■キリ番 2750/りょう様■
改 造 大 計 画 !
「うーん………」 背後から相棒が唸る声が聞こえ、ビクトールは振り返った。 「なに唸ってんだ?」 見れば、フリックは熱心に竜の彫刻を見上げていた。 それはグリンヒル出身の工芸家ジュドがこの間仕上げたばかりのものだ。 リーダーが一生懸命いろいろなところで手に入れた、わけのわからない彫刻のパーツをジュドに見せたところ、一晩でそれを組み立てたのだ。 威風堂々と、城の大広間に据え付けられたその彫刻は、非の打ち所のないものだった。 芸術に関してはとんと無頓着のビクトールですら、その出来栄えに思わず感嘆のため息をこぼしたくらいのものである。 さすが、グリンヒルの誇る工芸家といったところか。 その像を、フリックはまじまじと見つめているのだ。 「なんだよ、ジュドの彫刻がどうかしたのか?」 「なんかさ……これを見てるとな、」 ひょい、と背中から肩を組んだビクトールを「うっとおしい」と蹴りはがしながら、フリックはその竜の右前足の部分を指差した。 「どうも、この右前足の部分になんか嵌め込みたくなるんだよ」 「ああ?」 何を突然変なことを言い出すのか、とビクトールは蹴られた脛のあたりをさすりながら、フリックの顔をまじまじと見た。 先ほどまでレオナの酒場で、ハンフリーを含め三人で酒を浴びるように飲んでいたので、(こいつ、酔っ払ってんのか?)と思ったのである。 しかし、フリックの表情はいつもと同じで、特に酔っ払っているようには見えなかった。 「ほら、なんとなく、何かを握っていたかのようになってるじゃないか」 その部分にひょいと手をかけ、フリックはビクトールを振り返る。どこか宝物を見つけたような表情のフリックに苦笑しながら、ビクトールはフリックが言う、「何かを握っていたかのような」前足の部分をじっくりと見た。 「………まあ、確かになんかこー、棒みたいなのを握りしめていたみたいにはなってるけどよ」 けれど、確かこの像は最初からそうだったような気がする。ジュドの意図か、そもそもこの彫刻の元々のパーツがそうなっていたのか。 「そうだろ?やっぱりこういうの見てると、なんかはめ込んだら変形するのかなーとか思わないか?」 どこか楽しそうに言うフリックに、ビクトールは頭をかいた。 「変形……って、お前、メグのからくりじゃねぇんだからよ」 「ま、そうだよな」 ビクトールの言葉に頷いたものの、フリックはどうしてもそこが気になるらしく、立ち去ろうとする気配がない。 「おい、フリック……」 そろそろ夜も遅い。早く部屋に引き上げようと言おうとしたとき、不意にフリックはぽん、と手を叩いた。 「メグのからくりか…そうだよな……」 「…………は?」 思わずビクトールは間の抜けた声をあげた。 冗談で言った言葉に、まともに反応されてしまい、ビクトールは困った。しかも、どう考えてもタイミングがずれている。 「………お前、酔っ払ってんのか?」 通常のフリックならば、そんなことを言いそうもないだけに、ビクトールは真顔で聞くと、フリックはにっこりと笑った。 「いや?いたって普通だぞ?」 普段はまず見せない、どこかあどけない表情でビクトールを見上げて笑っているのだ。―――その笑みが、すでに怪しいということに、フリックは気付いているのだろうか? 「ああもう、いいから部屋に戻ろうぜ?いい加減寝ないと、明日が辛いぞ」 普段ならばフリックがビクトールにうるさく言う台詞を、今夜はビクトールが言い聞かせた。 「うん………」 どこかまだ名残惜しそうな表情でフリックは竜を見上げた。 その姿に、ビクトールはやれやれとため息をつく。 「そんなに変形させたかったら、メグにでも頼めばいいだろうが」 そう言って盛大な欠伸をひとつしたビクトールは、独り言のように呟かれた言葉が聞こえなかった。 「……そういう手もあるか……」 その一言が、大騒動を引き起こすことになるとは、誰も思ってはいなかったのだ――― 「よしビクトール!メグのところに行くぞ!」 部屋の扉を勢いよく開けられたと思ったら、開口一番フリックはそう叫んだ。 