■キリ番 789/らいら様■
何 よ り も 欲 し い 言 葉
デュナン湖南岸に聳え立つ都市同盟軍本拠地。 そこで一番賑やかな場所は、と聞けば十人中十人全員が同じ答えを返すだろう。 すなわち、「レオナの酒場」と。 そんな評判にふさわしく、今日も相変わらずの繁盛ぶりである。しかし、いつもよりも、たいそう騒がしかったが。 それもそのはず、今日は大きな戦闘があったのだが、大した被害も出さずに勝利をおさめることができた、ということで兵士達が酒場で「慰労会兼祝勝会」と称して騒いでいるのである。 「おう、レオナ!もっと酒くれよ!」 特に大賑わいの中心に位置するビクトールが、満面の笑みを浮かべて空になったジョッキを上げてレオナに呼びかける。 呼びかけられたこの酒場の女主人の方は、対照的に不機嫌な顔をして、拭いていたグラスをテーブルに置いて言った。 「あんたは山のようにツケがあるだろ。それを払わないのにお代わりを要求するなんざ百年早いよっ!」 「うわ、薮蛇かよ」 「なに、アンタ、そんなにツケてんのかい?イイ男は金払いもよくなきゃダメだよっ」 首をすくめたビクトールの肩を、隣に座っていたアニタがケラケラ笑いながら、容赦なく叩く。 「レオナ!今日はどうせ私のおごりだからいいよ、じゃんじゃん持ってきて」 「……あんたもツケあるだろう、アニタ……」 「気にしない気にしなーい。ビクトールよりは全然少ないから大丈夫だって!」 「………………………………はいはい」 すでに出来上がっているアニタの相手をするだけ無駄かと判断したレオナは、ジョッキ二つになみなみとビールを注いで、カウンターに置いた。 そして、騒いでいる連中から少し離れたこのカウンターでゆっくり飲んでいる青年をじろりと見た。 「ちょいとそこですまして飲んでるオニイサン。これ、運んでくれやしないかね」 「……一応、俺客なんだけど」 「相棒の面倒くらいはきちんと見とくれよ。フリック」 この女主人に逆らうことなどできないことを、フリックはよく知っていたので、あきらめの溜め息をついて立ち上がった。 ビクトールたちの方を見ると、何やら馬鹿なことを言ってみんなを笑わせているらしいビクトールと、そのビクトールをバンバン叩きながら笑い転げているアニタが視界に入り、さらに一つ、溜め息をついた。 今日の戦の立役者であるビクトールの部隊と、彼らによって壊滅を免れたアニタの部隊が中心となって飲んでいるのである。 「アニタのおごり」ということもあってか、浴びるほど飲んでいるビクトールはめずらしくもかなり酔っ払っているようだった。おごる立場であるアニタにしても、こんな雰囲気では、「飲まなきゃ損」とでも思っているかのように飲みまくっている。 今晩はそばにいたら確実につぶれる、と思ったフリックは、宴会が始まって早々にカウンターに陣取り、一人マイペースに飲んでいたのだ。それはどうやら正しい選択であったようだ。 「近づいただけで巻き込まれそうだなぁ…」 酔っ払いに絡まれたくはない、とぼやきながらも、手にジョッキを二つ持ち、混みあう席の間を擦り抜けるように歩いてビクトールたちのテーブルに近づく。 すでにそこにはビクトールとアニタによって撃沈させられた者達が床に伸びていた。いまだ生き残っている者達も、かなり呂律が回っていない。 よくもまあここまで飲んだものだ、と呆れながら、フリックは無言でテーブルの上にジョッキを置いた。そっと置いて立ち去るつもりだったのだが、気配に気づいたらしいビクトールがひょいっと振り返る。その顔の笑みを更に深くして、逃げ腰になっているフリックの背中をばんっと叩いた。 「フリック!お前、飲んでんのかぁ!?」 その声に、隣の兵士に酒を無理矢理注いでいたアニタもフリックを振り返った。 「ナニナニー?あー、フリック〜。アンタ、ひとり寂しくカウンターで飲んでないでこっちで飲もうよ」 酔っ払い二人に笑顔でからまれたフリックは呆れた顔のまま、首を振った。 「お前達に付き合ってたら、俺死ぬからいい」 フリックの言葉に、アニタはむっとする。 「ちょっとフリック〜。酷いよソレ。アンタだってそーとー、イケるくちなのにさぁ」 テーブルから離れようとしたフリックの腕を掴んで、思いっきり引き寄せる。 「うわっ!?」 まさかそんなことをされるとは思ってなかったフリックは、バランスを崩してアニタに倒れこんでしまった。 