言いたいが、口を開きかけたところに白粉をはたかれてしまい、反論もままならない。 そうこうして出来上がった姿を鏡で見せられてまた愕然とする。 「これが俺か……」 背が高いことを除けば確かに女性としか思えない自分の姿に涙が出そうだった。母親似と散々言われ、女顔だと傭兵に甘く見られ、挙句の果てには女装まで。 「俺の人生って……」 思わず暗くなっているフリックに、アップルが必要な荷物を手渡した。のぞいて見れば、今まで自分が着ていた服が入れられている。 それを確認している最中に、問答無用と言わんばかりにビッキーのテレポート魔法がかけられ、気がついたらラダトだった。 休む暇もなかったが、これはフリックにとっては幸いだった。おかげで、同盟軍の仲間に女装姿を見られなかったからだ。 しかし、まだ気は抜けなかった。ラダトの町にも顔見知りはいるのだ。そんな人々に会う前にここを出よう、という思いだけで急いで馬屋に直行し、馬を調達する。 歩いていくには、リューベは遠い。それにこのあたりでは女性が馬に乗っていてもおかしくはないので、問題ない。 栗毛の馬を買い、それにまたがりラダトを出た。そして走り慣れた街道を北へと向かう。 途中、傭兵隊の砦があった森の近くを通った時、一瞬だけ懐かしい思いが胸をよぎり、馬の脚を緩めた。 今はおそらくハイランド兵によって占拠されているだろう砦。あの日、ハイランド軍が攻めてきた日、自らの手で火をつけた、家。 「―――なんて、感傷にひたってる場合じゃないぞっ」 森を見つめていた視線をリューベの方へ向け、フリックは馬の腹を蹴った。走る速度を上げた馬の背で、前を見つめてフリックはただひとつのことだけを考えていた。 できるだけ早くこの仕事を片付け、さっさとこの女装を止めてやる! ただそれだけを思い、フリックは馬を走らせた。 そして、その日の夕方のうちにラダトに到着したのだ。 「それにしても、」 ようやく落ち着き、フリックは真面目な顔をした。服装はどうであれ、その表情は’青雷’という二つ名を持つ戦士のものだ。その真剣な眼差しに身が引き締まり、諜報員の面持ちも真剣なものとなる。 「少しハイランド兵が多すぎやしないか、ギィ?」 入り口を固める兵士は二人、そして入り口のそばに天幕が張られ、常時兵士が詰めている。 リューベの裏山に続く山道には木の柵が立てられてそこにも兵士が見張りについていた。 「いくらミューズに近いからって、こんな小さな村にどうしてここまで兵士が詰めているんだ?」 フリックの問いかけに、諜報員―――ギィは「これは極秘情報らしいのですが、」と声を潜めた。 「なんでも、ハイランドの軍団長がこのあたりを視察しているらしいですよ?」 「軍団長自らが?」 なぜこんな辺境の地まで……と思う。おそらくミューズへと繋がる橋があるトトを見回りにきたついでにここまで足を伸ばしたというところだろう。仕事熱心でご苦労なことだが、今のフリックにとっては多少面倒なことになる。 「やっかいだな……この村にはいつ頃来るかわかるか?」 できれば顔を合わせたくはない。そうそう簡単にばれるとは思わないが(というか、ばれたらなんでこんな女装までしているのかと悲しくなる)、一人だけこの姿で会いたくない人間がいた。第四軍団率いる猛将シードだ。 「あいつにだけは、この変装も通用しないからな……」 シードには一度、サウスウィンドウを脱出する時に偶然遭遇してしまっている。多少前回とは趣が違うとはいえ、今更女装は通用しないに違いない。 それ以前に、二度もこんな格好を見られてたまるかという思いのほうが強いのだが。 思わず呟いたフリックの声に反応して、ギィが首をかしげる。 「いや、なんでもない」 「そうですか……?