■キリ番 6250/かず様■
無 自 覚 な 視 線
ふ、と目の前の青年が足を止めた。 「お、どうしたフリック?」 一歩下がって後についていたビクトールは、少しだけ遅れて足を止める。その結果横に並ぶことになったフリックにちろりと視線を向けると、何やら眉間に皺を寄せて「おかしい」と呟いた。 「なにがだよ」 再度のビクトールの問いかけに、フリックはちらりと視線を向けたが、答えを返さずに踵を返す。 「おいこら待てよ」 フリックが自分を何故か苦手にしているのは知っているが、それでも生来の真面目な性格ゆえか問いかけを無視するようなことはほとんどない。 何か異常事態か、と、今出てきたばかりの部屋に向かって足早に進むフリックを追いかける。 さして広くもない地下アジトの一番奥、会議室として使用している部屋の扉をノックもせずに開け放ったフリックに、部屋の中に残っていたオデッサとサンチェスが驚いたように顔を上げた。 「どうしたの、フリック?」 声もかけずノックもしないで部屋に入ってくるフリックを見て首を傾げてオデッサがそう聞くが、フリックは無言のままそのオデッサへと歩み寄る。扉のところで立ち止まりその成り行きを見ていたビクトールに、オデッサは困ったようにちらりと視線を投げてくるが、ビクトールは首を横に振って肩をすくめた。 答えを求められても、ビクトールも訳がわからないのだ。このフリックの突然の行動が。 先ほどまでこの会議室で明日から行う南方への偵察について打ち合わせをしていたのだが、その時は普段と変わりない様子だった。サンチェスの情報に耳を傾け、的確なアドバイスをオデッサにし、時折言葉を挟むビクトールに鋭い視線を向けつつもその意見を取り入れて行動方針を決定―――それはいつものことだった。 会議を終えて、まだ話があるというオデッサとサンチェスを残し退出して、それぞれ部屋に戻るところだったのだが―――。 (俺はなんもしてねぇしなぁ) 同じ方向にある部屋に戻るのだから必然的に共に進むことになるわけだが、特にフリックの機嫌を損ねるような言葉をかけたつもりはないし、それにビクトールに向けて何か怒っているという雰囲気でもなかった。 それとも殺気でも感じたというのだろうか。それにしては剣に手もかけていなかったし、何よりビクトールには誰かが潜んでいるような気配は感じられなかった。 さっぱり訳がわからん、と首を捻っていると、「オデッサ、」と、彼女の横で足を止めたフリックが静かな声で呼びかける。 「一体どうしたの、フリック?」 座ったままフリックの顔を見上げて首を傾げたオデッサに、フリックは一瞬困ったような、怒ったような―――そんな不思議な顔をして小さく溜息をついた。 「オデッサ、ちょっと立ってみてくれ」 唐突な言葉に、ビクトールもサンチェスも首を捻るばかりだ。だが。 「―――どうして?」 オデッサは少しだけ硬い口調で問い返した。見れば表情もどことなく困ったようなものになっている。 なにやらオデッサには、フリックのこの突然の行動の理由に心当たりがあるのだろうか。 一方フリックは、そのオデッサの問い返しに少しだけ眉根を上げた。 「どうしても。別に立つ位なんでもないだろう?」 「それはそうだけど―――なんでわざわざ?」 確かに椅子から立ち上がるくらいなんでもないことだろうに、妙にオデッサはフリックの言葉に抵抗する。さすがに事情がわからないビクトールにも、オデッサが立ち上がりたくない理由が何かあるのだということに気がついた。そして、それがフリックのよくわからない行動の理由なのだろう。 「確かめたいことがあるから」 「………座ったままじゃ、ダメなの?」 「オデッサ」 短く、だが強い口調で名を呼ぶフリックに、オデッサは深々と溜息をついて肩を落とした。それ以上は抵抗しても無駄だと判断したのだろう。 「わかったわ。部屋に戻るから―――そんなに心配しないで?」 了承の言葉を伝えつつも、それでも立ち上がらずにフリックを見上げて苦笑を浮かべたオデッサに、フリックは眉間に皺を寄せた。 