未だ惰眠を貪っていたビクトールは、毛布から顔を出して入り口を見る。 昨日、アレだけ飲んでいたとは思えないほど元気一杯のフリックに、ビクトールは「めずらしいこともあるもんだ」と呟いた。 フリックは酒に強いが、底なしと言うわけではない。昨日ぐらい飲めば、まず間違いなく二日酔いのはずなのに―――と思ったところで、はたと気付いた。 今、フリックはなんと言った? 「おい、フリック………なんだってまた、メグのところへ行こうだなんて言うんだよ?」 メグという名は、昨日の夜の話を彷彿とさせる。まさかな、と思いながらもそう言うと、フリックはあっさりと答えた。 「改造計画に参加してもらうに決まってるだろ?」 「おいおいおいおいおいっ!」 思わずビクトールはがばりと起き上がった。その拍子に激しく頭が痛み、思わず枕に突っ伏してしまう。 「……二日酔いか、ビクトール?昨日はそんなに飲んでないだろう?」 情けないなあと言外に言うフリックに、「どこがそんなに飲んでないだよ…」とビクトールは力なく呟いた。 「しょうがないな。じゃあ、俺ひとりで行ってくるよ」 そう言い捨て、フリックは来た時と同じ唐突さで部屋を出て行った。 「おいおい………あいつ、どこまで本気なんだ…?」 てっきり酔っ払っていて、昨日の話を覚えていないと思ったのに、意外な展開になってきた。 「厄介なことにならなきゃいいけどな……」 結局その日はフリックと顔を合わせることなく過ぎていったため、ビクトールはそのことをすっかり忘れてしまった。 「ちょっとビクトール」 ホールを横切ろうとして不意に声をかけられ、ビクトールは驚いて振り返った。 そこにいるのは、いつもの通り不機嫌そうな顔をした石版の番人。 トランで共に戦った仲間、とはいえ、あまり話したことのない相手から声をかけられ、珍しいこともあるもんだ、と思う。 その思いが露骨に顔に出たのか、相手は顔をしかめた。 「そんなに珍しい顔しなくてもいいだろ」 「ま、まあ気にするな。で、なんの用だ、ルック?」 相手の機嫌を損ねたらどうなるかわからなかったので、笑ってごまかし話を進めようとするビクトールに、ルックは形のいい眉を少しだけ跳ね上げたが、それだけだった。 「……あのね、あんたの相棒、ちゃんと面倒見ておいてほしいんだけど」 「………は?」 唐突な話に、ビクトールは訳がわからずに問い返す。 「面倒って……別に俺は保護者じゃねぇんだけど」 フリックの奴、なんかやらかしたのか、と首を捻りながら言うと、ルックは肩をすくめた。 「あれだけ一緒につるんでるんだから、保護者でも何でもいいから、面倒はきちんと見てよね。安眠妨害されてたまったもんじゃないんだから」 「……安眠、妨害?」 その言葉に、「こいつ、ここで立ったまま寝てるのか…」という感想を抱いたが、それはさておき。 「妨害、って、あいつ夜中になんかやってんのか?こんなところで」 ビクトールの言葉に、ルックは「知らないの?」という顔をしてため息をついた。 「今夜、見にきてみたら?よくわかるから」 「おい、ルック……」 それ以上話す気がないのか、ルックはふっと目を閉じて石版に寄りかかった。 「しょうがねぇなあ……」 そう言えばここ数日、一緒に酒も飲んでいなかったことを今更のように思い出し、ビクトールは肩をすくめた。 忙しくて酒場に顔を出していないのかと思っていたのだが……。 「ま、今晩様子見にくればわかることか」 そう呟いて、ビクトールはその場を後にした。 残されたルックが、「面倒見切れないよ、まったく」とぼやいていたのには気がつかなかった。 その夜。レオナの酒場ですらも明かりが消え、城中が眠りについている時間。 ビクトールはルックの指定位置である約束の石版の裏に寄りかかって座り込んでいた。 「……別に、こんなところに隠れてなくてもいいんじゃないの?」 ルックの冷たい声には、明らかに「邪魔!」という響きが込められていた。 「しょうがねぇだろう、様子見なんだからよ。俺がいたら、なんにもしないかもしれねぇだろ?」 