■キリ番 999/浬様■
bad communication
「フ、フリックさんっっ!」 必死な声に呼び止められ、フリックは何事かと背後を振り返った。その目の前に。 ばさっと勢いよく、真っ赤なものが突き出される。 思わず1歩後ずさってしまったが、よくよく見ると、それは真紅の薔薇の花束だった。 「―――どうしたんだ、この花束?」 綺麗だなあ、と言いながらその花束を差し出した張本人を見ると、何故か薔薇に負けないくらい顔を真っ赤にした同盟軍の兵士が、「あ、あの、ここここ、これを……っ!」と必死な形相でフリックを見つめていた。 なんだろう?と首をかしげていたフリックだったが、「!ああ!」と手をぽんっと打った。 大きな花束にそっと手を差し出して受け取り、大事そうに両手で抱えてにっこりと兵士に微笑む。 その笑顔を真っ正面から見た兵士は、「フリックさん……っ!」と、何故か感極まったような声で一歩ずいっとフリックに詰め寄った。そんな兵士に、フリックは笑顔のまま、にこやかに言った。 「で、これを誰に渡せばいいんだ?」 「『俺に頼むってことは、同盟軍関係の女性だろう?ちゃんとお前からって伝えて渡してくるよ』なんてこと、あの笑顔で言われたら、もう何も言えないだろう!?」 おいおいと泣きながら、先ほど薔薇の花束をフリックに渡した兵士Aは酒場のテーブルに突っ伏した。 「落ち着けよ、A、ほら酒でも飲んでさぁ」 見るに見かねた同僚の兵士Bは、Aの空になったジョッキに酒を注ぎ足してやる。Aはそのジョッキをがっと掴んで、ぐいっと一気に飲み干した。 「おい、あんまりムチャな飲み方は―――」 止めようとしたBの言葉を遮るように、Aは空になったジョッキをガンっ、とテーブルに叩き付けた。 「せっかく!せっかくヴァンサン殿に頭を下げて一番いい薔薇を今月の給料はたいて買ったってのにっ!どうして俺は言えなかったんだ!たった一言、『これはあなたにあげたいんです』って!」 「…………」 何を言っても無駄か、とBは悟って、黙って自分のジョッキを空けた。 「それにしても、給料はたいて薔薇を買うとは、お前、本気だったんだなあ」 今まで口を挟むことなく、AとBの会話を聞いていた兵士Cが、ぽつりと呟いた。 「当たり前だ!なんだと思ってたんだこの俺の熱い想いをっ!」 Aは立ち上がってCの方へ身を乗り出す。 「初めて戦うあの人を見たその日から、俺はずっと憧れていたんだ!いやっ、戦いだけじゃない、普段の生活の中で、あの人がどんなに優しいかを知り、俺の想いはますます募るばかり!」 「おい、お前恥ずかしいからちょっとは落ち着けよ……」 Bは声を潜めてAに言うが、Aは聞く耳持たず、という調子で拳を握って絶叫した。 「俺はっ!俺はあの人に、この俺の気持ちを伝えたいだけなんだーっっっ!」 ぜーはー、と肩で息するAに、Cは無言で新しいジョッキを差し出した。Aがそれを飲み干すのを見てから、おもむろに口を開く。 「お前、そこまで想っているなら、ちゃんと言えよ…」 もっともなCの意見に、Bも頷く。だが、Aは情けない顔でうつむいた。 「……そんなあっさりと言えるもんなら、ここまで愚痴ってないぜ…」 がっくりと肩を落として椅子に腰を落としたAを見ながら、BはCにこっそり呟いた。 (俺的には、こんな人がいっぱいいる中でここまで言っておいて、本人に直接言えないこいつがわからん) 時刻は夕刻。このレオナの酒場がもっとも混む時間帯である。 いつもたいてい酒場に入り浸っているフリックの姿は今日は見当たらない。確か、リーダーのお供でグリンヒルに行っているはずだ。だからこそ、酒場でこんな話もできるわけだが。 あまりにも人が多すぎてその喧燥に紛れて、騒いだとしてもそこまで声は通らないかもしれないが、結構周りの人間は面白そうにこちらに視線を向けていたりするので、Bはかなり恥ずかしかった。 相手の名前を出していないので、誰を対象とした話だかはバレていないかもしれないが…。 (まあ、そう言うな。こいつ、今酔っ払ってるから……) Cも視線をAに向けたまま、ぼそりと呟き返す。 