アニタはケラケラ笑いながら、胸に倒れこんできたフリックをぎゅっと抱きしめる。 「ほーら、オネエサンがかわいがったげるから、いっしょに飲もうよっ!」 「ちっ!ちょっと!アニタっ、む、胸がっ…!」 「なになにー?照れてんの?かわいーねぇ、フリックは♪」 何とか身を離そうとフリックは慌てるが、かえってアニタに抱き付く結果になり、ほとほと困ってしまった。 その時、ごんっという鈍い音がして、アニタの腕の力がふっと抜けた。 「いった〜!なにすんの、ビクトールっ!」 「お前なぁ、たいがいにしとけよ?」 ようやくフリックが体を起こしてみると、頭を押さえて涙目になっているアニタと、どこか剣呑な顔をしたビクトールが睨み合っている。 どうやらビクトールがアニタを叩いて、注意を逸らしたらしい。 助かった…と思って少し感謝しながらフリックが口を開こうとした時。 「こいつは俺のだ。手ぇ出すんじゃねぇよ」 ドスの聞いた声で、ビクトールがきっぱりと言ってのけた。 その言葉に、アニタは呆気に取られ、フリックは――― 「おっ、お前なに言ってんだよ!」 真っ赤な顔で否定した。その様子を見ていたアニタは、「なぁんだ〜」と溜め息をつく。 「アンタ達、デキてたんだ〜」 「おうよ、だから手ぇ出すなよ、アニタ」 「ちぇっ、つまんないのー。そーゆーことならしょうがないから、ちょっかい出すのやめてあげるわ」 「ちょ、かってにそんなんで納得しないでくれ、アニタ。別に俺とビクトールは―――」 「はいはいはい、いいって、隠さなくったって〜。別に私だって野暮なことは言わないし?」 「わかってくれるか、アニタ。んじゃ、ほんとにちょっかい出すなよ?」 人の話を聞かないアニタとビクトールに、フリックは怒りに任せて拳をがんっとテーブルに叩き付けた。 さすがに驚いてフリックを見た二人に、 「うっ、うるさいっ!俺は、俺は―――っ」 フリックは、興奮しすぎて涙目になりながら、ビクトールに指を突きつけて叫んだ。 「俺はっ、お前なんかっ、大っ嫌いだっ!」 そう言って、だっと酒場を駆け出していってしまった。 「……ちょいと、フリックまじで泣いてなかった?」 さすがに気になったのか、アニタがビクトールを見ると、彼は余裕の笑みを浮かべていた。 「照れてるだけだから大丈夫だろ」 「アンタねぇ…その顔で惚気ないでくれない?」 酷い言いようのアニタに、ビクトールは「本当の事だって」、と軽く返して立ち上がった。 「なーに?アンタ、こーんな美人の隣を立って、オトコ追いかけちゃうわけ?」 心底呆れたように言うアニタに睨まれ、ビクトールはにやりと笑った。 「美人の誘いを断るのは残念だがな。俺にとっての一番の美人がへそ曲げちまってるんだからしょうがねぇさ」 じゃあな、と軽く手を上げ、ビクトールは唖然としてしまったアニタを置いて酒場を出ていってしまった。 「………………………やだねぇ、あの熊、アタマ沸いてんじゃないの?」 大丈夫かなー?とアニタはぼやき、新しいジョッキに口を付けた。 一方、酒場を飛び出したフリックは、怒りの表情のまま、本拠地内の自室に向かって人気の無い通路を歩いていた。 「あの馬鹿熊、馬鹿熊、馬鹿熊、馬鹿熊……っ!」 顔を真っ赤にしながらぶつぶつ呟いて歩く。 「なにがっ!『デキてる』だっ!冗談も大概にしやがれっっ!」 その手の冗談を言われる事が大嫌いなフリックのことを知っているくせに、神経に障る発言をぶちかました相棒に対しての怒りの気持ちは消えそうもない。 よりにもよって、『本拠地の拡声器』との異名を取るアニタに向かってそんなことを言った日には、翌日には本拠地中にその話に尾鰭背鰭がついて回るだろう。そうして、さらにフリックに対してそのネタに関する事を聞いてくる人間も出てくるに違いない。そんな輩の相手をせざるをえないということを考えるだけでも億劫だ。 そんなことを考えながら更に怒りが募ってきたが、本拠地本棟から私室がある西棟へとつながる渡り廊下でふとフリックは足を止めた。 廊下の窓に嵌められた硝子越しに、月の白々とした光が射し込んでいる。 その清冽な光に誘われるようにフリックは窓へ近づいた。 綺麗な月をぼんやりと見上げていると、少しづつ怒りがおさまっていくような気がした。 フリックはそっと目を閉じ、熱くなった頭を冷やすように、窓に額をつけて呟いた。 「馬鹿熊…最低最悪だ、大っ嫌いだ……」 「……そこまで言うかよ」 誰もいないと思って呟いた声に返答があり、フリックは驚いて窓から頭を上げて目を見開いた。 