「……そういうことなら、しょうがないけどね」 心底嫌そうに言うルックに「可愛くねぇやつ…」とぼやきながら、ビクトールは冷たい石床にため息をこぼした。 (何が悲しくて、こんな夜更けにこんなところに隠れていなきゃならねぇのかな) そもそもフリックが今日一日捕まらなかったのが敗因か。ルックに文句を言われたあとに、早速フリックを探したのだが、見つからなかったのだ。 いくら広いといっても、同じ敷地内にいるのならば見つかるはず、もしや外出しているのかとビッキーに聞けば、「そういえばー、出かけてるかも?」と甚だ当てにならない答えが返ってくるだけ。夜になっても部屋に戻る気配がなかったため、レオナの酒場でハンフリー相手に待っていても、姿を現さなかった。 普段は顔を合わせるつもりがなくても会っているというのに、探すと途端に擦れ違う。なんだか情けなくて、ビクトールはひときわ大きなため息をついた。 「………辛気くさいため息、つかないでよ」 こっちまで暗くなる、と石版越しにルックの言葉が飛んでくる。「俺の勝手だろ」と言い返そうと思って口を開きかけた時、遠くから足音が聞こえてきた。その足音は、ふたつ。 「来たよ」 短く告げるルックに、ビクトールは無言で頷いた。足音が近づくにつれ、話し声も聞こえ始めてきた。 「……ていうことは、これで問題ないんだな?」 「うん、だいじょーぶ!これで間違いなく動くよ」 確認をとるようなことを言う声は、間違いなく聞きなれた相棒の声だ。それに答える声は、まだ年若い少女の声。 そちらの声にも聞き覚えがあるのだが、咄嗟にそれが誰だか特定ができずに、ビクトールは思い出そうと何人かの少女の顔を思い浮かべていた。 そうこうしているうちに、足音は間近に迫り、ぴたりと止まる。 「あ、ルック。こんばんは!」 「……また?」 元気のいい少女の挨拶に、ルックは嫌そうに言葉を返す。 それには、フリックが苦笑して言った。 「そう、嫌そうに言わないでくれよ。今晩で終わるから。な、メグ?」 「うん、これで全部そろったから大丈夫!!」 フリックの呼びかけた名前に、ビクトールは数日前の記憶が刺激され、唐突に思い出した。 『メグに改造計画に参加してもらうんだ』 確か、ジュドの彫刻を見入っていた次の日の朝、フリックはそんな事を言っていなかったか? 「おい、フリック!お前、本当に本気だったのか!?」 思わずビクトールは石版の陰から飛び出し、そう叫んだ。突然そんなところから現れたビクトールに、フリックとメグが驚いたように目を見張る。 ルックが「隠れていた意味、あるのそれ……」と呟いているが、そんなことを気にせずビクトールはフリックに詰め寄る。 「…改造計画のことか?本気だけど」 ビクトールがなぜ血相を変えて詰め寄ってくるのかフリックにはわからなかったらしい。とりあえず、といった感じで答える。 それにビクトールは盛大なため息をついた。 「ったく、子供じゃねぇんだからよ!そういう冗談はほどほどにしとけよ?」 ビクトールの言葉に、きょとんとして驚いていたフリックが、むっと眉をしかめる。 「……冗談、だ?俺が冗談でこんなことすると思ってるのか、ビクトール」 低い物騒な声に、一瞬ビクトールはひるんだが、負けずに言い返した。 「するとは思ってないけどよ。あんな酔っ払ってるときに言ってたんだから、冗談だと思うだろ、普通。それともなにか、ちょっとしたいたずらとでも言うつもりか?」 「なんだ、わかってるじゃないか、ビクトール」 あっけらかんと返された言葉に、ビクトールはしばし二の句を告げなかった。 「…………………………………なんだって?」 ものすごく、意外な言葉を聞いたような気がして、ビクトールはフリックを見つめた。 「だから、わかってるじゃないかって。これがいたずらだってこと」 「…………え?」 もしもし何を言ってるんですかフリックさん?ビクトールは思わずそんなつっこみをしたくなったが出てきた言葉はそれだけだった。 「だからな、この彫刻、」 そう言って、フリックはホールの中央に聳え立つ立派な彫刻を指差した。 