その言葉が聞こえたのか、のっそりとAが顔を上げて、二人を睨んだ。 「……ちくしょう、笑いたければ笑え。どうせ俺は意気地がないっ!」 「おい、そこまで言ってないって……」 「いやっ!おまえらの目はそー言ってる!」 「……まじに、ただの酔っ払いだなこいつ……」 「こんな意気地なしには、気持ちを伝える権利もないのかっ!」 もはや支離滅裂である。さすがにBもCも、「そろそろ無理矢理にでもベッドに突っ込んでこようか、こいつ」と思い始めた時。 「あ、いたいた、おいA!」 騒がしい酒場の中でも、よく通る声が響いた。 聞き慣れたその声に、AのみならずBも固まってしまった。 Cだけが、一瞬の硬直の後、ゆっくりと声がした方を振り返る。 込み合った酒場の中を、慣れた足取りですり抜けて、こちらに近づいてきたのは。 「あ、お疲れ様です…」 間抜けた言葉をかけてしまったCに、「ああ、ちょっと邪魔するぜ?」とにっこり微笑んだフリックだった。 「フ、フ、フ、フリックさんっっ!な、何ですかっ!?」 かなり動揺して、Bがそう言うと、フリックは笑いながら「ちょっとな」と答えた。まだ硬直したままのAに視線を向けて、怪訝な顔をする。 「どうしたんだ?こいつ」 大丈夫か?と首をかしげたフリックに、Cは苦笑して「気にしないでやってください」と言う。 「それよりも、グリンヒルへ行かれていたんじゃないんですか?フリックさん」 「ああ。リーダーの用が思ったよりも早く終わってな。泊りの予定を急遽変更して帰ってきたんだ。それよりも……」 そう言いかけて、フリックはちらりとAに目をやった。 「俺、Aに話があったんだけど…無理そうか?」 少し心配そうな表情をして、フリックはこの中では比較的冷静そうなCに訊ねた。 「いや、大丈夫だと思いますけど…」 驚いているだけだろうし、と付け加えようとした時。 「フリックさんっ!!!」 硬直したままだったAがいきなり立ち上がり、フリックの肩をがっと掴んだ。「お、おい、A!」 慌ててBが引き剥がそうとするが、それよりも早く、Aは突然の行動にびっくりしているフリックの肩を引き寄せて抱きしめた。 「俺っ!本気なんです!本気で憧れているんですっ!」 その声に、一瞬酒場がシンとした。 そして。 おおお〜っ!というどよめきとか、きゃーっなにやってんのよあんた!という叫びとか、てめぇ俺のフリックさんに何しやがってるんだ!という罵声などが飛び交う。 「あーあ、言っちゃったよ…」 蜂の巣をつついたような騒ぎの中、Bは呆れて呟いた。そんなBを、ちらりと横目で見てCが言う。 「直接言えないのがわからん、と言ってたのはお前だろう。この状況に何か不満が?」 「いや、不満とかじゃなくて…きっと後が恐いぜ?ほらフリックさんに付きまとっているあのちっちゃい女の子とか、あとは砦時代にフリックさんの下にいた連中達が作っている怪しげなファンクラブとか、ぶちキレて何するかわかんないぜ?」 ああこわ、と首を竦めるBに、「それよりも俺は、フリックさんの反応の方が気になるね」とCは返した。 そのフリックは。唖然とした顔で、抱き着いている男になされるがままになっていた。 Bは、「ああ、驚いてるよなあ、やっぱり…」と気の毒そうな顔をした。 「殴り飛ばされるんじゃないか、って思ってるんだが」 冷静にCが予想を言う。 しかし。 フリックはひどく優しい笑顔を浮かべて、Aの背中を軽くたたいた。 「わかってるよ、A」 その言葉に、再度酒場は静かになる。野次を飛ばしていた連中が硬直してしまったからだ。 今度はCすらも驚きのあまり、ジョッキを持ったままフリックを凝視してしまった。 Bはもはや何も言えない様子だ。 そして、Aはと言えば。 (ああ!俺の気持ち、わかってもらえたんだ!神様ありがとう!) 嬉し涙をだーっと流しつつ、喜びのあまりさらにフリックを抱きしめる腕に力を入れた。 だが。 「あんな花束を渡すって事は、本気だって、俺にだって分かるから。大丈夫、彼女にだってちゃんと通じてるさ」 そのフリックの言葉を理解するのに、十秒以上はかかったと思う。 「……………………………………………………か・の・じょ?」 