渡り廊下の入り口にもたれかかって立つビクトールが、呆れたような顔をしてフリックを見ていた。 「ビクトール……」 「…お前が俺の事キライなのはわかったけどよ…そう何度も言われると、少しはこたえるぜ?」 苦笑を浮かべて言うビクトールの言葉に、何故かフリックは胸が痛くなった。 「な、なんでこたえるんだよ、お前……」 「だって俺はお前の事好きだからなぁ」 肩をひょいと竦めて答えるビクトールに、フリックは顔を真っ赤にした。 「なっ、なんだよ、それっ」 「言葉そのまんまの意味だけど?」 「嘘だっ」 「嘘じゃねぇって」 「嘘だ!本気なら、何であんなふうに…っ!」 何で、あんなふうに言うんだ。酒で酔っている時に。冗談みたいに。 そう言おうとして、フリックは口をつぐんでしまった。 それは、まるでビクトールに本気で「好きだ」と言って欲しい、と言っているようで。 そんなことあるか、と頭を一振りして、俯いた。 「……やっぱり、お前なんて、嫌いだ……」 囁くようなフリックの言葉に、ビクトールは何も言葉を返してこない。 ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる気配を感じながらも、フリックは顔を上げられないでいた。 フリックから三歩ほどの位置でビクトールは足を止める。そして、どこか静かな声でフリックに言った。 「なあ、フリック…本当に、俺の事嫌いか?」 ひどく真剣な声だった。 その声に、なぜかまた胸が痛くなる。 「……嫌い、だ」 俯いたままそう言ったフリックに、ビクトールはふうっと大きな溜め息を一つつく。 「じゃあよ、お前、俺の目を見て言ってみろよ?『大嫌い』ってさ」 「なっ…」 「正直なのがお前の取り柄だろ?嫌いなら嫌いで、きちんと俺を見て言ってくれ。そうじゃなきゃ、俺にはわかんねぇよ、フリック」 ビクトールには珍しく、静かな、静かなその声に、フリックは先程と同じ胸の痛みを感じて唇を噛みしめた。 「…おまえ、ずるいっ…」 「なにがずるいんだよ、正しい事言ってると思うぜ?で、どうだよ?俺の事嫌いか?」 憎らしいほど落ち着いた声で、ビクトールはフリックを再度促した。 フリックは、ゆっくりと顔を上げた。思ったよりも近い位置に立つビクトールは、逆光でよく表情が見えない。 「…き、きらいだ、お前、なんか…」 何故か上ずる自分の声に嫌気がさしながら、フリックはビクトールを見て言い切った。 フリックの言葉に、ビクトールは再度溜め息をつく。そしていきなり手を伸ばして、フリックの頭を胸に引き寄せた。 「な、なにすんだよっ」 ビクトールの突然の行動に驚き、フリックは慌てて体を引き剥がそうとした。そう言えば、さっきもアニタに同じようにされたな、とどこか頭の冷静な部分がそんな事を考えている。 「お前なぁ…、」 フリックの抵抗を気にした様子もなく、ビクトールは溜め息をつきながら頭を抱えている手と反対の手でフリックの背中を軽く叩いた。 「そんな顔して言うなよなぁ…俺がいじめたみたいじゃねぇかよ」 「え…?」 何を言っているのか、といぶかしんでフリックはもがくのをやめた。 「お前なぁ、自分でわかってねぇのかよ?…本当に俺の事嫌いなら、『嫌い』って言って泣くなよなぁ…」 「な、泣いてなんか…っ」 慌ててフリックは目に手をやった。ビクトールの言う通り、目尻に涙が浮いている。 「き、気づかなかった…なんで…?」 「それとも、泣くほど嫌いってことか…?そうなら、もうお前にちょっかいださねぇよ…」 悪かったな、と呟いてビクトールはフリックの体をそっと離した。 「じゃあ、な。早く休めよ、フリック」 そう言い、ビクトールはフリックの横を擦り抜けて言った。 フリックはビクトールの行動についていけず、呆然としていた。 だが、じわじわとビクトールの言葉が頭に染入り、理解できると同時に、ビクトールを振り返った。 もう、フリックの方を振り返りもせずに去っていくビクトールの後ろ姿が目に入る。 ―――このまま、もう二度と振り向いてもらえないかもしれない。 そう思った瞬間、フリックは先ほど抱いていた見栄とか意地とかが砕けて無くなった様に感じ、思った事をそのまま 叫んでいた。 「待てよっ!行くなっ、ビクトール!!」 フリックの叫びに、驚いたように足を止めたビクトールが振り返る。 