「サンチェス、ごめんなさい。残りの書類は部屋で見るから……明日の朝まででいい?」 困惑した表情でそのやりとりを見ていたサンチェスは、オデッサの言葉に頷き、それからフリックへと視線を向けて「フリックさん?」と問いただすような口調で名を呼んだ。 「熱が、あるみたいだ」 さっき気づいたんだが、と言うフリックに、サンチェスとビクトールは「熱?」と思わず同時に問い返していた。 それにばつが悪い顔をしてオデッサが肩をすくめた。 「ばれない自信はあったんだけど……」 オデッサの言葉に、ビクトールは改めて彼女の顔を見た。別にいつもと変わらない顔色だし、呼吸も落ち着いている。汗をかいている様子も見られない―――。 「……フリック、お前なんで気づいたんだ?」 確か今日一日、フリックはずっと外にいた。オデッサと顔を合わせたのは先ほどの会議だけだったはずである。その時は普通に接していたから、たとえば身体に触れて熱があることに気づいた、ということはないはずなのに。 「そうですよ。私なんか今日は一日ずっとオデッサ様と一緒にいたのに……」 全く気づかなかった、と不思議そうに言うサンチェスに、フリックは逆に少し驚いた顔をした。 「え、いや、溜息がいつもより多かったし―――」 解放軍の現状は特にいつもと変わりがないからそれに対して溜息が増えていたというわけでもないだろう、と気になっていたと言うフリックは、「それに、」とオデッサに視線を向けて苦笑を浮かべた。 「いつもより目元が少しだけ潤んでいるしさ」 だから熱があるんじゃないかと思った、と言うフリックにオデッサは肩をすくめた。 「フリックにはばれたかな、とは思っていたんだけどね。会議室を素直に出て行ったから大丈夫かと思ったのに……」 「オデッサの無理には慣れたからな。多少のことじゃ騙されないさ」 「騙したわけじゃないわよ?」 「わかってる。どうせすぐに治るから黙っておこうって思ってたんだろ?」 二人のやりとりに、ビクトールははぁ、と溜息をついて「あのよ、」と口を挟んだ。 「調子、悪いんだったらさっさと部屋に戻れよオデッサ」 いつまでもここでじゃれあってないで、と言外に込めて言えば、オデッサは「それもそうね」とあっさり頷いた。テーブルに手をついて立ち上がったオデッサは少しだけ辛そうで、かなり熱が高いのではないかと思われた。 その姿に、かなり無理をしていたのだな、と今更ながらにビクトールは思った。フリックが気づかなければ、もしかしたら危なかったかもしれない。 「よく見てるよなぁ、お前」 しみじみ感心したように言うビクトールに、フリックは何を今更、という顔をした。 「これくらい、普通に見ていても気づくだろう」 至極真面目な表情で言い切られ、ビクトールは柄にもなく一瞬なんと返したものかと悩んだ。 「……………………そ、そうか」 と結局は無難な相槌をうつ。その微妙に動揺したビクトールの口調に訝しい表情を浮かべたが、それよりもオデッサの方が気にかかるのだろう、フリックはそれ以上ビクトールを追及することなくオデッサに腕を差し出した。ちょっとだけ笑みを浮かべ、オデッサはその腕に手を回し、 「それじゃ、休ませて貰うわ。ごめんなさいね」 サンチェスにそう言い残し、フリックの腕に軽く体重を預けた状態で部屋を後にした。 残されたビクトールは、深々と溜息をついた。 「…………普通に見ててもわかんねぇって、絶対」 人より観察眼が優れているという自負をビクトールは持っていたが、それ以上にオデッサの隠し方は巧妙だった。普通に見ているだけで気づけるわけがないだろう、とぼやくビクトールの言葉に、サンチェスは苦笑をこぼした。 「どれだけ自分がオデッサ様のことをよく見てるか、フリックさんは気づいていないんですよきっと」 「オデッサの方は、見られてるって自覚があるようだけどなあ」 まったくお似合いの二人だよ、とビクトールは肩をすくめた。 fin... |
■あとがき■ |