■キリ番 900/ひろ様■

my dear place...



長い、長い戦いが終わりを告げた。「ルルノイエ制圧」の言葉を聞き、都市同盟軍は長年の脅威を取り除けた、とその勝利の喜びをかみしめていた。
だが。
多くの者の命が失われた。多くの辛い思いが残った。
それらの悲しみを乗り越え、胸に抱きつつ、同盟軍盟主は親友との最後の約束を果たすべく、本拠地を後にした。
同盟軍に参加した人々も、幹部の多くは、今後同盟国の行政の中心となるミューズへと移る準備を始めた。
また、その他の人間は、このまま本拠地に残ることを決めたり、故郷の街へ、国へ、と帰りはじめていた。


クライブも、故郷へ帰ることを選択した一人だった。
本拠地の屋上にぼんやりと立ち、自分の故郷のある方を―――北を、見つめていた。
「故郷…か」
ぽつり、と口にその言葉を出してから、クライブは自嘲した。
故郷。確かに自分が生まれ育ったハルモニア神聖国は故郷といえる場所だろう。
だが、「故郷に帰る」と言う戦友達のように、晴々とした表情にはなれなかった。
クライブにとって、ハルモニアは「帰る場所」ではなかった。
正確に言えば、「ハルモニア神聖国のギルド『吠え猛る声』の組合」は、と言うべきか。
そこは、「所属する場所」であって「帰る場所」ではなかった。
いつからそのように感じていたのだろう。
要人警護の裏で、危険分子を神官長の依頼により暗殺する仕事は、決して誉められたものではないにしても誇りを持って遂行できるものだった。
クライブにとって、神官長の依頼を伝えるギルド長の言葉は絶対だった。
かつて憧れていた女性がギルドを裏切り、その女性を粛正しろ、と言われた時でさえ、その言葉に共感は覚えたものの、反対する気などさらさら起きなかった。
だが、反逆者となった女性を追う旅を続ける中で知らされた事実が―――死にゆくエルザの遺した言葉が、クライブの組織に対する忠誠心にひびを入れた。
組織は…絶対ではない、と。
精霊の宿る銃『シュトルム』に選ばれたエルザではなく、ケリィを組織のトップにするための、仕組まれた罠に巻き込まれ、エルザは反逆者となり、ケリィは帰らぬ人となり―――クライブは、追跡者になった。
その事実を知ったのは、この手でエルザを撃った後。全てが終わった後、だった。
そして、追跡者としての任務が終了し、たまたま身を寄せた同盟軍の戦いが終わった今、クライブはどうしたらいいのかわからなくなっていた。
わからないが―――しかし、自分が選べる道は、一つしかないようにクライブには思われた。
自分が戻れる場所は、ただ一つしかないのだから。
それでも、何故か足は動かなかった。もはやこの本拠地にとどまる理由はないというのに。
いつも着ている黒コートのフードは風によっていつのまにか肩に落ちてしまっていた。いつもならば被り直すのだろうが、髪に直接当たる風が心地よくて、クライブは目を閉じた。
「―――やっぱりここは、本拠地で一番空が綺麗に見えるよな」
不意に背後から声が聞こえ、クライブははっと目を開けて振り返った。
人一倍、他人の気配には敏感で、背後から忍び寄られようものならば反射的に銃を向ける自分が声をかけられるまで気づかないとは、とどこか悔しい思いを抱いたが、背後に立っている人物を見て、少し肩の力を抜いた。
この男ならば、仕方ないか、と思ったからだ。
先の赤月帝国で起こった解放戦争で共に戦った仲間だ。彼が優秀な剣士であることはよく知っている。気配を殺すことなど、簡単にしてのけるということも。
そう思ったところで、クライブは苦笑した。
ここはもう、戦場ではない。そして、この男が、わざわざ気配を殺して自分に近づくとも考えにくいし、そのような性格でないことを知っていた―――そんなに親しく付き合っていたわけではなかったが。
考えるに、クライブ自身がそれだけぼうっとしていたのだろう。
風に、トレードマークの青いバンダナとマントをなびかせ、まぶしそうに同じ色の瞳を細めて彼はクライブの左隣に歩み寄って、手すりにもたれかかった。
「ここ、落ち着くんだよな。空と湖に抱かれているみたいで」
そう言って、クライブに微笑んだ。
なんと返していいかわからず、クライブは「そうだな」とだけ答えて、再び視線を湖に向けた。
「―――クライブも、そろそろ国へ帰るのか?」
唐突な質問に少し面食らいながらも、クライブは「ああ」と頷いた。
よくよく思い返してみれば、この青年とはじっくり話したことがなかったと思う。
いや、この青年に限らず、クライブはあまり他人と関わりを持たないように、いつでも誰からも距離を置いていた。
「そうかぁ。カミューとマイクロトフも、ついさっきここを出ていったんだ……。なんだか、寂しいよな」
「……お前も、もう行くんだろう?フリック」
足元に置かれた荷物を目の端に入れながら、クライブはそう返した。
「まあな」
フリックはクライブに目を向けて笑った。それは、晴々とした笑みだった。
「本当はもっと早く出て行くつもりだったんだけどな……フェイのこともあったし。だけど、それももうケリがついたみたいだからな。そろそろ行くことにした」
フリックをなんとなく見ていたクライブは、リーダーの少年のことを話した時に彼がとても穏やかな顔をしたのを見て、今更のように思った。