その場に立ち尽くしたままのビクトールに走り寄り、フリックはその腕をつかんだ。 「俺、お前の事が嫌いなんじゃない!茶化したように『デキてる』とか言われるのが嫌なんだけなんだよ!」 必死になってビクトールを見上げると、驚いていたビクトールは、不意に真顔でフリックを見た。 「なぁ、フリック。なんで茶化したように言われるの、嫌なんだ?」 「なんでって…だって、嫌じゃないか、冗談で言われてるんだったら。俺はお前の事好きなのに…っ!?」 はっとして口をつぐむが、一度飛び出した言葉が口に戻るはずもなく、フリックは真っ赤になって俯いてしまった。 口にして、はっきりと自覚した。 自分は、ビクトールの事が好きなのだ、と。 だから冗談で言われるのが嫌だったのだ。 本気で、言って欲しかったのだ。 自分が好きなのと同じくらい、相手にも好きでいてもらいたい、という子供じみた想いを胸に抱いていたから、怒ったのだ―――。 「…フリック、顔、上げてくれよ」 ひどく優しい声で、ビクトールがそっと言った。 だがフリックは、あまりにも恥ずかしくてますます顔を俯けてしまう。 「こら、こっち向けって」 声に笑いが混じっている。なおも顔を背けようとするフリックの顔に手を当て上向かせ、ビクトールは無理矢理額を合わせた。 いきなりそんなことをされ、フリックはうろたえた。 「な、なんだよ」 それでもなんとか虚勢を張ろうと、上目遣いにビクトールを睨んだが―――相手がなぜか笑っていたので、その勢いも殺がれてしまった。 「ようやく言ってくれたな…フリック」 「なにが…?」 「『好き』ってさ♪」 ビクトールの言葉に、フリックは再度真っ赤になった。慌てて身を離そうともがくが、ビクトールは頓着せずに笑っていた。 「言ってくれよ、たまにはさ。そりゃ、お前が口悪いのは知ってるけどよ。『嫌い』って言われるより、『好き』って言われる方がずーっとうれしいんだからよ」 その言葉に、フリックははっとした。 ビクトールは、軽く言っているが、目は真剣だ。 そう言われて、フリックは思い返してみると「嫌い」と叫んだことはあっても、「好き」と囁いたことはなかったと思う。 だがしかし。 「……ちょっと待て。まさかと思うが、お前―――」 その一言を言わせるために、わざと酒場であんな事を言ったりしたのでは―――。 余裕な態度のビクトールに、思わずフリックはそんな疑問を持った。 フリックの言葉に、ビクトールは一瞬口ごもってから、「そ、そんなわけあるはずがないだろう、ハッハッハ…」と笑う。 どこか白々しいその態度に、フリックはますます不信感を抱いた。 「―――おいこらビクトール。なにが『そんなわけ』なんだ?俺は『まさかとは思うが』としか言ってないぞ?」 珍しくも鋭いフリックの突っ込みに、ビクトールはその笑いをこわばらせた。 それが答えだ。 わざわざ「好きだ」と言わせるために、この男はあんな芝居がかったことをしたというのか。そもそもどこからが策略だったのか。もしやアニタまで荷担しているのではないか――― そんな考えが頭をめぐる。 「おまえ…っそんなくだらないことで俺を悩ませたのか……っ」 握った拳がふるふると震えているのを自覚しながら、地獄の底よりも低い声でビクトールに言う。 「お、おい、フリック…俺の話を―――」 その声音に、本気でフリックが怒りモードに入ったことに気付いたビクトールは慌てて身を離して言い訳を口にしようとしたが――― 「聞く耳もたん!!いっぺん死んでこいっ!この馬鹿熊ぁっ!!!」 目にもとまらぬフリックの右ストレートを顎に食らい、ビクトールはその場に沈んだ……。 翌日。 「あれー?フリック、ひとり?」 食堂に姿をあらわしたフリックを見て、すでに朝食をとっていたアニタが声をかける。 向けられた顔がすさまじく不機嫌だったので、アニタは一瞬ひるんだが、それでも気になってしょうがないことを口にした。 「結局、仲直りしなかったの?ビクトールと―――」 「知るか、あんな馬鹿熊」 アニタの言葉を遮り、きっぱりとした口調で言うフリックに、「うわっ、もしかして地雷踏んだかも…」とアニタは首を竦め、そのまま回れ右をして、不機嫌なオーラを身に纏うフリックに背を向けた。 顎に残る青痣と、倒れた拍子にできた後頭部のたんこぶと、そして二日酔いに苛まれ、ビクトールはベッドに突っ伏していたということは言うまでもないだろう――― fin... |
■あとがき■ |