■キリ番 555/新堂周様■
ど う に も と ま ら ぬ こ の 想 い
都市同盟軍本拠地・風雲城。年若き少年が指導者を努めるこの城には、多くの人間が生活している。 同盟軍の一員として闘いたいと望む者、兵士たちの生活を支えようとする者、またその家族たち。 同盟軍の規模が拡大していくことは望ましいことなのだが、それに比例して生活空間が増えていくことには、たびたび悩まされる。なぜならば、そこまでこの本拠地は広くなかったからだ。 それでも、予算の都合がつく限り城の増築を行い、人々の生活を少しでも快適にしようと城主は頑張ってきた。 その結果、城の造りだけでなく、城下町の造りまでもが複雑になり、よく道に迷う人間が増えていた。 「これでも、なるべくわかりやすいようには造ってもらってるんですよ」 道が複雑だ、と嘆かれる声を聞くたびに、城主のフェイは苦笑しながらそう返している。 フェイにしても時折道を間違えて、目的の場所になかなか辿り着けないこともあるのだ。いつしか裏道に入り込んでしまい、どこだか分からない場所に出てしまうことも少なくない。 そして、今日もひとり、その迷路に踏み込んでしまった人間がいた。 「あーれー?ちょっとここどこよ」 きょろきょろと辺りを見回した少女は、1月前にここに着たばかり。それでも、毎日ある人を探し回って歩いているうちに、この城のつくりには昔からいる人間とかわらないくらいに詳しくなっていると自負できる。 「このわたしにも知らない道がまだあったのね……ということは、調べられていない場所がまだまだあるってことよね。うーん、要チェックだわ」 そう言って懐から取り出したのは、小さなメモ帳だった。ピンク色の表紙に可愛らしい文字で『ニナの秘密ノート』と書かれている。 一番新しいページを開き、『兵舎の左奥の茂みを抜けたところに、新しい道発見』と書き込む。 満足そうに頷いて少女―――ニナは、メモ帳をしまった。 「それにしてもこんな奥にまだ道が続いているなんて驚きだわ」 兵舎の奥はすぐに壁があり、行き止まりになっていると思っていた。それもそのはず、兵舎は本拠地の一番外れにあり、その本拠地は、突き出た半島にそそりたっているからだ。 茂みを越えたところで、壁が通り抜けられたとしてもそこは断崖絶壁だと思うのが普通である。 しかし、その茂みを越えた壁には大人ひとりが抜けられるような穴があったのだ。 「一体誰がこんなもの開けたのかしら」 好奇心旺盛なニナは、その穴からそっと顔を出してみた。すると、すぐに崖かと思われた場所には勾配の急な坂道が下へと続いていた。そして、その先には崖に突き出した場所があり、小さな小屋が建っていた。 おそらく湖を見張る為の小屋だろう。 「なるほどね、あんなところにもちゃんと目を光らせてるのね。やるわね、フェイ君も」 自分とさほど年が変わらないのに、同盟軍を率いているだけはある。 感心しながら、ニナは頭を引っ込めた。運動神経には自信があったが、こんなに急な坂道は下りたくない。 茂みを掻き分け、ニナは元の場所に戻った。茂みから抜け出し、服についた葉を軽くはたいて落とす。 「さて、と。続きを探しに行かなくちゃ」 にっこり笑ってニナは腰に手を当てて、握り拳を突き上げた。 「今日はお昼までにフリックさんを見つけてみせるわ!待っててね〜フリックさ〜ん!!」 運命の人と決めた青年を求め、ニナは元気よく走っていった。 それから数十秒後。 「………行ったか?」 「行ったようですね」 ニナが調べていた茂みの横に立つ大きな木ががさりと揺れ、そこから人が飛び降りてきた。 「ふー、危なかったな」 そう呟いて冷や汗を拭ったのは、ニナが探していたフリックだった。