■キリ番 666/くらげ様■
ぬ く も り
パチパチと火の爆ぜる音がする。 砂漠の夜は、昼間からは想像できないほどに寒い。火を付け、薄い毛布を体に巻き付けても、寒さは身に染み込んでくる。 いつも身に付けているマントの上から防砂用のコートを袖を通さずに肩にかけ、さらに毛布をかけているのに一向に温まる気配を見せない体に、フリックは軽く舌打ちをした。 「…寒いのか?情けねぇなぁ…」 俺より厚着なのに、と数少ない薪をゆっくりと火にくべながら、ビクトールが苦笑する。 「…寒いのは苦手なんだ」 ぼそり、とフリックが呟く。 もともとフリックは、このセナンの砂漠地帯よりもずっと南、ロリマー地方の戦士の村で生まれ育った。 緑に囲まれた村は、冬でもそれなりに暖かく、池に氷が張ることもまれなくらいだ。要するに寒さに対する耐性がないのだ。 対するビクトールは、ここよりも更に北、ジョウストン都市同盟の一都市サウスウィンドウのノースウィンドウの村の出身で、「トランは暑い!」と、年がら年中薄着ですごすような男だ。この砂漠の寒さも、そこまで堪えていないように見える。 「暖まらないなら、俺が暖めてやろうか?」 この間みたいによ。と続けるビクトールの言葉に、フリックはさーっと青ざめた。 「いい!それだけは、いい!!!」 勢いよく首を振って拒絶すると、ビクトールは少しだけ傷付いた顔をした。しかし、フリックはそんな顔に騙されないぞ、と心に誓う。 「…お前が、あんまり人にべたべたされるの好きじゃねぇのは知ってるけどよ…なんつーか、もうちょっとうちとけてくれてもいいんじゃねぇかって、時々思うぞ、俺」 ふうっ、と溜め息をついて、視線を落すビクトール。しかし、フリックは心を動かされなかった。 「お前な。そういう問題じゃないんだよ」 じろり、と睨み上げて冷たく言った。 「この間のことでよく分かった」 この間。一週間ほど前のこと。ようやくトランとジョウストンの真ん中くらいに位置するオアシスにたどり着いた時、フリックは疲労と、治りきらない傷の痛みとで倒れてしまった。その時に、ビクトールに抱き込まれて寝てしまったのだが――――― 「お前、寝相悪すぎだ。いびきはもう慣れたからそんなに気にならないけどな」 「寝相が悪いって…いや、べつに、蹴ったり殴ったりってするわけじゃねぇし…」 自分が仕出かしたことを思い出したらしいビクトールが、髪をかきながら言い訳を口にする。 そんなビクトールに、フリックは冷たい目をむけた。 「蹴ったり殴ったりはしなかったよな?確かに。だがなぁ、ビクトール…」 フリックの怒りを感じたらしいビクトールは、びくっとして身を引いた。 「お前、思いっきり抱きしめて離してくれなかったよな?…まあ、そのことに対して言いたいことも色々あるけど」 何が悲しくって、男に抱きしめられて眠らなければならないのか、とブルーになった気持ちを思い出し、フリックは一瞬遠い目をした。 しかし、それも一瞬のこと。それよりもさらに酷い記憶が蘇り、きっ、とビクトールを睨み付けた。 「自分の馬鹿力を忘れて、思い切り傷口、押さえつけてくれたよなぁ。しかも!人が死ぬほど痛がって起こしても、寝ぼけて離してくれなかっただろう!!」 「あ、あれは…、…でも、お前だって俺に雷落して起こしたし、おあいこってことで―――――」 「お前が起きないからだろう!紋章使ったせいで、余計体に負担かかるし!はっきり言って、あの時は本気で死ぬかもしれないと思ったんだからな!!」 殴っても蹴っても大声を出しても起きようとしないビクトールに業を煮やし、フリックは雷鳴の紋章レベル4の「雷の嵐」をぶちかましてしまったのだ。