ああ、先ほどの質問ですが、彼らがこの村に来るのは明日の夕方の予定です。そのまま村の外に天幕を張り、野営をするという噂です」 「そうか。じゃあ、今晩はここにとめてもらって、明日の朝には出発する」 夜陰に乗じてこっそり抜け出すという手もあるが、今回はこの男の婚約者として正式に村を訪ねたのだから、出るときにもきちんと門をくぐっていかなければならない。いつの間にかいなくなっていた、ではあまりにも怪しすぎる。 「最初からこっそり村に入った方が楽だったかな……」 そうすればこんな格好をしなくてもすんだし、とぼやくと、ギィは苦笑して首を横に振った。 「ここまで警備が厳しくなっていますからね。一番安全な方法だと思いますよ。さすが、軍師殿ですね。ただ……」 そこで言葉を切って、ギィはまじまじとフリックを見た。その視線にフリックは一瞬たじろぐ。 フリックの様子を気にするでもなく、ギイはふぅ、と溜め息をついた。 「……フリック殿は、綺麗な顔立ちをしているとは思っていましたが……まさか女装してここまで違和感がないとは……」 本当に女性だったら口説いていたのに、という男にフリックは思わず握り拳を作る。女装をして綺麗と言われて喜ぶ男がどこにいるというのだ。これがビクトールだったら即張り倒しの上、紋章を食らわすのだが、ここではそうもいかない。 気を落ち着けるためにコーヒーを一口飲む。ほろ苦い甘味が喉をとおり、少しだけ気分が落ち着くような気がした。それでも、 「……悪かったな」 と言うので、精一杯だったが。 翌朝、まだ朝靄が残っている時間にフリックは家の外に出た。そのまま家の裏手の馬小屋に回ると、すでに馬の世話をしているギィが振り向き、「おはようございます」と言ってきた。 「おはよう。すまないな、馬の世話まで」 「いえ、かまいませんよ。それよりも、ちゃんと休めましたか?」 こちらの身体を気遣ってくれる男に「大丈夫だ」と答え、フリックは馬に近づいた。かすかに嘶く栗毛の馬に、フリックは優しい笑みを向けてその鬣を撫でてやった。 「もう少ししたら出ようと思う。出口まで見送ってくれるか?」 飼葉桶を片付けていたギィにそう言うと、「お安い御用です」と快諾した。 できればこの靄が残っているうちに出立したい。しかし、早すぎても怪しまれるだろう。もう少ししたら、村の女たちが朝食を作るために起き出す。そうしたら村を出ようとフリックは考えていた。 その時、キィっという小さな音が背後から聞こえ、二人は勢いよく振り返る。 そこにはギィの家の扉から顔をのぞかせている少女がいた。 「あのう、あたし、朝ご飯の用意をしなくちゃならないから、そろそろ帰りたいんだけど……」 控えめにそう言う彼女に、フリックはにこりと微笑み、頷いた。 「朝早くからすまなかったな、ファム」 フリックの言葉に、少女は顔を赤らめながら首を横に振った。 「い、いえ。全然大丈夫です。それよりも、あんまり上手くできなくてごめんなさい」 その言葉に、フリックは苦笑した。 「いや、これくらいで十分だ、本当に」 「でも……せっかくだから、もっと綺麗な色とか使いたかったのに……」 そう言って、ファムは手に持っていた化粧箱に視線を落とす。 さすがに自分で化粧ができないフリックは、ギィに頼んで信用できる女性をひとり、呼んでおいてほしいと頼んでいたのだ。 朝早くやってきて、ファムは自分が持っている化粧品を駆使してフリックを再度女性に仕立て上げてくれたのである。 それには感謝しているが、必要以上の化粧はお断りだった。 「……き、気持ちだけありがたくもらっとくよ」 どうして女性は化粧をすることが好きなのだろう、と深刻に悩みながらフリックが言うと、ファムは少しだけ残念そうな顔をした。 