「もしも動き出したりなんかしたら、けっこうみんなびっくりして面白いかなーと……」 「……面白い?」 「ああ」 にっこり笑って頷くフリックはそれ以上説明する気がないようだ。というよりも、むしろその一言にすべての理由が込められている気がして、ビクトールは思わず叫んでしまった。 「って、それだけなのか?おい!」 「えー?ビクトールさんは、面白くない?」 それまで黙って二人のやりとりを聞いていたメグが、首をかしげてビクトールに問い掛けた。 「え、いや、面白いとかそういうことじゃなくてだなー」 「ぜったいにイケてると思うよ!わたし、フリックさんから話を持ちかけられたとき、もー絶対みんなびっくりするって思ったもん!」 「そりゃ、びっくりはするだろうけど」 ルックの冷静なつっこみに、メグは「でしょ!?」と頷く。ビクトールは頭が痛くなってきてうめいた。 「どうしたビクトール。難しい顔して」 その様子に、さすがに心配になったのか、フリックがすこし眉根を寄せた。 「調子でも悪いのか?」 「………………お前なあ……」 なんといって言いかわからず、ビクトールはがっくりと肩を落とした。 時折、フリックが他愛もないいたずら心を起こしていろいろと仕出かすことは知っていた。 真面目一直線に見えて、実はなかなかいたずら好きなのである、フリックは。 砦時代に、ビクトールが朝寝坊して起きてこないことに腹を立てて、「こいつで十分だ!」と大きな熊のぬいぐるみを隊長席に座らせてみたり、ゲンゲンが井戸をのぞきこむのが好きだとわかったときに、井戸の底に光る石を大量に置いておき、「こんなところで光る玉がたくさんとれるワン!」と驚かせたり。 さかのぼれば、旧解放軍時代に転寝しているオデッサの髪の毛を綺麗に結い上げて花を飾って周りを驚かせたり(でもそのときはオデッサが喜んでいたのでいたずらにはならないかもしれない)、無口で笑わないハンフリーの食事の皿の底に「はずれ♪」とか書いておいてその反応をこっそりながめていたり(それを見たハンフリーは数十秒固まっていて、それからおもむろに肩を震わせ笑いを堪えていたらしい…)。 まだまだほかにも色々あるが、それはさておき。 そのいたずら好きのフリックにしても、今回のことは少しばかり手が込みすぎていないだろうか?とビクトールは疑問に思った。そもそもメグのからくり師としての腕前をそんなに信用してはいけないということなど、フリックとてよく知っているはずなのだ。 「お前さ、なんでわざわざそんなことしようと思ったんだ?」 あの晩、酒を飲んだ後に酔っ払って突拍子もない事を言っていただけかと思っていたビクトールが聞くと、少し首をかしげてフリックが答えた。 「うーん。単なる思い付き?」 「おいおい………」 そのあっさりとした返答に、ビクトールは脱力感を感じる。本当にそれだけだったならば、ルックに嫌味を言われたり、こんな夜更けに寒いところで待ったりとした自分がわりにあわないように思うのだが。 「それとさ、」 そんなビクトールを苦笑しながら見て、フリックは続けた。 「最近、みんな疲れてるみたいだから、ちょっとは心が和むかなあとか思ったんだけど」 どうかな?と首を傾げて問い掛けてくるフリックに、ビクトールは少しだけ驚いた。 (なんだ、一応考えてはいるわけだ…) 長くてつらい、戦争。 もうすぐ終わるに違いない。そんな期待感を持ちつつも、どこかで戦いが起これば、多くはないにしろ確実に減っていく兵士の数。 そんな中で、日に日に人々は疲れを見せ、子供たちもどこか元気がない様子を垣間見せるようになってきた。 それを少しでも和ませようと、城主のフェイが頑張っているのを、間近で見ているビクトールやフリックはいやというほど知っている。 「そうか………」 頑張っているフェイを見て、フリックが「あいつ自身が疲れちゃ、意味ないんだけどな…」と呟いていたのを思い出し、ビクトールは自然と微笑んだ。 フリックはフリックなりに、フェイの負担を減らそうと考えたのだろう―――それが突飛すぎる内容であるのはさておき。 「こんなんじゃ、面白くないかな?」 