本当は「天雷」にするつもりだったのだが、疲れと痛みから紋章を制御できなかったらしい。 結果、ビクトールは景気よく焦げ、フリックは傷口を圧迫されなくなった代わりに大きな紋章術を使ったために息も絶え絶えで気絶してしまったのだ。よく死ななかったと思う…お互いに。 「とにかく、またあんなことになったらたまったもんじゃない!次に同じ状態になったら俺は間違いなく死ぬ!絶対に死ぬ!!」 砂漠横断の強行軍で力尽きて死ぬならともかく―――といっても死ぬ気は更々ないが―――「寝相の悪い人間に抱きしめられて窒息死」なんて、ある意味マヌケなことで死を覚悟するのは御免だった。 「絶っっっ対にあんなことはしないからな!」 フリックは、きっぱりはっきりビクトールの申し出を二度と受けるつもりがないことを断言した。 痛みと寒さだったら、寒さのほうがまだ我慢できるというものだ。 「フリック〜」 「うるさい」 情けない声を上げるビクトールを冷たくあしらって、フリックは荷物の位置をずらた。その上に頭がくるように、毛布にくるまって、横たわる。 「もう寝る。お前もさっさと寝ろよ」 「おーい………」 毛布を鼻の下まで引っ張り上げて、フリックは目を閉じた。 やはり体はまだ寒いが、寒がっていつまでも寝ないのでは体力が持たない。ただでさえ怪我のせいで体力が落ちているフリックは、とっとと寝るべく、「寒い」という感覚をがんばって頭の隅に追いやった。 そんな努力をするフリックの背中にビクトールの溜め息が聞こえてきた。 (少し、言いすぎたか…) フリックは目を閉じたまま、そんなことを思った。 確かに死ぬほど痛かったけれど、あんなに抱きしめられるまでは、非常に寝心地がよかったのだ―――ビクトールの腕の中は。 暖かくて、力強くて――― (やっぱり、熊だからかな) こっそりと笑う。 (傷が治ったら―――別に、いいんだけどな…) ビクトールと旅をするようになってから、フリックは昔ほど同性とのスキンシップが苦手ではなくなってきた。 ビクトールのあけっぴろげな態度は、今までに例がないほど心地よい。 今までならば容赦なく相手を殴り飛ばしていただろう行為に対しても、ビクトールがすると、そういう気があまり起きないのだ。 (それだけ、信頼してる、ってことなんだよな…たぶん) 怒りを感じることもあれば、煩わしいと思う時だってある。 しかし、なんだかんだ言っても、共に戦う同志というだけではなく、背中を預けられる相棒として、認識しているのだ。 (傷が治ったら―――あいつが「うちとけてる」って思えるくらい、甘えてやるか―――) そんなことをつらつら考えていたら、自然と眠気が襲ってきた。しかし、同時に寒気がして、くしゃみを一つ、する。 その時、じゃりっと砂を踏みしめる音がした。ビクトールが立ち上がったのだろう。 フリックに近づく気配がして、そして。 「…風邪ひくぞ、いじっぱりめ…」 笑いを含んだ声。ふわり、となにかが体にかかる感触。 そして、ビクトールは先ほどの場所まで戻り、どっかりと横になったようだ。 しばらくして、あいかわらずのいびきが響いてくる。 フリックは目を開いて、かけられたものに、そっと手を伸ばして触れた。 ビクトールの体温で暖かくなった毛布だ。 「…そんなに甘やかすなよ、馬鹿熊…」 毛布に顔を埋めて、フリックは呟く。 微かにビクトールの匂いのする毛布に体を包まれ、フリックは、なんだかビクトールの腕に抱かれているようだ、と思った。 ―――今夜は、きっと、いい夢が見られる気がする――― ビクトールのぬくもりを感じながら、フリックは眠りに落ちていった―――――― fin... |
■あとがき■ |