同じく木の上から身軽に降りてきたのは、額に橙色と焦げ茶色の二色で染め上げたバンダナをしている青年だった。 それは、以前ミューズにあった傭兵の砦出身者がどこかに必ず身に付けているもので、この青年も例に漏れず、砦が健在の時代からフリックの元で戦い、今ではフリックが率いる隊の副官を務めている。 そんなわけで、青年は付き合いが長い分、フリックが本気で困っているのかどうかの見極め位はつくようになっていた。 ニナの猛烈なラブラブアタックを、フリックが嫌がっているというよりもどうしていいのかわからずに対応に困って逃げ回っているということがよくわかっていたので、このように隠れる手助けをよくしていた。だが。 「それにしても、情けないですよ、副長………」 戦場であれだけ恐れられる戦士が、ただの女の子(ニナを”ただの”と言っていいのか不明だが)に振り回されている。 それがなんだか哀しくて―――というよりのも嘆かわしくて、呆れた口調で言えば、フリックも自覚があるのか苦笑した。 「そういわないでくれよ、ティルス」 「まあ、いいですけどね。それよりも、そろそろ軍議が始まる時間ですよ。行かないとまずいんじゃないですか?」 青年―――ティルスの言葉に、フリックは「しまった」とい顔をして頷いた。 「行ってくる。ありがとうな、ティルス」 軽く手を挙げ、フリックは軍議を行う大会議室へ向かって走り出した。それを見送ってから、ティルスはふぅっという重い溜め息をついた。 「どうしたもんかなあ………」 ミューズの傭兵隊に入ってから世話になってきたので、手助けくらいはしたかったが、はっきり言って色恋沙汰に第三者が絡むことほど野暮なことはない。と言っても、ニナの「あれ」が色恋沙汰というものかどうかは甚だ疑問ではあるのだが。 どちらかと言えば、有名人の追っかけと言ったほうがしっくりくるだろうと思う。 「ま、ほっとくのが一番、かなあ」 その時、ティルスの独り言に「ふふふふふ………」という怪しい低音の笑い声が返ってきた。 吃驚して振り返ったティルスは、そこに見知った人物が立っていたのを見て、肩の力を抜く。 「驚かさないで下さいよ、ルディスさん………」 ティルスの背後を取って立っていたルディスもまた傭兵隊出身の男だった。砦時代は事務処理能力を買われて、よくフリックの手伝いをしていた男である。 腕組して立っていたルディスは、その腕を解いてびしりとティルスに指を突きつけた。 「甘い、甘いぞティルス!そんなことで副長の副官と言えるのか!」 「な、なにがですか」 唐突に現れて訳のわからないことを言われ、ティルスは首をかしげた。そのティルスに「嘆かわしい」と深い溜め息をついてルディスは首を横に振る。 「いいか、ティルス。副長の右腕としての自覚があるのならば、お前にも分かっているだろう。副長の障害になる事象が発生した場合、どのように対処したらいいのか」 「はあ。まあ、それはわかってますけど」 まさかこの場合、ニナを排除しろとか言うんじゃないだろうな、と少しだけ不安に思いながらティルスは答えた。 立ちふさがる敵を排除するならともかくとして、ただの女の子をどうにかしろと言われたら、はっきり言って困る。それくらいならば敵の真ん中に突っ込むほうが気が楽だ。 だが、ティルスの思いを無視してルディスは「その通り!」と大きく頷く。 「副長には隊長という、どーやっても無視できない荷物がある!」 当の本人が聞いたら、「おいおい」と抗議しそうな台詞を口にするルディスに、いつの間にやら集まっていた男たちが「その通り!」と唱和する。 周りを取り囲む男たち全員に見覚えがあり、ティルスは頭を抑えた。全員、元砦の傭兵隊の人間だ。そして付け加えるならば。 「苦労の多い副長に、これ以上気苦労をかけないためにも!」 