腕の力を不意に弱めて、Aは呆然とした顔でフリックを見た。 そんなAの表情を不思議そうに見て、フリックは答えた。 「ああ。だってお前、『リィナさんに…』って言ったじゃないか。あの花束を俺に預けた時」 何言ってるんだ?という顔でフリックはAの肩を軽く叩いた。 「ちゃんと渡しといたぞ?そうしたら、リィナのやつ、『お会いしたいわ』とか言ってて…、あ、おい、リィナ。そんなところいないでこっちに来いよ?」 もはや何も言えずに立ち尽くしているAを無視して、フリックは酒場の入り口に立っていたリィナを呼びよせる。 いつもの妖艶な笑みを口元に浮かべて、リィナは静かになってしまった酒場の中をゆっくりとフリック達の方に歩み寄ってきた。 いまだ硬直したままのAに、リィナはにっこりと笑いかける。ただ、その目は。 「うふふふ。あなたからって花束を頂いたのだけれど……。そういうこと…?」 目が、笑っていなかった。 Aはそのリィナの表情を真っ正面から見てしまい、蛇に睨まれた蛙のごとく、だらだらと冷や汗を流して立ち尽くしていた。 フリックはそんな二人の間の不穏な雰囲気に全く気づかずに、にっこり笑った。 「じゃあ、あとは任せたよ、リィナ」 Aの肩を叩いて耳元にそっと顔を近づける。 「俺ができるのはここまでだから。後はがんばれよ?」 そう囁いて、フリックは片手をひょいと上げて酒場を出ていってしまった。 「ねぇ、Aさん…」 リィナは、冷や汗を流しつつも、フリックに耳元で囁かれた顔を赤くしたAにひどく優しい声で話し掛けた。 「わたくし、ダシに使われるのって、すごく嫌いなんですけれど」 相変わらず笑みを顔に貼り付けたまま、リィナはAに近寄った。 「しかもダシというよりその場しのぎに使ってくださったみたいですけれど。…どうしてくださるのかしら?」 恐怖のあまり顔を引き攣らせたAは、一歩後ずさりながら懇願するような口調で言った。 「………もう、好きなだけ飲んで下さい……」 その答えに、リィナはにっこり笑って、酒場で一番高いワインをボトルで注文した。 すかさず椅子を引いたBに「ありがとう」とにっこり笑いながら、リィナはまだ立ったままのAに目をやった。 「あの人相手で、そんなに回りくどいことしても、絶対に気が付きませんわよ?なにしろ激しく鈍いのだから…」 「鈍いって言うか…本当に気が付いてなかったんですかね。すっとぼけてるだけとか…」 Cの疑問に、リィナはくすくす笑った。 「ほんとうに気づいていないだけですわ。もう、ぼけぼけですわね」 運ばれてきたカナカン産ワイン十年ものをグラスに注いでもらい、リィナは満足そうに口をつけた。 そして、Aは……何も言えずに、がっくりと椅子に座り込んで、軽い財布の中身を確認してしまった―――。 Aの悲劇はそれだけにとどまらなかった。 その酒場での一件は、ほぼ事実通りに本拠地中に広まっていた。 おかげでニナに捕まって首根っこ引っつかまれながら泣き叫ばれ。 ファンクラブの連中に鍛練場裏に呼び出されて脅され。 とどめに、やたらにこやかに笑いながら「たまにはもんでやるぜ」と木刀を投げてよこしたビクトールに捕まり、半日以上みっちりとしごかれ。 「ここまで…っ、ここまでされるほど、俺は何かしたのか…っ!想いを、気づいてももらえなかったのに…っ!」 あまりのしごきにすでに立ち上がる気力もなく、鍛練場の床に伸びて涙するAを、BとCはなんとも言えない顔で見ていた。 「しょうがないさ…。相手が、鈍すぎたんだ…」 Bは、「なあ?」とCに相づちを求めた。Cはそれに頷きながら言う。 「もう、あきらめろよ…多分、気づいてもらえないし、何よりも、」 そこで言葉を切ってCは、深い深い溜め息をついた。 「―――何よりも、この本拠地で告白なんぞしたら、多分今度こそ殺されるぞ…?」 「ううううう…フリックさん…」 滂沱と涙を流しながら、Aは愛しくも鈍い人に想いを馳せて泣いた。 余談ではあるが。 この一件の後、フリックはめでたく「キング・オブ・鈍感」の称号を冠せられたという……。 fin... |
■あとがき■ |