■キリ番 555/ユエ様■
抱きしめられて気付く気持ち
それはリュウトの一言によって、起こった悲劇だった。 …と言っても、当事者以外にとっては、紛れもない喜劇だったのだが。 その日、都市同盟の盟主フェイに誘われ、あくまで"友人"として、ハイランド王国との戦いに力を貸している"トランの英雄"リュウト・マクドールがいつものように同盟軍本拠地の風雲城にひょっこりやってきた。 「あっれー、リュウトじゃん!遊びに来たの?」 たまたま可愛い女の子を夕飯に誘おうと思ってぶらぶらと歩いていたシーナが、目ざとくリュウトを見つけて近づいた。 相変わらず軽いシーナの言葉に、リュウトは苦笑しつつ頷いた。 「遊びにっていうわけじゃないけど、様子見に来たんだ。相変わらず元気そうだね、シーナ」 「まあね、この世界から女の子がいなくならない限り、オレはいつでも元気だよ」 どこまで本気かわからない(というよりおそらく本気なのだろう)シーナの言葉に、「相変わらずだなあ」ともう一度呟いたリュウトに、シーナはポンっと手を叩いて、 「リュウト、夕飯まだ食べてないよね?」 と聞いた。素直に頷くリュウトの腕を取って、シーナはにこにこしながら言った。 「んじゃ、久しぶりに飲もうぜ、リュウト♪」 「あ、一応フェイに声を…」 「そんなの、あとあと〜。それに今ごろシュウさんに捕まって、泣きながら書類書きしてるよ〜」 「え、ちょっと、シーナ―――」 リュウトのいうことに耳を貸さず、シーナは鼻歌を歌いながら、レオナの酒場に向かった。 「…で、やっぱり、こーゆーメンツになるんだよね…」 酒場の一番奥のテーブルでグラスを傾けながら、リュウトはふぅっと溜め息をついた。 「あ、なんだい、リュウトさん。俺達が相手じゃ、不服かい?」 「そうですよ、ひどいなぁ、リュウトさん」 「ううん、そういうわけじゃないよ、タイ・ホー、ヤム・クー」 煙草を吹かしながら、意地悪そうに言うタイ・ホーと、どこかすねたように言うヤム・クーに、リュウトは淡く微笑みながら否定した。 「タイ・ホーやヤム・クーとは久しぶりだし、アニタさんやリィナさんとは、こうやってじっくり飲んだこと、なかったし…」 「あら、うれしいこと言ってくれるじゃない、坊や」 豪快に笑いながら、アニタはリュウトのグラスにビールを注ぎ足す。 「わたくしも、一度ゆっくりとお話いたいと思っていましたわ、リュウトさん」 うふふ、と妖しく笑うリィナは、すでにリュウトの倍は飲んでいる。 「…ということは、俺達が『こーゆーメンツ』に含まれてるのか…?」 「今更、それを確認する必要、あると思ってるの?フリック。…まあ、今は珍しく一人、足りないけれど…」 当たり前のことを聞くな、という顔をして、リュウトは斜め向かいに座って渋い顔をしているフリックに言う。 「フリックとハンフリー、それにバレリア、あとは今はいないけどビクトール、あいかわらず酒場に入り浸ってるって聞いてるよ。君たちを探すなら、部屋に行くよりもまず酒場!ってフェイが言ってた」 「…リュウト殿。いくらなんでも私をビクトール達と同じくくりにするのは…」 心底嫌そうに言うバレリアに「やだなあ、なに言ってるの」とリュウトは微笑んだ。 「僕がお酒を飲めるようになったの、君たちのおかげだってこと忘れた?ねぇ、ハンフリー?」 相変わらず黙って酒を飲むハンフリーに話を振ると、やはり黙ったまま、重々しく頷く。 「まーまー。でもこのメンツならリュウトも気兼ねなく本性発揮できるだろ?」 シーナがあっけらかん、と言い放つ。 その言葉に、リュウトは「シーナ、」とにっこり微笑む。 「本性発揮って、なんのことかな〜?」 笑っているけれど目が恐い。シーナは笑顔のまま「なんでもない」と首を横に振った。 リィナは「わかってるわよ」と言うような顔をして笑う。さすがに巨大な猫をかぶっている人間のことは、よく分かるらしい…同類だから。 そんな様子を見ながら、フリックは珍しいな、と感じた。 珍しく、リュウトがよくしゃべる。 三年前の解放戦争の時も、どちらかと言えば寡黙だったし、三年ぶりに再会したばかりの頃も、ほとんどしゃべらず、儚げに微笑むだけだった。 