「我々『副長を敬愛する会』一同は、明日より諸悪の根源、ニナを排除する!!」 「おおー!!!」 熱く雄叫ぶ男たち―――つまり、『副長を敬愛する会』会員一同は「えいえいおー!」と拳を振り上げた。 「勘弁してよ……」 同じ隊員ではあるが、『副長を敬愛する会』―――その名の通り、副長を敬愛する人々が集った会―――のノリについていけない―――というかついていく気のないティルスがげんなりとこぼしたが、誰も聞いてはくれなかった。 それは、彼らとニナとの長きにわたる戦いの始まりであり、そして。 副長こと’青雷’のフリックの、新たなる苦労の始まりでもあった――――。 翌日。 「あれ、ニナちゃんじゃない?」 「あ、ほんとだ。ニナちゃーん!」 城の中を一緒に散歩していたナナミとメグは、前方から歩いてくる人影に気がつき、勢いよく手を振った。 その声に、ニナのほうも「やっほー、ナナミちゃん、メグちゃん!」とにこにこ笑いながら手を振る。 「ねえねえナナミちゃんたち、フリックさん見なかった?」 ニナは近づきながらそう聞いた。いつもと変わらぬ問いかけに、 「フリックさん?フリックさんかあ」 首を捻り、ナナミはメグと顔を見合わせてからしばし考え込むような顔をしたが、すぐに「今日は見てないや」と笑いながら言う。 ニナは思案気な顔をしてから頷く。 「そっかあ。今日はそういう答えが多いのよね。もしかして出かけてるのかしら?」 「あ、それはあるかもよ?ビクトールさんも見てないから、偵察にでも行ってるのかも」 ナナミの言葉に、メグも言う。 「もしかしたら二日酔いで起きれないでいたりしてね」 その言葉に、ニナは首を振った。 「部屋には行ってみたけど、もういなかったの。あ、当然熊もね」 大好きなフリックといつもつるんでいるビクトールを、ニナはそう呼ぶ。相変わらずのニナの様子に、ナナミとメグはくすりと笑った。 「じゃあ、もしも見かけたら教えてね」 そう言って、ニナは二人に手を振って先に進もうとした。その鼻先を何かがかすめて、そして。 どかっ。 「…………………」 目の前に突き刺さるものを、ニナはまじまじと見つめる。その光景に、立ち去ろうとしていたナナミ達の方が驚いた。 「きゃー!ニナちゃん!?」 「ちょっと、大丈夫!?」 そう叫ばれて、ようやく目の前をよぎり、壁に突き刺さったものが何かに気がついたニナは、それを掴んで引き抜いた。 青い風切り羽がついた矢である。その矢柄に白い紙が結ばれていた。 「ニナちゃん、触らない方がいいって!」 ナナミが止めようとするのを空いた手で静止して、その紙をほどく。そこには一言だけ書かれていた。 その言葉を見た途端、ふるふると震え出したニナに、ナナミもメグも心配してその手元の紙を覗き込む。 「どーしたの、ニナちゃん?…………………………………………………………??なにこれ?」 「…………”天誅”って、なってるよねぇ」 天誅。天が下す罰。 言葉の意味がナナミとメグの脳裏を駆け巡る。 「どういう意味だろ。言葉のままの意味なのかなあ」 ナナミが首をかしげて誰にともなく言う。それに答えられる人間はこの場所にはいなかった。 唯一いるとすれば、襲われた当人だろう―――心当たりがあるのならば。 ニナは、紙をぐしゃりと握りつぶした。きっとした表情で顔を上げる。その形相は、怯えている表情ではなく、怒り心頭といったほうが相応しいものだった。思わず、ナナミ達は一歩後ろへ下がる。そんなことにはお構いなしに、ニナは叫んだ。 「誰だか知らないけれど上等よ!このニナ様に喧嘩を売って、ただでは済ませないわよ!!」 「……………うわあ、ニナちゃんやる気だよ」 「ほんとだね、どうしよう」 「………………………………………………………」 「……………………………………………………………………ま、いっか」 「そうだねぇ。