いいとも悪いとも言わないビクトールに焦れてか、フリックはメグに視線を落とす。 その視線を受け、メグは「だーかーらぁ!」と唇を尖らした。 「さっきから言ってるでしょ!絶対絶対!面白いって。フェイだって、他のみんなだって、絶対喜んでくれるよ!……もー、ビクトールさんはなにが不満かなぁっ!」 「いや、別に不満とかいうわけじゃないぞ、」 むくれるメグを宥めるように言いきかせ、ビクトールはフリックを見てにやりと笑った。 「おい、フリック、」 「なんだ?」 どこかしゅんとした様子のフリックに笑いをかみ殺しながら、ビクトールはフリックの肩を力いっぱい叩いた。 「どうせやるなら、パーっとやろうぜ!パーっとよ」 そう言って、ビクトールは踵を返した。 「おい、どこ行くんだ?」 突然背を向けたビクトールに、どうやら痛かったらしく肩を押さえてフリックが声をかける。それに振り返り、ビクトールは答えた。 「ついでだ。アダリーのおっさんも連れてこようぜ!」 ビクトールの言葉にフリックは一瞬呆気に取られた顔をした。が、ビクトールが何を思って言ったのかわかったのだろう、次の瞬間、爆笑した。 「ああ、待ってるぜ!」 珍しくも声をあげて笑うフリックに、メグもつられて笑い出す。 「よぉし!それじゃ、いっちょやるわよ!」 手にしていたからくり師の道具箱を勢いよく開け、運んできた材料の点検を始めた。 「……なんだか、火に油、注いだような気がするよ……」 勘弁してよ、とぼやき、ルックはあきらめたように二人に言った。 「ほんとに、今晩だけで終わらせてよね。いい加減寝不足なんだからさ」 しかし、未だ笑いの収まらないフリックと、上機嫌に鼻歌交じりで作業を始めたメグの耳に、その言葉が届いたかどうかは甚だ不明だった。 翌朝。 風雲城早起きランキング上位3位には確実に入るだろうと言われているマイクロトフが、朝の稽古を始める前に倉庫から新しい木刀を借りようと、ホールに足を踏み入れた、その時。ふと違和感を感じて足を止めた。 いつも見慣れた光景なのに、何かが違う。 1つはすぐに気がついた。ホールの階段の上、今マイクロトフが入ってきた入り口のすぐわきの約束の石版が置かれた場所で、どんなに朝早くても夜遅くても、その場に立っているはずの魔法使いの姿が見当たらないのだ。 「彼がこの場を離れるとは珍しい…」 実は昨日の夜、あまりにもその場が騒がしくなり、かつあまりにも馬鹿馬鹿しい光景が展開されていたため、ついにキレてどこぞに消えてしまった、ということなどマイクロトフには知りようもないことだった。 純粋に、珍しいこともあるものだ、と受け止めて、倉庫へ向かおうとくるりとその場で方向を変えようとした時、首筋になにものかの視線を感じて、ばっとその方向を振り返った。 しかし、そこには誰もいない。 「………気のせいか?」 ホールの中央辺りから感じたのだが、と首を捻りつつ、マイクロトフは階段を降り始めた。 再び視線を感じ、今度は足を止めるだけで振り向かなかった。 殺気ではない。悪意があるものではないのだが、しかしこれは一体―――? マイクロトフは、今度は意識を集中させてその視線の主がいると思われるほうを探った。それは、左後方からきているように思う。 意を決して、マイクロトフは振り返った。 そして、その視界に映ったものに硬直する。 ありえない光景が、マイクロトフの思考能力を奪っていた。それほどまでに、ショッキングなものだった。 グリンヒルが誇る工芸家ジュドが真心込めて作り上げた(と聞いている)竜の彫刻が。 「なんだこれはっ!!!!!」 城を揺るがす大音声で、マイクロトフは叫んだ。 ――― 雄雄しい竜の彫刻が、なぜか両手(?)に扇子を持って身をくねらせて踊っていたのであった ――― 「一体何事だ!!」 開口一番、シュウは怒鳴った。 そのあまりの剣幕に、ホールに呼ばれたフリックとビクトールは驚き、お互いに顔を見合わせた。 「何事って……?」 「さあ」 呑気な二人のやりとりを聞き、さらに怒りを募らせてシュウは怒鳴る。 「さあ、じゃない!あの彫刻のことだ!!」 「ああ、あれ?」 