■キリ番 500/tomo様■

The Oath



腐敗した赤月帝国を打ち倒し、自由な国を造るために解放軍が戦い始めてから、早五年が経とうとしている。
長きに渡る戦いも、二年前に新たなリーダーと軍師を迎え入れたことで着実に戦いに勝ち進み、帝都の守りは残すところ後二つ、クワバの城塞と水上砦シャサラザードだけになった。
誰もが、後少しで戦いを終わらせることが出来るに違いないと感じはじめていた。
解放軍の本拠地トリスタン城も、連日の戦闘に疲労はあるものの、それよりも念願の打倒帝国を目の前にして、活気に満ちていた。
先日、クワバの城塞とセイカの村の中ほどでおこった軽い小競り合いに自分の部隊を連れて行き、半日ほどでそれを撃退して戻ってきたビクトールは、明るい本拠地の雰囲気を感じて、満足した顔で船の上から城を見上げた。
「『勝ち』が近いってのはいいな。それだけでみんなの雰囲気がここまでかわるんだからよ。なぁ?フリック」
星辰剣を肩に担ぎ、隣で同じように城を見ていたフリックに相槌を求める。
「…そうだな」
見上げている視線はそのまま、感情のこもらない声で、フリックが返事をする。
その様子にビクトールは眉をひそめた。
共に戦いに出ていたフリックは、どこか様子がおかしかった。それは最近、ずっと感じていたことだった。
いつものように見事に部隊を動かし、そつのない戦い方をしていた。フリックの部隊の働きで、戦いはあっさりと決着がついたのだ。
しかし、フリック自身の剣さばきはどこかいつもと違っていた。何かを堪えるような、何かに悩むような、そんな戦い方。
全くフリックらしくなかった。おかげでいつもならしなくてもいいような怪我を左上腕部にして、先ほど「戦いに集中できないのならば、先陣きって戦わないで下さい!」と、ひどく副官に叱られていたくらいだ。
「怪我、痛むか?」
紋章を使うほどの怪我ではない、とフリック自身が言い張った為、消毒と止血をしただけの腕は、白い包帯が巻かれている。所々にじむ血は、フリック自身のものか、それともフリックが倒した敵兵の返り血か判別がつかない。
「ああ。怪我は別に平気だ。そんなに酷いもんじゃないし…」
心配しないでくれ、というフリックの笑顔に、なぜか違和感を感じて、ビクトールはじっとフリックを見つめた。
「…?なんだよ、ビクトール。そんなにじっと見て」
怪訝な顔をして、フリックは首をかしげた。
「いや、なんかお前、へんじゃねぇ?」
「………変ってのはなんだよ。失礼なやつだな」
少しむっとしてフリックはそっぽを向いた。
「だっていつものお前なら、そんな怪我、しねぇだろ?」
ビクトールは食い下がる。何かがひっかかっているのだ、今のフリックに対して。
「…少し油断してただけだ。ほら、ついたぞ」
そう言うなり、フリックは立ちあがってさっさと船から下りていってしまう。
「おい、ちょっと待てって、フリック!」
慌ててビクトールも追いかけて船を下りる。船着場で大股に歩いてフリックに追いつき、その腕をつかんだ。
「フリック!お前人の話を―――?」
つかんだ腕の感触に、ビクトールは眉をひそめた。そのビクトールの表情の変化に、はっとしてフリックは手を振り解く。
「触るな!」
そしてそのまま城の中へ走りこんでいってしまった。
ビクトールは、フリックの腕をつかんだ手をまじまじと見つめた。
服の上から、しかも手袋をしたままの手で触ったにもかかわらず、フリックの腕は―――
「…っ、あいつ、もしかして―――!」
「どうかしたんですか、ビクトールさん」
船に同乗していた自分の部隊の副官に後ろから声をかけられた。
「マッシュへ結果報告しといてくれ!」
と、ビクトールは振り向かずに指示を出して、フリックの後を追った。