とばっちりはいやだもんね」 怒りに燃えるニナを少しだけ遠巻きにして見守っていたナナミ達は、喧嘩を売った人間に心底同情した。 その日から、ニナに不慮の災難が降りかかるようになった。 中庭を歩いていたら、落とし穴に遭遇。たまたま一緒に歩いていたビッキーが先にはまってくれたので回避できた。 裏の畑の辺りを歩いていたら、巨大モグラが突然茂みから飛び出してきた。肌身離さず持ち歩いている愛のブックベルトレベル16・攻撃力165で問答無用で撃退。ユズに拍手をもらって一礼する。 屋上から外を見ていたら背後からムササビーズに激突される。が、あわやというところで危険を察知し、身をかわす。ムササビーズは勢い余って屋根に激突して失神するが、特に壊れたところもなく概ね問題なし。 その他色々と手を変え、技を変えて敵はやってくる。 しかし、1つだけ共通したことがあった。罠や攻撃を仕掛けてくるものには必ず青い色がどこかにつけられているのだ。 ニナに対する攻撃であることを考えれば、それが何を意味するのか、すぐにわかる。 「こんなことでは諦めないわよ」 頭上から落ちてきた岩を上手く避け、そこにまた青いしるしを見つけたニナは、険しい表情で呟いた。 こんなことを仕出かすのが誰なのか、ニナには分かっていた。 伊達にこの城中を歩き回っているわけではない。今ではリッチモンドと同等、フリックに関しては彼以上に情報通なニナである。 フリックを追いかける自分を排除しようとするほど疎むのは、「彼ら」しかいない。ニナ自身が隙あらば彼らをどうにかしようと考えているのと同じように。 しかし、いつまでもこんな状況が続くのは、はっきり言って御免だと思い始めていたニナは、決心をした。 「やられっぱなしなんて癪だから、ね」 それは、草木も眠る午前2時。 「さて諸君。はじめようか」 静寂を壊さぬよう、極力小さくおさえられた声に、これまた小さな声で「おう」だの「ああ」だのいう返事の声があがる。 兵士の宿舎の裏手の納屋である。普通に喋る程度であれば、声はほとんど外に漏れないだろう。それでもこの集いに参加している面々は、自分たちの話している内容が少しでも外に漏れることを嫌い、こうして小声でこそこそと話しているのである。 暗い納屋に、小さな蝋燭がひとつ。その橙色の小さな光に照らされた人の数は、およそ15名ほど。 その中でもリーダー格の男が納屋の一番奥に陣取り、その場を仕切っている。 「今回の会合の目的は、皆わかっていることだと思う」 またもや小さな声で応えが返る。ただし、先ほどの返事よりも熱のこもった声だった。 それに、リーダーはしっかりと頷く。 「我々はこの会合の存在を人々に隠し通すため、しばらくの間、こうした集会を開いていなかった」 いささか芝居がかった台詞だったが、その場にいた人間は「うん、うん」と頷く。その頷きと共に、一様に額に巻かれているバンダナが揺らめき、不可思議な影を部屋の中に落とした。 「今でもいつ誰に知られるか、という不安は拭えない。それでも、今回の会合は開かなければならなかったのだ」 「おおー!」という勇ましい声を上げかけ、彼らは慌ててその口を押さえた。 「……勇ましいのはけっこうだ。今回のターゲットは、かなりの強敵だからな」 男の言葉に、その場にいた人間は顔を見合わせた。 「……確かに勇ましいよな」 「そうだよな。普通、あんな武器でモンスターをなぎ倒したりはできないよな」 「というか、軍師殿にさえ食ってかかる、あの気の強さ」 「そして、あの隊長を殴り飛ばす気の強さ」 「確かに、強敵だ!」 「あれだけ色々仕掛けたっていうのに……ことごとく切り抜けているからな」 「うむ。