今のリュウトは…そう、まだ解放戦争初期の頃、ソニエール監獄で一度グレミオを亡くすまでの…今よりも、背負うものがまだ少なかった頃のリュウトに戻っているように思えた。 年相応な表情を見せるリュウトに、フリックは憎まれ口を叩かれながらも、喜んでいた。 その時。悪気のない笑顔でリュウトがあっさりとフリックに聞いてきた。 「ねぇ、そう言えばフリックって、相変わらず酔うと誰かれ構わず抱き付くの?」 そのリュウトの発言に、フリックはアニタのグラスに注ごうとしていたビール瓶を思わず落してしまう。 動揺したのはフリックだけではなかった。思わずグラスを落しかけたタイ・ホーに、つまみを喉に詰まらせて苦しそうに咳き込むヤム・クー。シーナは「ああ、言っちゃったよ」という顔で天を仰ぎ、バレリアは額を抑えて俯いた。 グラスを持ったままの姿勢で、アニタが 「誰かれかまわず…?」 と、呟けば。 「…抱き、つく、のですか?フリックさんって…」 珍しく驚いたらしく、目を見開いてリィナがリュウトに聞く。 「…あれ、もしかして、知らなかった、とか?」 旧解放軍のメンツの態度と、アニタとリィナの言葉からそう判断したリュウトは「ふぅん?」と首をかしげた。 「じゃあ、フリック、お酒に強くなったんだぁ…。大人になったねぇ…」 しみじみとした顔でリュウトが言うと、「お前なぁ…」と、こぼしたビールを拭きながらフリックが眉間にしわを寄せた。 「そういや、フリックってあんまり酔っ払わないよねぇ。どっちかと言えば、つぶれたビクトールを殴って起こしてる姿をよく見る気がするし…」 アニタが指摘すると、リィナも「そうですわね」と相づちを打つ。 なぜか旧解放軍のメンツは、口を開かない。それを不審な目で見て、リュウトは一つ、カマをかけてみた。 「ようするにー、ビクトールに嫌な顔されるから、酔いすぎないように抑えるようになったんだね、フリック」 リュウトの意図に気付いた旧解放軍の面々は、フリックを止めようとした。が、時遅く。 「なっ…!ビ、ビクトールは関係ないだろ!俺が嫌だから飲むの抑えてるんだ!!」 必要以上にムキになって、フリックはきっぱりはっきり否定した。 「あああ…馬鹿だなぁ、フリック…」 シーナは呆れてそうこぼした。 あれでは、強くなったわけではなくて、ただ単に飲まなくなったから抱き付かなくなったとばらしてしまっている。 そして、そういうネタに喜んで食いつくような女性二人が、そんなおいしい話をほおっておくわけがない。 アニタの、楽しむために物事を引っ掻き回す性格を熟知しているバレリアも、同じようなことを思って溜め息をついた。 案の定、驚きから立ち直った二人は、にこぉっと笑った。 その笑みに気が付いたフリックが、はっとして立ち上がり、「俺、用を思い出した…」と逃げ出そうとするのを、無理矢理座らせる。 アニタとリィナの間に座っていたフリックは、運が悪いとしか言いようがなかった。そして、いつもいるはずのビクトールがこの場にいなかったこと、これが致命傷だった。 「ねぇ、フリック」 肩に手を置いたまま、アニタが上機嫌で微笑む。 「わたくしたちのお酒が、飲めないなんておっしゃいませんよね…?」 すでに瓶を持っているリィナが「うふふふふふ」と酷くかわいらしく笑う。 ただでさえ、女性の頼みは、多少無理難題でも断りきれないフリックが、この二人の間に挟まれて、お酒を断ることもできず。 そして、旧解放軍の同志は… 「まあ、いいんじゃない?酔っ払ったフリック、かわいいしー」 とシーナがまずさじを投げ。 「…まあ、死ぬわけじゃないし」 とバレリアも邪魔をしたらどんな仕返しをされるかわからないので、無視を決め込んだ。 「まあ、ビクトールの旦那にばれなきゃ問題ないんじゃねぇかい」 と言うタイ・ホーに、 「その時はその時じゃないですか?」 どうやら最近、兄貴分の行き当たりばったりがうつっているらしいヤム・クーが頷く。 「……………………………」 ハンフリーは我関せず、と黙々と飲んでいて、残る一人、この話を振ったリュウトが止めるわけもなく。 