「それじゃあ気をつけてくださいね」と頭を下げて自分の家へと帰っていくファムを見送りながら、フリックはため息をついた。 「………まったく」 そんなフリックに、ギィが笑いながら「しょうがないですよ」と言う。 「女性ってのは、自分のことだけでなくて、ひとのことも色々やりたがるもんですよ」 そのひどく説得力のある言葉に、フリックも笑って同意した。 しばらくして、家々に小さな明かりが灯り始め、煙突から煙が立ち昇り始めた。女たちが朝食の準備を始め出したのだろう。 「―――そろそろ、だな」 出発の時が、近づいている。そう呟くと、ギィは真面目な表情でフリックに手綱を手渡した。 「とまってもらえますか」 丁寧な言葉遣いでハイランド兵が村の出口に歩み寄ったフリックとギィに声をかける。 これは予想通りだったので、あらかじめ打ち合わせしてあったとおりフリックは大人しく一歩下がり、ギィの後ろに隠れるようにして立った。栗毛の馬も大人しくフリックに従い、足を止める。 女性に化けるには背が高すぎるフリックだったが、ギィはフリック以上に上背があり、しっかりした体つきをしている。 おかげで並んで立っていてもそこまで違和感がないし、こうして一歩下がってしまえば兵士の視線から顔を隠すことも可能だ。 声までは変えることができないので、兵士との応対はギィがする。 村に入るときも、入り口で待ち構えていたギィに抱き寄せられ、兵士に「婚約者だ」と説明され、笑って頭を下げただけで通れたのだ。出るときも同じ手で行くつもりだった―――抱き寄せるのだけはもうするな、ときつく言ってはあるが。 「おはようございます。朝早くご苦労様」 ギィが兵士たちに軽く頭を下げると、彼らも会釈を返す。 「ギルティスさん、おはようございます」 左に立つ男が礼儀正しく言い、フリックのほうにも会釈した。それにフリックもかすかに頭を下げる。 ギルティスというのは、ギィのここでの名前だ。安直な偽の名前だとフリックが指摘したら、「もともとの名前と似ているほうが、間違えないんですよ」と諜報員歴の長い男は笑った。確かに、フリックもとりあえず用意した偽の名前が「フェミナ」なのだから人のことは言えないだろう。 そんなどうでもいいことを考えてたフリックは鋭い視線を感じて、下に向けていた視線を上げた。 右に立つ兵士が少しだけ不審そうな表情で、二人に視線を走らせていたのだ。 「こんな朝早くから、奥方のお見送りですか?」 「まだ妻じゃないんだが……」 ギィが苦笑しながら言うと、「そうでしたね」と右の兵士もつられて笑った。 「俺の身を心配してきてくれたのは嬉しいんだが……」 そう言って、少し照れくさそうな表情でギィがフリックの様子を窺うように振り返った。それに、はにかんだような表情をなんとか作りながらフリックは微笑み返す。 (役者だな……さすが、プロだ) 顔が引きつるのをなんとか堪えながら、フリックはそんなことを考えていた。というか、何かどうでもいいことを考えていないと、今のこの状況に嫌気が差して、いつ叫び出しそうかわからないという不安があるのだ。 フリック自身、潜入捜査などで身分を偽ることはよくあったが、その時はそのような不安はない。やはり女装は精神的によくないと、しみじみフリックは思った。 そんなことを考えているとは、おそらく目の前の兵士たちは思ってもいないだろう。 ギィの言葉に「うらやましいですねぇ」とか「独身者の前で惚気ないでくださいよ」とか言っている。ギィもまんざらでもなさそうな表情で「そんなんじゃないですよ」と答えていた。 「それがこいつ、どうやら家に書置きだけ残してきてしまったらしいんでね。親御さんが心配しているだろうから、早く帰そうと思って」 ギィの説明に、兵士たちは「そうですか」と頷く。