生半可な手では太刀打ちできまい」 こそこそと話しあう彼らに、「だからと言って!」とリーダーの男は拳を振り上げた。 男たちはぴたりと話し合うのをやめ、彼を見つめる。 「だからと言って、俺たちは諦めるわけにはいかないのだ!」 「そうだ!!」 男たちもリーダーに合わせて握り拳を振り上げた。 「これ以上、我々の副長にちょっかいを出されない為にも!」 その中の一人の男の言葉に、リーダーは声を張り上げた。 「我々『副長を敬愛する会』一同は、諸悪の根源、ニナを排除するための努力を怠らないぞ!!」 「おおー!!!」 すでに声が外に漏れることを忘れ去り、熱くなった男たち―――『副長を敬愛する会』会員一同は「えいえいおー!」という声を上げた。そこへ冷たい声が響く。 「ふぅぅぅぅぅん。やっぱりあんたたちだったのね」 それと同時に、ぱっと光が部屋の中へ差し込んできた。 「!しまった!!!」 あれだけ大声を出しておいてしまったもなにもないとは思うが、男たちは一斉に立ち上がり顔を隠す。 「今更顔を隠しても無駄よ無駄っ!ねえ、『副長を敬愛する会』のリーダー、ルディスさん?」 「……………我々の存在を知っているとは、さすが侮れないな」 余裕たっぷりのニナの声に、一番奥で陣取り、人々に演説をしていた男が一歩前へ足を踏み出した。 それは間違いなく、ルディスであった。さすがにリーダー格だけあり、他の男たちよりも貫禄がある。 彼をじっと見つめながら、ニナは少しだけ口もとに笑みを浮かべた。 「フリックさんのことを少しでも知りたいと思っていろんな人に話を聞いたから。あなたたちの存在は巧妙に隠されてはいたけれど、ね。だけど、会員以外の人間がひとりでも知っていたら、噂って言うのは必ず耳に入るものよ。まして、その知っている人があなたたちをあまりよく思っていなければ、なおさら」 「…………隊長、か」 心当たりがあったのだろう、ルディスが苦々しく呟く。ニナはにこりと笑うことで肯定した。 「それで、わざわざここに顔を出したと言うことは―――我々に何か言いたいことでもあるのか?」 言いたいも何もないことではあるが、ルディスはふてぶてしく言い放った。しかし、ニナも負けてはいなかった。 「わたしはね、好きでフリックさんを追いかけているの。あれくらいの妨害で諦める程度のものでもないのね。でも、面倒なわけ。いいちいち避けるのが」 あれくらいの、と言われて、一部でざわめきが起こる。やはり只者ではない、と。そのざわめきを、ルディスは手で制した。再び、小屋の中は静かになる。 「で、個人の自由っていうものはやっぱり尊重されるものだと思うのよ」 「まあ、それはそうだろうな」 個人の自由を妨害しようとしていた男は重々しく頷いた。それにニナはうっすらとした笑みを浮かべる。 それは、今までにないくらいに可憐な微笑みで、男たちは逆に恐ろしくて、無意識に後ずさった。 ニナは、片手に下げていた紙袋に手を入れ、そこからなにやら四角い箱を取り出した。 見たこともない代物に、男たちは首を捻る。 「それはなんだ?」 代表してルディスがニナに尋ねる。 「いいものを、アダリーさんからもらったの」 ニナは微笑んだまま、その箱の上部に取り付けられた小さなボタンを押した。 『これ以上、我々の副長にちょっかいを出されない為にも!』 聞きなれた声が、そこから聞こえてきて、ルディスは吃驚した。声も台詞も、先ほど皆の前で演説したものだ。 『我々『副長を敬愛する会』一同は、諸悪の根源、ニナを排除するための努力を怠らないぞ!!』 『おおー!!!』 そこでニナは再びボタンを押す。小屋に沈黙が広がった。 「………………フリックさんは、優しい人よね」 ゆっくりとしたニナの口調に、硬直していた人々はのろのろと顔を上げ、ニナを見た。 