そうしてフリックは孤立無援状態で、戦うことになった…。 「…でも、やっぱりフリックって強かったんだね〜」 少し語調がアヤしくなりつつあるアニタが「ほーら、もう一杯」と、ワインを注ぐ。 「なかなか、抱き付いてきてくれませんわねぇ…」 ふぅ、とこちらは語調も顔色も変わらないリィナが、くいっと自分のグラスを傾けた。 「うー…いい加減、勘弁してくれ…」 少し頭がくらくらしてきたフリックは、それでもアニタに「ほらっ!飲む!」と言われて、ぐいっとグラスをあけた。 「いい飲みっぷり〜」 無邪気に喜んでいるアニタを見て、リュウトは「うーん…すごいなぁ」と他人事のように(実際他人事だが)呟いた。 アニタとリィナのすごいところは、標的としているフリックにがんがん飲ませつつも、いつのまにかタイ・ホーやヤム・クーにも「ほらっ、あんた達も飲む飲む!」と勢いに任せて飲ませるところだ。 すでに、漁師二人組みは撃沈されて、テーブルに突っ伏してしまった。 それを見たハンフリーは、「………風邪ひくぞ」と呟き、二人をん荷物のように軽々と抱えて酒場を出ていった。おそらく部屋まで連れていったのだろうが…恐るべき力である。 シーナはうまくバレリアとリュウトの間に席を替え、リィナ達の死角に入り、その魔の手をなんとか躱していた。 「でも、フリックって、確かに強くなったみたいだね〜」 「伊達に三年もビクトールとつるんじゃいないってところだろう」 シーナとバレリアは、感心したようにその飲みっぷりを見ていたが、一人リュウトは別の感想を持っていた。 「…そろそろ、だと思うよ」 リュウトの言葉に、「えっ?」とシーナが振り向いたその時。 「だ、めだ…もう飲めないって…俺は、寝る、…」 とフリックがテーブルに突っ伏した。 「えー、ちょっとぉ、フリック〜。寝ちゃうだけじゃ、つまんないって〜」 「そうですわよ。わたくしたちの今までの努力はどうなるんですの?」 無情にも、アニタとリィナはフリックを起こそうとする。が、フリックは「勘弁してくれ…」と呟いて、顔を上げようとしない。 「ちょっと、どうする〜リィナ?」 「ええ…消化不良ですわよね、このままじゃ…」 「ちょいとフリック、寝てると襲うよ?」 普通男性が女性に言うような脅し文句を言いながら、アニタはフリックの首筋をすすっと指で触る。 これには我慢できなかったらしく、「うわっ」とフリックは飛び起きた。が、頭に響いたのか、右手で顔全体を覆ってしまう。 「だーかーら、もー飲めないってば…」 普段のしゃべり方よりも、どこか子供っぽいしゃべり方になっているフリックに、アニタとリィナはにこりと…いや、にやりと笑った。 「フリック♪」 「フリックさん」 フリックの右と左、両側からすすす、と女性二人が近づく。 「ねぇ、フリック。ちょっとでいいから、こっち見てよ」 「やだ」 「そう言わずに、ねぇフリックさん?」 「やだって」 どう見てもフリックを襲おうとしているようにしか見えない女性二人と、どうやら眠いのと酔っ払っているのでやたら子供っぽくなっているフリックの会話を聞きながら、リュウト、バレリア、シーナはそれぞれグラスを傾けながら好き勝手なことを言っていた。 「うーん。抱きつき癖が出る前に、相当眠くなっちゃってるねー」 「あれだけ飲めば当然だろう」 「んー。なにかきっかけがあれば…でも、確かフリックって、抱き付く相手、一応考えてはいるよね」 リュウトの指摘に、バレリアとシーナは顔を見合わせる。 「そうだっけ?」 「無節操だったような覚えはあるが…………………あ、もしかして!」 「バレリアは気が付いたようだね。もしも僕の仮説があってるなら、アニタさんとリィナさん相手じゃ、絶対に抱き付かないよ」 「???オレ、わかんないんだけど…」 「わからないなら、残念だね、シーナ」 同じテーブルに居ながら、ぱっくりと二つに分かれて盛り上がっているところに、新たな人物がやってきた。 「あの…フリックさんに用があってきたんですが…」 この酒場では、めったに見ることのできない、青い騎士服。真面目な性格がそのまま出ている顔には、困惑の表情が浮かんでいた。 