これならば容易くこの村を出ることができそうだ、とフリックが少しだけ安心した。 「それでこんな朝早くに……ご苦労様です、奥さん……っと、まだ奥さんじゃないんでしたっけ」 そう言って、申し訳なさそうな表情で左の兵士が暫定的に作ったのだろう、竹でできた柵を開いた。 振り返ったギィに軽く頷き、フリックは馬の首を軽く叩いて歩き出した。ここで抱擁のひとつでもしたほうが「熱々カップル」と思ってもらえるのだろうが、とてもではないがフリックには底までできなかった。ギィにしても、事前にいろいろとフリックが釘をさしたためか、通り過ぎるフリックの肩を軽く叩いただけだった。 「気をつけてな。今度は俺が行くから、それまで待っていてくれよ」 フリックの背中にギィが声をかけた。「次の報告はこちらからする」という意味がこめられていることに気がつき、フリックは振り返ってにっこりと笑う。二度とこんな格好をさせるなよ、という気持ちをこめて。 兵士たちに軽く頭を下げて柵を出たフリックは、鐙に足をかけて勢いよく馬に乗る。そして、軽く馬の腹を蹴った。 ゆっくりと走り出す馬に身を任せ、フリックは振り返った。入り口にまだギィはいた。安心した笑みを浮かべて手を振っている。 それに、フリックも笑って手を振り返した。 リューベを出て南に街道を下っていくと、次第に朝靄も晴れてきた。 傭兵隊の砦を過ぎたあたりからラダトにかけては、ハイランドと同盟軍との間で暗黙的に中立地帯として認識されている場所である。勿論、条約等を交したわけではないので戦闘が決して起こらないというわけではないのだが。 「少し、休ませてやらないと駄目かな」 中立地帯までは、と早足で駆けさせてきたので、栗毛の馬は疲れ気味だ。小柄な馬なのでしょうがないとは思うが、こういう時は自分の愛馬の体力が他の馬に比べて如何に優れているかと感じてしまう。 「アイツは目立ちすぎるからなあ……こういう時に連れてこられないのが苦しいところだな」 あそこまで大きくて艶やかな黒毛を持つ馬は未だかつてフリックも見たことがない。 そんな親馬鹿的なことを考えながら、フリックは馬の脚を緩め、砦の南西を流れる川の方に足を向けた。 砦で生活していた頃、よく遠駆けに行っては途中で休憩するのにつかった沢があるのだ。 ゆっくり走らせること15分ほど経った頃、沢にたどり着いた。あたりに人影がないことを確認して、フリックは馬を下りる。 「ご苦労様。少し休もう」 軽く首を叩いてやると、馬は嬉しそうに嘶いて沢の方へと足を進めた。 それに付き添いながら、フリックも沢の近くまでいき、そこで手綱を放してやる。 馬は美味しそうに水を飲みだした。それを見ながら、フリックも少し疲れたので腰を下ろす。 履き慣れない女性もののブーツを脱ぎ、足を水に浸した。 「あー、生き返るなー」 思わずそう呟く。そのまま空を見上げた。綺麗に晴れ渡って、いい天気だ。 こんな日は、ゆっくり部屋で本を読むとか、のんびり城内を散歩するとか色々とくつろげるだろうに―――何が悲しくて、女装して中立地帯にいるのだろう。思わず自分の不運さを呪いたくなったフリックだった。 「絶対いつかシュウにも女装させてこの苦しみを味あわせてやる……」 なんとも情けない決意を固めて、フリックは水から足を上げた。 そろそろ出発すれば、日が落ちる頃にラダトにたどり着けるだろう。ラダトに入る前の木立の中でこの服装をどうにかしてから、今日はラダトで一泊する。そしてゆっくりと酒を飲むのだ。それくらいはしても文句を言われないだろう。 濡れた足を手早く拭き、ブーツを履きなおす。立ち上がって馬のそばに行くと、嬉しそうに尻尾を振った。 「よーし、あと少しの辛抱だぞ」 ここまで人の言うことに従順だと、女性が乗るには丁度いいかもしれない。