「女の子を力づくで排除しようなんてこと知ったら、どう思うか、なんて。わたしが言わなくても、皆さんのほうがご存知よね?」 ――――負けた。ルディスを筆頭に、その場にいた『副長を敬愛する会』の一同の脳裏に浮かんだ言葉はそれだけだった。 「うっふっふっふっふ………悪いことって、しちゃ駄目なのよ?」 満面の笑みを浮かべたニナに、もはや誰も何も言えなくなってしまったのも無理はない。 「………そ、それで、君はなにを要求するのだ?」 冷や汗を掻きながら、それでもルディスは真直ぐにニナを見てそう言った。 「うふふふふ。話がわかる人で助かったわ。そうねぇ、わたしの邪魔をしないで、っていうのが一番だけど。あとひとつだけ、わたしにできないことをやってもらいたいのよね」 小悪魔的に笑うニナに逆らえるものはいなかった。 それは、『副長を敬愛する会』がニナの支配下におかれた瞬間であった―――。 「最近さあ、よく物がなくなるんだよな」 そのぼやき声に、ビクトールは目の前でパンをかじる相棒に目だけ向けた。口の中に、ハイ・ヨー特製の炒飯が大量に放り込まれているためだ。意外に躾に厳しいこの相棒は、特に食事時の無作法を嫌う。 ビクトールの視線に気付き、彼は「ああ、たいしたものじゃないんだけどさ」と続ける。 「バンダナとか、ハンカチとか、タオルとか……まあ、そういった小物だな。日常用品。そう言う意味じゃ、なくなってもなんとかなるものばかりなんだけどな」 「…………なんだそりゃ」 ようやく口の中のものを飲み込んだビクトールが、不機嫌そうに言う。 「なんだって言われてもわからないんだよなあ。タオルとかはいいんだけど、バンダナはなくなると面倒なんだけどな」 「つーかフリック、それってなんていうか、」 考えながら喋っていたフリックは、ビクトールの言葉を遮る形で真顔で続けた。 「俺の使い古しを盗んでくほど、この城の中で生活に困ってるやつがいるのかなぁ。それなら問題だから、探し出したいんだが……」 誠実な声で言われて、ビクトールは一瞬どうしていいかわからずに天井を仰いだ。 「ていうかさー」 「どうやって探したらいいのかな。……っておい、ビクトール。人の話を聞いてるのか?」 「いや聞いてるけどもよ」 あくまで真面目なフリックに、ビクトールは「それってストーカーに狙われてるんじゃねぇか」という言葉を告げられず、口をつぐんだ。わざわざフリックの部屋に忍び入って、盗むものがタオルとかバンダナとか、要するにフリックが使ったことのあるものならば、そうとしか思えない。 だがそんなことを言っても、「なんでわざわざ俺の使ったものなんか欲しがるんだ?」と心底不思議そうに聞き返してくるだけだろう。 なんと返していいのか分からず、「うーん」と悩んでいると、真剣に取り合ってくれないと思ったのか、フリックは席を立った。 「まあ、表立って動いてしまうと相手も困るだろうから、ちょっとフェイにでも相談してみる」 無記名で目安箱に入れてみてもいいかもな、と続けながらフリックは食堂から去っていった。 「………ていうかさー」 多分、『副長を敬愛する会』とかいうわけのわからない団体の輩か、あの追っかけ少女か。それとも新しいフリック・マニアなのかわからないが、まあ多分そのあたりの人間の仕業だろう。 命に別状があるようなことにまでは発展しないだろうし、フェイならば話を聞いてなんとなく察してくれるに違いない。 「お子様でもわかるようなこと、なーんでアイツはわからないんだろうねぇ………」 空を仰いだままのビクトールは、深いため息をつきながら、どこまでも自分のことに鈍感な相棒の行く末が少しだけ心配になった。 fin... |
■あとがき■ |