多分部屋だろう、と見当をつけ、ビクトールは最上階までエレベーターで上がり、奥にあるフリックの部屋へ向かう。
「どうしたの?ビクトール、そんな怖い顔して…」
会議室の前を通る時に、丁度部屋に入りかけたリーダーのリュウトが驚いた顔をしてビクトールに声をかけてきた。
「いや、別に何でもない。ああ、マッシュに、俺のとこの副官が結果報告するからって伝えといてくれ」
「いいけど、別に。…何かあったわけ?」
心配そうな表情を浮かべ、リュウトが聞いてくる。
そんなに「何かあった」というような顔をしていたか、とビクトールは苦笑した。
「いや。戦のほうに問題はない。怪我人もたいして出なかったしな」
「…フリックに、何かあった?」
妙にカンの鋭いところのあるリュウトは、声を潜めて言った。
「…最近、フリック、ちょっと様子が変だよね?気になっていたんだけど、いつもはぐらかされちゃって…」
「お前も、そう思ってたのか」
リュウトも気づいていたらしい。フリックの様子に。
「俺も気になっていた。だからちょっと様子見てこようと思ってな」
「…そう。わかった。ビクトールに任せるよ。…がんばってね」
そう言って、リュウトは会議室へ入っていった。
「がんばって、か…」
苦笑しながらビクトールはぼやいた。自分の胸の内をなかなか話そうとしない頑固者の青年に手を焼いているビクトールにとって、リュウトの言葉は大変的確な励ましの言葉であった。


「フリック?いるんだろ?」
ガンガン、とフリックの部屋の扉をノックするビクトールに、部屋の中からは何の反応もなかった。
試しに取っ手をひねると、鍵が掛かっている。
「…居留守とはいい度胸してんなぁ」
むっとして、ビクトールは再度扉を叩いた。
「フリック!てめぇ、いるなら開けろ!開けないと、ぶち破るぞ!」
その言葉に、「騒ぐな!」という声が部屋の中から飛び、次いでがちゃがちゃと鍵をはずす音がする。
ぎぃっと音をたてて、扉が開かれた。不機嫌そうに、フリックが顔を出した。
「…何の用だ?」
「話がある。部屋に入れてくれ」
「お断りだ」
間髪入れずにきっぱり断り、フリックは扉を閉めようとした。が、ビクトールはそれを許さず、扉の間に足を挟んで止めた。
そのまま力に任せて扉を押し開き、フリックの部屋の中に入る。
「なんのつもりだ、ビクトール」
怒りを押し殺した声で、フリックはビクトールを睨みつけながら言った。
「なんのつもりだと?こういうつもりだよ!」
フリックの視線を真っ向から見返し、ビクトールは先ほどと同じようにフリックの腕をつかむ。
「な…っ!」
先程よりも、有無を言わさぬ力強さで引き寄せて、ビクトールは空いている手でフリックのバンダナをもぎ取った。
そのまま、片手でフリックの前髪を上げて額を合わせる。
「いてっ!」
いささか勢いよくぶつけすぎてしまったらしい。フリックが声を上げるのにも構わず、ビクトールはしばらく額を合わせたまま目を閉じてじっとしていた。
「なんだよ、ビクトール…」
訳が分からず、されるがままになっているフリックの問いに、ビクトールは目を開けて、じろりと睨んだ。
「…お前、わかってないのか?」
「…え?」
「熱だよ熱!お前、すごい熱だぞ!」
額を離してそういうと、とたんにフリックは「しまった」という顔をした。その表情を見て、ビクトールは眉毛を上げた。
「お前、自覚はあったんだな。だからさっき、俺が腕をつかんで熱さに驚いた時、手を振り解いたんだろう」
「………………………」
どうやら図星だったらしい。フリックは何も言わず、明後日のほうを向いてしまった。
その様子に、ビクトールは深い溜め息をついた。
「お前なぁ…体調悪い時は無理すんな。無理して戦って、怪我をしちゃ意味がねぇだろ」
どうりで冴えない戦い方をしているはずだ、とビクトールはぼやく。そんなビクトールに、横を向いたまま、フリックが答えた。
「そんなことを言ったって、一応俺も部隊長なんだから、風邪くらいでひっこんでるわけにもいかないだろう」
「ふらふらの体で戦って、大怪我したほうがかえって部隊の士気を落すことになるだろう!」
鋭く一喝すると、フリックは俯いてしまった。
「…とにかく寝ろ。寝て、早く治せ。リュウカンに薬もらってきてやるから」
「大丈夫だって」
意地を張るフリックを、ビクトールは問答無用とベッドに引っ張っていった。そのままベッドに押し倒し、手早くブーツを脱がせる。部屋の中、ということもあって、マントと剣をすでに外していたから、楽勝だった。
まだ抵抗しそうな様子のフリックの頭から毛布をかぶせて押さえつける。
「抵抗する気なら、襲うぞ」
ぼそり、とビクトールが呟くと、とたんに抵抗がやんだ。
しばらくして、毛布の下から、「襲うってなんだよ、襲うって…」という声が聞こえてくる。
文句を言いながらも大人しくなったフリックに満足して、ビクトールは立ち上がった。押さえつける力がなくなり、フリックは毛布の下から顔を出す。どこかばつの悪い顔をしたフリックにビクトールは苦笑した。
「薬もらってくるから、大人しく寝てな」
「…わかったよ」
ふてくされたように言うフリックの頭を乱暴になでて、ビクトールはリュウカンの元へ向かうべくフリックの部屋を出ていった。