城に戻ったら、乗馬が苦手だといって嘆いていたナナミあたりに薦めてみよう。 そんなことを考えながらフリックは優しい手つきで馬の鬣を撫でてやった。 それに気持ちよさそうに目を閉じていた馬が、急にぴんと耳を立てた。馬の体全体に緊張が走るのを感じ取り、何事かとフリックは辺りを見回した。 「―――別に、お前が不安になりそうな感じはしないけどな……」 モンスターや敵兵の殺気は感じない。特に不安要素はなさそうなのに、と思った時。 遠くから馬の足音が聞こえてきて、フリックはそちらのほうを勢いよく振り返った。 リューベの方からフリックがいる沢に伸びている街道を走ってくる馬の姿が見える。まだ遠いのでそれが誰なのかはわからない。 「けど、こんなところ、普通はこないよな…」 傭兵隊の砦があの森に会った頃ならば、遠乗りやら散歩やらでこのあたりに来る人間もいた。だが、現在のように暗黙の中立地帯になってからはそんな危険な真似をする人間はそうそういないはずだ。 騎影がどんどん近づいて来る。逃げるべきか、このままそしらぬ振りをするか。フリックは手綱を手に取り、判断に迷った。 いつも携帯している剣は持っていないのだ。「潜入するだけだから目立たないように」と長剣は取り上げられ、代わりに短剣と札を何枚か持たされた。 あとは手に宿る雷鳴の紋章のみ。これを使うのは最終手段だ。なにせ使えば目立つことこの上ないし、正体がばれる危険が高い。 しかし、ここでいきなり駆け出しても少々不審な感じを相手に与えてしまうかもしれない。 「ここは、大人しく知らんぷりでもしているか」 フリックは手綱を離して先ほど座っていたところに立つ。そして馬を手招きしてそばに立たせ、馬に水を与えているように見せた。 これならばすぐに飛び乗って逃げることも可能だ。 背後に迫ってくる馬の足音を聞きながら、準備は万端とフリックは思っていた。 ―――すぐにその場を立ち去った方がよかったと思ったのは、それから数分も経たないうちであった。 馬の足音が止まり、ざっと乗っていた人間が地面に降り立つ音が聞こえる。フリックは顔を傾け、馬の顔をのぞいているようなそぶりをして後ろから自分の顔が見られないようにした。 「―――おっと、」 フリックに気がついたのか、馬の乗り手が驚いたような声を上げて足を止める。 その声に、何故か聞き覚えがあるような気がして、フリックは心の中で首をかしげた。 一言だけでは、たとえ知っている人間だとしてもわかりにくい。ただ、なんとなくひっかかりを覚える声だった。 もしかしたら顔見知りかもしれない。しかし振り向いて確認するわけにも行かず、フリックはさてどうしよう、と考えた。 できればこちらに関心を惹かれずに、そのまま上流の方にでも立ち去ってくれるとよいのだが―――。 しかし、そんなフリックの期待も空しく、草を踏みしめる足音がフリックへと近づいてきた。 「珍しいなあ。先客がいるとはね!」 明るい声でそう話し掛けられる。やはり、どこかで聞いたことのある声だった。フリックは頭を猛回転させて、記憶の中にある声を今聞いた声と照らし合わせようと努力した。 「どこのお嬢さんだか知らないが、ここは女一人じゃ結構危険なところだぜ?」 あまり近づきすぎないところで足音が止まる。話口調はざっくばらんだが、意外に紳士的な男らしい。 「あんまり遅くならないうちに、家に帰るんだな」 それだけ言うと男は満足したのか、フリックから意識をそらしたようだ。「よしよし」という声と馬の嘶きが聞こえてくる。どうやら馬を撫でてやっているらしい。 フリックは少しだけほっとした。どうやらこれ以上は近づいてこないようだ。これならば男が立ち去るまでどうにかやりすごせるかもしれない。 フリックの予想通り、男はそれ以上近づいてはこなかった。