ビクトールは納得がいったというように頷く。見れば踊りつづける彫刻の周りにはこんなに朝早くだというのに、人だかりができている。 「面白いだろ?」 にこにこしながらフリックが言う。彫刻を見る人々がみんな笑い転げてくれているので、ものすごくうれしいらしい。 その全開の笑顔に一瞬毒気を抜かれたシュウだったが、ここで引き下がっては軍師として面目がたたないとでも思ったのか、「いいかお前たち、」と説教モードに入ろうとしたとき、不意に後ろから声をかけられた。 「フリックさん、ビクトールさん!」 元気のいいフェイの声が飛んできて、シュウは言葉を飲み込み、後ろを振り返る。 走ってくるフェイに、「おはよう」とフリックが声をかけると、フェイは挨拶もそこそこにフリックに詰め寄った。 「フリックさん!メグちゃんに聞いたんですけど!あれ、フリックさんが考えたってホントですか?」 「あ、ああ、そうだけど―――」 あまりの勢いに、一歩後ろに下がりながらフリックが頷いた。 「すごい面白いです!なんかこう、すかっと笑えて。みんなも喜んでますよ!」 目をキラキラさせてそう言うフェイに、フリックも満面の笑みで「そうか、よかった」と頷く。 それを横目に、ビクトールはシュウを見た。額には青筋を立て、握りしめた拳も震えている。だがその口は、きっと引き結ばれていた。 おそらく言いたいことが色々あるのだろうが、こんなにも喜んでいる城主の手前、お小言を言えなくなってしまったらしい。 「まあ、非常識だとか人騒がせだとか、色々言いたいことがあるのはわかるけどよ、」 ビクトールが苦笑しながらそう言うと、すごい目つきで睨みつけられた。しかし、すぐにシュウは視線を逸らし、はあっとため息をつく。 「―――ここまで皆が喜んでいるから今回は大目に見よう。だがな、こうもずっと踊られっぱなしでは落ち着かん」 「わかってるって。今日1日みんなの見世物にしたら、元に戻しておくって」 シュウの言葉を途中で遮り、ビクトールがそう言うと、シュウは何も言わずに頷いて踵を返した。 立ち去っていく軍師の肩が小刻みに震えているのに気がつき、ビクトールは苦笑した。 「損な役回りだよなぁ」 怒ってはいたが、本当のところはあれは怒りではないだろう。 おそらく、彼も思いっきり笑いたいに違いない。しかし、軍師としてのプライドがそれを許さないのだ。 それにしても、ここまで皆が笑ってくれるとは、正直ビクトールは思っていなかった。しかし、実際はこのとおりである。 人が爽快に笑っている顔が見ていてこんなに気持ちいいものだったのだな、と改めて思う。 「よかったな、フリック」 ご多分にもれず、フェイと一緒に笑っている相棒を見て、ビクトールはそう呟いた。 「直さないと、本気で壊すよ?」 額に青筋を浮かべながら、今にも風の紋章を発動させようとするルックが言ったのはその日の午後。 彼なりに、あんまり城を空けるのも気がひけたのか戻ってきて、そのあまりにも馬鹿げている(ルック談)彫刻をあと半日も目の前に置いておかなければいけないことに耐えかねたらしい。 物騒な一言を聞き、「それだけは勘弁してくださいよ」とジュドが涙ながらに訴えた結果、仕掛けは取り外された。 メグとアダリーは「もう少しくらい…」と不本意そうではあったが。 結果として、シュウのお達し通りきちんとその騒ぎを1日で収束させたフリックとビクトールだったが、夜には軍師の部屋に呼び出され、「騒乱罪」だなんだと延々夜中まで愚痴交じりの説教を受けることになった。 その説教を聞き終えた後、フリックがぽつりと呟いた。 「割に合わない気がするなあ」 「……お前が言うなよ」 あまり反省していない様子のフリックに、シュウのみならず、ビクトールが脱力したのは言うまでもない。 しかし、この一件で同盟軍が活気付いたことは否めない事実であったのだった。 「士気が下がってきたら、またやってもらおうっと」 軍師が説教モードに入っているとき、フェイがそんな軍師泣かせなことを考えているなどということは、誰も知る由がなかった――― fin... |
■あとがき■ |