「だいたいなぁ、お前、いつから調子悪かったんだ?」
リュウカンの薬と水の入ったグラスを手渡しながら、ビクトールが問うと、フリックは薬を水で一気に飲み込んだ。そして空のグラスをベッドサイドに置き、ぼそっと呟く。
「…二週間くらい前」
「二週間だぁ?お前、何してんだよ。きちんと休めよな、そういう時は!」
あまりの返答にビクトールは思わず怒鳴りつけてしまう。そんなビクトールに、フリックはむっとした顔をした。
「だってお前、もう少しでグレッグミンスターに乗り込めるって時に、倒れたとか言ってられるか?もう少しで、オデッサの望みを叶えることができるって時に、のうのうと休んでられるかよ―――」
「だからって、ここで無理したら元も子もねぇだろうがよ。へたすりゃ帝都攻略前に倒れて、ベッドの上で勝鬨を聞くはめになるかもしれないぜ?」
呆れたように言うビクトールに、フリックは笑った。その、ひどく儚い笑みに、ビクトールは眉をひそめた。
そんなビクトールの様子に気が付かず、フリックは目をつぶって囁いた。
「――――倒れるなら、オデッサの願いを叶えてからだ」
その言葉に、ビクトールは思わずフリックの腕をつかんだ。
「……なんだよ、ビクトール」
少し驚いたようにフリックは目を見開いて首をかしげた。その様子はいつものフリックで。
「……なんでもねぇよ」
苦笑しながら、フリックの腕を放し、ビクトールはふっと視線をそらした。
「―――簡単に、倒れるなんて言うんじゃねぇよ」
「……お前が先に言ったんだろう」
なに言ってるんだ、という顔でフリックがぼやく。
そんなフリックを見ながら、ビクトールはなぜ最近フリックの様子が変だと感じていたのか、気付いてしまった。
「…フリック。グレッグミンスターを落として、戦いが終わったからって、すべてにカタがつくわけじゃねぇ」
突然、そんな事を言い出したビクトールに、フリックは訝し気な顔をしている。だがビクトールは気にせず、横を向いたまま続けた。
「むしろ、それから先、自由な国を造ることのほうが大変だろう。…オデッサの望みは自由な国を造ることだろ?戦いが終わったからってオデッサの望みを叶えたとはいえねぇんじゃねぇか」
「……そう、だな。新しい国造りを、しなくちゃな」
ビクトールの言葉に、フリックは感情のこもらない声を返し、瞳を閉じた。
そんなフリックの様子を横目で見ながら、ビクトールは「やっぱりな…」と胸中で呟いた。
なんとなく疑問に思い、気になっていたことが、明確な不安として形を取りはじめている。
死んだ彼女の望みが叶ってしまった時、フリックはどうなる?生きる目標がなくなってしまった時、次の目標を見つけることができるか?
―――フリックは、オデッサの望みを叶えたら、消えていなくなりそうなのだ。そんな雰囲気を最近、感じさせている。
前に夢に見たことがある。