しかし。 「あ、おい、こら、ブルトガング!」 焦ったような男の声が飛んでくるのと同時に、背後に馬の気配を感じて、フリックは思わず振り返った。 「うわ!?」 思わずフリックは声を上げた。突如目の前に、馬の鼻面が迫っていたからだ。 あまりの唐突さに、フリックはそのまま固まってしまう。そんなフリックにお構いなしに、馬はべろんとフリックの顔をなめた。 「やめろって、ブルトガング!!」 男が怒鳴って駆け寄ってくる。その気配に、フリックはようやく我に返った。 このままでは、男に顔を見られてしまう。そう思った時はもう遅かった。 「すまなかったな、大丈夫か?」 馬の手綱を掴み、自分の方へ手繰り寄せ、男はフリックの顔を覗き込んだ。 その瞬間、フリックは自分の運の悪さを心底呪った。 声に聞き覚えがあるわけだ。北の国出身特有の白い肌に、見覚えのある癖のない赤毛。 赤茶色の切れ長の目が、大きく見開かれる。 その顔が、心配そうな表情から驚きの表情へと変わるのにはそんなに時間を要さなかった。 「ってお前、”青雷”のっ!」 そう叫んだ男が衝撃から立ち直る前に、フリックはその場から飛び退った。 懐から札を取り出し、その中で使えそうな「火炎の矢の札」を構える。しかし発動させようと思った瞬間、男が笑い出した。 「はーっはっはっはっは!なんであんた、そんな格好してんだよ!」 こちらを攻撃する様子もなく、男は腹を抑えて笑い転げている。その様子を見ていて、次第にフリックは札を構えて攻撃に備えている自分が馬鹿らしくなってきた。それと同時に、そこまで笑ってくれる男に腹が立ってくる。 「煩い!こっちだって、好きでこんな格好してるわけじゃないんだぞ!!」 怒鳴ったフリックの言葉は、怒鳴った本人が情けなくなるような内容だった。その言葉に、男は何とか笑いを納めて、フリックを見る。その赤茶色の瞳には、純粋に「面白い」という色しか浮かんでいなかった。 「いやぁ、似合ってるぜぇ?」 その言葉に反射的に腰の剣に手をやろうとして、そこに目的のものがないことを思い出した。舌打ちをして、男を睨みつける。 そんなフリックに、男は肩をすくめた。 「美人がそんな眼すると、怖いぜ?まあ、別にこんな場所であんたとやり合おうなんて思わないから、心配しなよ」 そう言って、男は自分の馬の手綱を手放した。男の心中を図りかね、フリックは首をかしげた。 「……一応、中立地帯ってことになってるからといって、お前がそんなことを気にかけるようには思えないんだが―――シード」 ハイランド第四軍団の軍団長という肩書きを持つシードが、いくら中立地帯とはいえ敵対する都市同盟軍の軍隊長であるフリックを容易く見逃すというのだろうか。 フリックの言葉に、シードはあっさり肩をすくめた。 「戦場でやりあうならともかく、そんな格好しているあんたを倒そうなんて思わないって」 そう言えば、とフリックは思い出した。 前回サウスウィンドウでフリックの正体に気がついたシードは同じようなことを言ってフリックを見逃したのだ。 シードのことをよく知っているわけではないが、あまり回りくどいことは好きではなさそうだということは、戦っていても肌で感じられる。戦うつもりはないのだろう、と信じていいかもしれない。 「その中立地帯に、軍団長殿が何の用だ」 手にした札を懐に戻し、フリックはそう言った。あまり化粧をしている顔を見られたくなくて横を向く。 「気晴らしの遠乗りだ。別に軍団長としてきたわけじゃねぇ」 「……気晴らしにこんなところまで来てると、部下が大変じゃないのか?」 「そうかもしれないなあ」 呑気に肯定するシードに、これでは部下も大変だろうとフリックは少しだけハイランド兵に同情して苦笑した。 