「あ、マイクロトフさんじゃん。めずらしー」 シーナが驚きながらも、「一杯飲む?」と聞くと、堅物の青年は首を横に振った。 「明日のことで、フリックさんに話したいことがあってきたんですけど…もしかして、相当酔っ払ってます?」 フリック達の所に声をかけるよりずっとまし、と判断したのだろう。マイクロトフはシーナ達に事情を聞いてきた。 「うーん。ちょっとね、フリック、珍しく酔っ払ってるんだ」 シーナがひょい、と肩を竦めて答えた。 「そうですか。本当に珍しいですね。…でも、さすがにそろそろ休んだほうがいいのではないかと思いますよ。フリックさん、明日からフェイ殿のお供で、グリンヒルまで行かねばなりませんから…」 「ああ、そうだったのか?」 それは悪いことをした、とバレリアは立ち上がった。 「マイクロトフ殿、申し訳ないが、フリックを部屋まで連れていってはもらえないか?」 「そうだね。そろそろお開きかな〜。頼むよ、マイクロトフさん」 バレリアとシーナ、二人から頼まれて、マイクロトフは頷いた。 「では、部屋まで連れて行きましょう」 そう言い、フリック達のほうへ近づこうとした時。 「マイクロトフさん、」 リュウトが、その背に声をかけた。 「はい?なんですか?」 足を止め、マイクロトフはリュウトを振り返る。その青年に、リュウトはなんともいえない笑みを浮かべた。 「…気を付けて、ね」 「?はい。気を付けて、連れて帰ります」 あくまで真面目に答える青騎士に、リュウトはくすくす笑うだけだった。一人、その笑みの意味に気付いているバレリアは、深い溜め息をつく。 マイクロトフを止めたほうが彼のためかもしれないが、こんな楽しそうなリュウトの邪魔をしたら、どんな報復があるか知れたものではない。 ここはひとつ、マイクロトフに犠牲になってもらおう。そう考えて、バレリアは沈黙を守ることにした。 「アニタさん、リィナさん。申し訳ありませんが、フリックさんは明日朝早いので、このへんで寝かせてあげて下さい」 なんの計算もなく、マイクロトフはストレートに女性陣に切り出した。 「えー?そうなのー?」 しかし、そのまっすぐさゆえに、アニタ達はその申し出を素直に聞き入れたようだ。 アニタは「残念」と言う顔をして、リィナを見た。リィナもアニタのほうを見て、肩を落した。 「しょうがありませんわね。またの機会を狙うことにしましょう…。マイクロトフさん、フリックさんをお部屋まで連れていってもらえるかしら?たぶん、相当飲んでいるから、真っ直ぐ歩けないかもしれないのですけど…」 「そんなに飲んでるんですか」 意外、という顔をして、マイクロトフは机に突っ伏しているフリックを見た。 よく酒場で見かけていたし、祝勝会や歓迎会といったような時にも、いつも飲んでいる印象が強かったが、それでも酔っ払っているところは、全くを見たことがなかったマイクロトフである。珍しいものを見る目でフリックを見ていたが、起きる気配がないので、起こすことにした。 「フリックさん、起きて下さい。フリックさん」 そっと、肩をゆすりながら声をかけると、「うーん…」と言ってフリックがむっくり起き上がった。 俯いているフリックの目は半分閉じている。苦笑して、マイクロトフはそっと肩に手を置いたままで、肩膝をついて座っているフリックと視線を合わせる。 「フリックさん、明日早いでしょう。もう寝ませんか?」 マイクロトフは、子供に言って聞かせるような口調で話しかけた。 ようやく、俯いていたフリックが顔を上げてマイクロトフと視線を合わせる。 思いの他、間近でフリックの顔を見ることになったマイクロトフは、少し驚いた。 (フリックさんて…意外にまつげ長いな…) と、どうでもよいことを思い浮かべてしまう。綺麗な蒼い瞳が、酒のためか少し潤んでいる。 なぜかそんなフリックにドキドキしながら、「さあ、行きましょう」と、促した。 「うん…マイク…、ちょっとかがんで…」 珍しく愛称で呼びかけるフリックに、「なんですか?」と素直に身をかがめると――― 「う、わわわわ?フリックさん??」 