そう言えば、フリックはいつのまにこんな風に穏やかに微笑むようになったのだろう、と。
先の解放戦争の時も、クライブが解放軍に加わった頃には、よく笑ったり怒ったり、と表情をくるくる変えていたと思う。
あの頃からフリックをからかって遊ぶビクトールと、むきになって怒鳴るフリック、というのはよく見かけられたので、クライブでもどこか子供っぽさの抜けないフリックの表情をよく知っていた。
だが、戦いの終わりが見え始めた頃から、フリックはあまり笑わなくなった。いや、笑わない、というよりも、感情をあまり表に出さなくなったようにクライブは感じていた。
クライブにそんな印象を与え、あの最後の戦いの日に姿を消したフリックとこの同盟軍で再会した時から、彼はいつもこんなふうに穏やかに笑っていたように思う。
何が、この青年に再び笑いを取り戻させたのだろう、とクライブはふと考えると同時に、そんなことを考えている自分に驚いていた。
他人に興味を覚えるなど、本当に久しぶりのことだ。
しかし、それは嫌な感情ではなかったので、珍しく心の赴くまま、言葉を口にした。
「―――お前は、ここを出てどこへ行くんだ?」
その問いに、フリックは少し驚いたようにクライブを見た。めずらしいな、という感情が表情にありありと表れていて、クライブは少しむっとした。
「ああ、悪い悪い。でも、めずらしいなって思って…」
クライブの表情から、彼の気持ちを読み取ったのだろう、少し慌ててフリックは弁解めいたことを口にした。
「ここを出て、どこへ行くかはまだ決めてないんだ。実は」
「……そうなのか?」
「ああ。でも俺はトランとジョウストンしか知らないから、他の国をいろいろ回りたいな、と思ってる」
まずはグラスランドかな、とどこか楽しそうに言うフリックに、クライブは疑問に思った。
「……故郷へは…帰らないのか?」
確かフリックの故郷はトランの西部にある戦士の村だと聞いたことがある。
断片的にだが、聞いた話では解放戦争が終わってから今日まで、ずっと帰っていない、ということだった。このままグラスランドに行っては、どんどん遠ざかっていくだけではないだろうか?
ほとんどの人間が故郷へ戻ると言っていたこともあり、クライブはそのフリックの言葉が不思議に思えた。
クライブの言葉に、フリックはふっと視線をクライブから逸らした。
そして湖を見やり、囁くように言った。
「―――待っている人がいない故郷なんて、帰る場所じゃ、ないだろう?」
どこか憂いを含んだフリックの言葉は、すとん、とクライブの心の中に入ってきた。
ああ、そうか。と、その時初めてクライブは、なぜ自分がまだこの本拠地に残っているのかが分かったような気がした。
クライブが故郷と思っている所には、もう誰もいないのだ。
兄のように慕っていたケリィも、姉でもあり、母でもあり、そして―――恋人でもあったエルザも。
組織はクライブの帰還を喜んで受け入れるだろう。そしておそらくは、次のギルド長に、と推すに違いない。
それでも、クライブの心を癒すものは、もう誰もいないのだ。
マッテイルヒトガイナイコキョウナンテ、カエルバショジャ、ナイ
だから今はこんなにも、ハルモニアへ戻る気がしないのだろう。
「悪い、辛気臭いこと言ったな」
クライブの沈黙を、困ってしまったことによるものだと受け止めたのだろう。フリックは苦笑して手すりから体を離した。
「俺は、そろそろ行くよ」
そう言って、足元に置いていた荷物を肩に担ぐ。
「どこへ行くかはわからないけど、またどこか出会うかもな」
笑って言うフリックの顔には、先ほどの憂いは見られなかった。
「じゃあ、な」
しんみりとした別れは似合わない、とでも言うように、フリックは軽く手を上げて、階段へ向かって歩きはじめた。
その背中に、クライブは思わず声をかけた。
「フリック、」
足を止め、フリックが振り向き、首をかしげる。
「……一度なくしてしまったとしても、帰る場所はまた見つけることができると思うか?」
別にはっきりとした答えがほしくて言った言葉ではなかった。ただお互いに、帰る場所だと思っていたものを失った想いを抱える者として、聞きたかった。
フリックはその問いに、一瞬驚いたような顔をして、それから。
「―――次に会う時までに帰る場所が見つかっているといいな、お互いに」
鮮やかな笑顔を向け、今度こそフリックは階段を降りていった。
肯定とも否定ともつかないフリックの返事だったが、クライブは満足げに微笑んだ。
あの笑顔は、諦めたものの顔ではなかった。
フリックは、信じているのだ。帰れる場所を見つける事ができる、と。
「俺も、立ち止まっていないで、探してみるか……」
帰る故郷はハルモニア。それは変わらない。だが、本当に最後に帰る場所は、そこでなくてもいい。
これからまた、探していけばいいのだ。自分が心の底から「帰る場所」と思えるものを。
きっと空を見るたびに、同じ色を身に纏った青年を思い出すに違いない。
そして、同じ空の下、同じ想いを抱えた人間ががんばっていると思えるだろう。
そう思えたらきっと諦めないで、無くしたものを見つけられそうな気がする。
クライブは久しぶりに、清々しい顔をして空を見上げ、そして踵を返した。


fin...

■あとがき■

last update 2000/05/18