そのフリックに、シードの馬がまたもや近寄った。そしてつぶらな瞳でフリックを覗き込んだ。 素朴な黒い瞳に、思わずフリックの表情が緩む。いい馬だ、と呟いて背中を撫でてやる。黒に近い焦げ茶色の毛は艶やかで、シードがこの馬を大切にしているのが感じられた。 「ブルトガングのやつ、よっぽどあんたが気に入ったようだな」 シードのどこか呆れたような口調に、フリックはブルトガングと呼ばれた馬から目を離し、シードへ向けた。 その視線に、シードは肩をすくめる。 「そいつ、無類の女好きなんだよ」 しかも面食い、と続けられた言葉に、フリックは思わずシードに殴りかかってしまった。しかし、普段着慣れない服に動きが鈍り、あっさりと避けられてしまう。それどころか逆に腕をとられてしまい、正面から目が合う。 「手を、離せ」 フリックは面白がっているシードを睨みつけた。しかし、気にした様子もなく、シードは手の力を緩めなかった。 「ふう、ん。もったいないな、本当に女だったら口説いてハイランドに連れて帰るのに」 その言葉に、フリックは無言で捕まれた右腕―――その手に意識を集中させた。薄い手袋に包まれた手の甲からほんのりと緑色の光が発せられる。 不穏な気配に気付いたのか、シードは苦笑しながら手を離した。 「冗談だって、本気にするなよ」 あっさり手を離されたので、フリックも力を抜いた。しかし、鋭い眼差しで睨みつけたままではあるが。 いやいや女装をやっている人間に向かって、似合ってるだの女だったら口説くだの―――馬鹿にするにもほどがある。 やはり迷った時に立ち去っておけばよかった。心底そう思って、フリックは踵を返した。 シードに背を向けることに抵抗がないわけではなかったが、今更何も仕掛けてはこないだろう。 大人しくこちらの様子を窺っていた栗毛の馬は、機嫌の悪くなっているフリックに心配そうな瞳を向けている。 「―――気にするな。行くぞ」 ぽんぽん、と軽く首の辺りを叩いて安心させてやり、フリックは拍車に足をかけた。ちらり、とシードの方を見ると、こちらに向かって歩いてくるところだった。無視してそのまま馬に乗る。 「なんだ、もう帰るのか?」 フリックのそばまで来て足を止めたシードが、残念そうに言った。その言葉に、フリックは思わず眉を顰める。 「別にお前に会う為にこんなところにいたわけじゃない。それに、これ以上お前に馬鹿になんかされたくないからな」 ぶっきらぼうにそう言うと、シードは「心外だ」という表情をした。 「馬鹿になんかしてないって、」 そう言い、手綱を握るフリックの腕を握った。先ほどフリックの拳を止めたときとは違い、そっと、まるで本当の女性にするように握ってくる。 「なあ、フリック、」 真剣な眼差しで見上げられ、フリックは居心地が悪くなり身動ぎした。 「な、なんだよ」 「あんたさあ、妹とかいたりしない?」 いたら紹介してくれよ、と続けたシードに、フリックは今度こそ狙い違わず拳を見舞った。 「いってー!なんだよ、本気で殴ることないだろう!」 思わずしりもちをついたシードを今度こそ無視して、フリックは馬の腹を蹴った。栗毛の馬はその意図を正確に読取り、高く嘶いてから走り出す。 「今度は戦場でなー!」 背後からとんでくる、懲りた様子のないシードの声に、フリックは馬の首筋に突っ伏した。 この場で消しておいたほうが、後々のためになるような気がする。 しかし、一度は見逃してくれた借りがある。今回も真っ当に戦っていたらやられていたのはフリックのほうだったに違いない。 これで二つの借りを作ってしまったわけだから、今回はあの一発で我慢すべきなのだろう。 「………次は絶対戦場で雷落としてやる………」 ただ、この場で遭遇したのがシードだったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。