するりとフリックがマイクロトフの首に手を回し、頭を引き寄せた。 丁度フリックの肩に顔を埋める格好になってしまったマイクロトフは、慌てて身を起こそうとする。が、思いの他強いフリックの腕の力に、阻まれた。 「ちょ、ちょっと、フリックさん、どうしたんですか??」 「んー?…暖かいなあ、マイク…」 「フ、フリックさーん…」 どうしていいかわからず、マイクロトフはおろおろとまわりの人間を見回した。 しかし。 リュウトとシーナは、笑っているだけで、どうやら手を貸してくれそうもない。バレリアは、申し訳なさそうな顔で少し離れた位置で、このやりとりを見ている。 そして、リィナとアニタは、ものすごく不機嫌な顔で、マイクロトフとフリックを睨んでいた。 「ちょっと、フリック。あれだけそばにいた私たちに抱き付かなかったくせに、なんでマイクロトフだといいわけー?」 「これは…女としてのプライドが傷付けられましたわ…」 「す、すみません」 文句を言う二人に、マイクロトフは訳も分からず恐縮して謝ってしまった。 「ああ、もしかしてリュウトが言ってた仮説って、男にしか抱き付かない、って事?」 シーナがリュウトに聞くと、リュウトは「そう」と頷いた。 「解放戦争の時もそうだったよ。多分…フリックの中では、抱き付く対象となる女性はオデッサさんしかいないからじゃないかな?」 「んじゃ、なんで男にわざわざ抱き付くかなー。だって別に、抱き付かなくったっていいわけだろ?」 シーナの疑問ももっともではあるが、なんといってもフリックは今、ただの酔っ払いであった。その問いに答えられるわけもなく、また誰も理由を知らないのだから、その疑問を解明することはできなかった。 そんな呑気なやり取りの中、マイクロトフだけが非常に焦っていた。 「フリックさん、手を離して下さい…お願いですから」 その言葉に、不意にフリックは腕の力を緩め、自分から体を起こした。それにほっとしたマイクロトフは、とにかくフリックを部屋へ連れて帰ろうと思い、口を開きかけ…そこで止まってしまった。 フリックが、ものすごく悲しそうな顔でマイクロトフを見つめていたからだ。 「…マイクは…俺のこと、嫌いなのか?」 「えっ!いや、そういうわけ、ではなく…」 今にも泣きそうな表情に、マイクロトフは慌てて否定した。それに、フリックはにっこりと笑った。 マイクロトフは思わずそのフリックの笑顔に見とれてしまった。 (う…っわあああああ、フリックさんって…もしかしてすごく可愛い??) そう思ってから、なんだかさっきから自分の思考回路が怪しくなっていることに気付き、マイクロトフは動揺した。 裏表がなく、誰にでも優しいフリックを嫌える人間はほとんどいないだろう。マイクロトフも、むしろ強い好意を抱いてはいる。 が。 可愛いとかそういう感情を抱く対象ではない。なにせ男なのだから。 そう頭では理解していても、いざ目の前にいるフリックがこんなにも無邪気に微笑んでいては、そんな理屈は吹き飛んでしまう。 顔を真っ赤にしてそんなことを考えていたマイクロトフは、再度フリックがマイクロトフの肩を抱き寄せた時に、無意識のうちに抱き返してしまった。 思いの他細い体に、これまたどきどきしてしまう。ぎゅっとしがみついてきてくれることを、うれしく感じてしまい、 (ど、どうしたマイクロトフ!相手は、フリックさんだぞぉぉぉぉ!) と、心の中で自分で突っ込んでしまった。 「あーあ…なんか、マイクロトフさん、ヤバくない?」 シーナは肩を竦めて呟いた。 普段見せないような酷く子供っぽい笑顔を浮かべたフリックは、同じ男の目から見ても可愛いとしか言いようがない。 「天然のタラシだよねぇ、フリックって…」 適確なリュウトの言葉に、でももう少し言いようがあるのではないか、とバレリアは溜め息をついた。 アニタとリィナは、「興醒めだわ」と、飲み直している。 「どちらにしても、この状況でかたまりっぱなしじゃ埒があかないよね…あ、」 ふと酒場の入り口を見たリュウトが、驚きの声を上げる。 「どうかした、リュウト…げっ!」 リュウトの声に、彼の視線を追ったシーナも、驚いて思わず一方後ろに下がってしまった。 