皇帝を倒し、勝鬨を上げる解放軍。誰もが喜ぶ中で、一人フリックは離れたところにひっそりとたたずんでる。そして、酷く満足げに笑って、その場に崩れ落ちていく―――――
思わず叫び声を上げて飛び起きた。今でもあの微笑みを覚えている。今のフリックは、その時と同じ顔をしている。
どこまでも穏やかで、どこか感情の伴わない儚い笑顔。
戦いの終わりが見え始めた今、だからこそビクトールは戦いが終わるのを恐れていた。
戦いなどないほうがいいに決まっている。戦争の終わりは早ければ早いほどいい。
だけどそれは、目の前の青年の生きる力を失わせることに繋がらないだろうか?
戦いの終わりが来なければいい。ビクトールは、この日はじめてそう思った。
「…どうしたんだ?」
黙ってしまったビクトールを変に思ったのか、フリックが瞳を開けて問い掛けてきた。
「お前……」
皇帝を倒した後、どうするつもりなんだ。そう言おうとして、ビクトールはためらった。
ここでそれを聞いたとしても、フリックは、いつの頃からか儚い笑顔しか浮かべなくなった顔で、感情のこもらない声で「新しい国を造るつもりだっていっただろう?」と答えるだけだろう。
そんなうわべだけの答えが欲しいわけではない。フリック自身が「生きていきたい」と思う気持ちを確認したいのだ。
だが、今のフリックにそれを求めたとしても、先程のように躱されるだけだろう。
それならば、敢えては聞くまい。
「何でもない」
「ビクトール…?」
怪訝な顔で見上げてくるフリックに、ビクトールは手を伸ばして頭をなでた。
「…とにかく、早く治せよ?でなきゃ足手まといになるからグレッグミンスターへは連れて行けないぜ?」
頭をなでられたことに、子供扱いされたとでも思ったのだろう。フリックはむっとして布団に潜り込み、毛布を目の下まで引き上げ、ビクトールを睨み上げた。
「俺が行かなかったら、誰が行くんだ。とっとと治す」
そう言って目を閉じる。ビクトールはベッド脇の椅子に腰を下ろし、じっとフリックを見つめていた。
しばらくして、薬が効いたのだろう、落ち着いた寝息が聞こえてくる。
ビクトールは眠りに落ちたフリックの額にそっと触れた。熱があるので、いつもよりも温かい。
今、フリックは生きている。命の熱さを感じさせている。
戦いが終わった時も、このぬくもりを感じていたい、とビクトールは思った。
フリック自身がオデッサの元へいくことを望んだとしても、その思いだけは譲れない。
「俺は欲張りだからな。たとえお前が望んでも、簡単に終わらせはしないぜ…?」
全てが終わった時に、倒れる体を抱きとめられる位置にいよう。
「終わりにしたい」とフリックが言ったら、腕をつかんで「馬鹿野郎」と怒鳴って、自分のそばに引き止められる位置に必ずいよう。
ビクトールは瞳を閉じ、己の心に誓った。


そして、最後の戦いが始まる――――


fin...

■あとがき■

last update 2000/04/26