サウスウィンドウの時よりフリックの女装姿の目撃者が増えなかった、という意味においてはだが。 これ以上誰にも会わないうちに、さっさとラダトへ戻ろう。 そう決意して、フリックは一路ラダトへと馬を急がせようと首筋を軽く叩いて促そうとした時。 「どわあああ!?」 罵声が突然背後から聞こえてきた。続いてどしん、と何か重いものが落下するような音が聞こえてくる。 思わず手綱を引き、馬を止めて振り返ったフリックだったが、そこに落ちてきたものに思わず顔を引きつらせた。 「いててて……くそう、ビッキーのやつ、手ぇ抜いたな。これじゃ星辰剣の移動とかわらねぇぜ」 『あんな小娘の素人魔法と私の素晴らしい力を比較するのは愚かなことだぞ』 「どこが素晴らしいんだよ、一体よ、っと………?」 ようやくフリックがそこにいることに気がついたのか、落ちてきた男―――ビクトールが視線を上げ、フリックと眼があったところで硬直した。しばらく二人とも目が離せず、見詰め合ったままになる。 先に口を開いたのは、なんとか目の前の状況を受け入れることができたフリックだった。 「………お、お前、なんでこんなところに落ちてきたんだ……?」 顔を引きつらせたままでフリックがそう言うと、ビクトールはびくりと身体を震わせてとびすさった。その勢いに、フリックのほうが驚く。 「なっ、なんだよっ」 ビクトールはフリックに指をつきつけて、口を二三度ぱくぱくと動かしたあと、「うわあ!」と叫んだ。 「お、お前フリックかぁ!?どこのお嬢様かと思ったぜ!!」 その言葉は、シードの態度に立腹しまくっていたフリックの堪忍袋の緒を切るには十分だった。 「―――”天雷”っっっ!!!!」 轟音が鳴り響き、眩い光が一点目掛けて炸裂する。 先ほど空から落ちてきたばかりのビクトールは、再び宙を舞い、そしてまた落下した。 「何でこの馬鹿熊をよこしやがったんだ、シュウ!!」 城に帰り着くなりシュウの部屋目掛けて駆け込んだフリックの第一声に、シュウは相変わらずの無表情で答えた。 「迎えだ」 「なんで迎えなんかっ!」 ここまで引きずってきた黒焦げのビクトールを放り投げ、フリックはシュウの机に詰め寄る。 さすがにあの格好で本拠地まで戻るのは嫌だったので、途中で着替えている。ラダトでゆっくり疲れを癒すという計画は諦めざるを得なかったが。 その惨状を見て、シュウは少しだけ肩をすくめた。 「お前が出発した夜に、”影”からリューベに丁度ハイランド軍の軍団長が向かったという情報を受けてな。まあ、それでいくら変装をしているとはいえ少し心配になったので、ラダトまでビクトールを迎えに行かせたのだが」 なにか問題があったのか、と問うシュウに「おおありだっ!」とフリックは叫んだ。 「おかげで目撃者を増やしちまっただろうがっ!」 「そう俺に言われても困るんだが」 あくまで冷静に言われ、フリックは一瞬目の前の軍師に本気で殺意を抱いた。 「くっ……畜生!ぐれてやるっ、ぐれてやるぞぉ俺はっっっ!!!!」 びしり、とシュウに指を突きつけ、フリックはそう宣言した。そして、預かった書類をシュウに投げ渡して足音も荒く部屋を後にした。 「……ぐれると宣言してぐれるヤツがどこにいるんだ」 足元に転がる黒焦げのビクトールと、勢いよく去っていくフリックの背中に呆れた視線を向け、シュウがはぼそりと呟いた。 しばらくたってから、少し落ち着いたフリックははたとひとつのことに気がついた。 「ぐれるって言っても、なにをすればぐれることになるんだ?」 ―――フリックがぐれてシュウを困らせるようなことになる事態は、とりあえずなさそうであった。 fin... |
■あとがき■ |