「二人とも、どうし…あっ」 バレリアも途中で絶句してしまう。 しかし、頭の中でいろいろ訳の分からないことを考えてしまっているマイクロトフは、その三人の反応に気が付かなかった。 「フリックさん…と、とりあえず、部屋に戻りませんか?送っていきますから…」 「やだ」 首を横に振り、フリックはさらにぎゅっとしがみついてくる。 「や、やだと言われても…明日、朝早いのでしょう?」 「いやだ。…一人でいるのは…いやなんだ…。夜、目が覚めて…隣に温もりがないのは…もう…」 何かを思い出すように、つらそうにしゃべるフリックに、マイクロトフは何と言っていいかわからず、そっと背中をなでてやる。 その時、ふと、背後に人の気配を感じた。 誰だろう、と思って後ろを振り返ると―――- 「なにやってんだ、おめぇら?」 呆れたように立つビクトールと。 「明日のことについて、話をしに来たんじゃないのか?マイクロトフ…」 そう言いながら、苦笑しているカミューがいた。 「カミュー、ビクトールさん!」 慌ててマイクロトフは立ち上がろうとしたが、フリックの腕が首にかかっているので立ち上がれるわけもなく、バランスを崩しかける。 その動きに、フリックはようやく顔を上げた。 「ん…?ビクトール…?」 目をこすりながら言うフリックに、ビクトールははあっ、と溜め息をつき、頭に手をやった。 「誰だよ。こいつにここまで飲ませたの…後がめんどくせぇのによ…」 まったく、と言って、ビクトールはマイクロトフの腕に回されているフリックの腕を、問答無用で剥ぎ取った。 「とりあえずこれは俺のだ。返してもらうぜ」 「ビ、ビクトールさん、ちょっとそれは手荒では…」 ビクトールにじろりと横目で睨まれ、マイクロトフは途中で口をつぐむ。 「…マイクロトフ…不可抗力だとはわかっちゃいるが…おめぇ、なんでそんなに赤い顔してんだよ」 「えっ!いや!別に!」 言われて、マイクロトフは力いっぱい首を横に振った。 「…まー、しょうがねぇけどな。じゃ、連れて帰るわ。…飲ませた奴、責任持って支払いしとけよ?」 アニタとリィナにちらりと視線をやって、ビクトールは握ったままのフリックの腕を自分の首に回させた。フリックの腕がきゅっと肩をつかむのを確認してから、そのまま横抱きに抱き上げる。 「ビクトール…?」 「はいはい、部屋までつれてってやるからとっとと寝るんだな」 「…ひとりじゃ、やだ…」 「あーも、わかったわかった。いいから黙ってつかまってろ」 フリックを抱いたまま、ビクトールは「じゃあな」と酒場から出ていった。 「うっわぁ…。前より仲良くなってるとは思ってたけど…いつのまにああいうふうになったわけ?あの二人」 つい最近再会したばかりのリュウトは、シーナにそうたずねるが、シーナも「さあ?」と首をかしげた。 「なんだか、見ているほうが疲れたな…私はもう休ませてもらうよ」 バレリアが席を立ち、ついでにアニタ達にも声をかけ、三人で部屋へ戻っていった。 シーナとリュウトも顔を見合わせて、「…休もうか」と言って酒場を出て行く。 「…………………………」 ビクトールとフリックが消えていった扉を、最後に残ったマイクロトフがぼんやりと見ていると、肩にぽんと手が置かれた。 「マイクロトフ、」 カミューが苦笑して、立っていた。 「カミュー…」 「お前ね。今、自分がどんな顔しているか分かってるか?」 カミューの言葉の意味が分からず、マイクロトフは首を横に振った。 「マイクロトフ、お前、すごく残念そうな顔をしているよ」 「…っえ!おいまてカミュー!なんで俺が残念に思わなければならないんだ…!」 「さあね。自分の胸に手を当てて考えてごらん?」 くすくす笑って、カミューは答えてくれなかった。 先程、フリックに対して抱いた思いが胸に蘇り、そして「ひとりじゃやだ」とビクトールに甘えていた姿を思い出し…なぜか胸が痛くなるマイクロトフだった。 その日を境に、マイクロトフがフリックと顔を合わせるたびにうろたえるようになったのは、言うまでもないことであった―――。 fin... |
■あとがき■ |