■キリ番 2468/佳月様■
真 白 き 月
珍しくも、しんと寝静まった夜。 ほっとけば朝まで一階のレオナの所で酒を飲んでいるに違いないと言われている傭兵隊隊長が砦を空けているためか、今晩は隊員たちも早めに寝床に引き上げているようだ。 まだこの砦に来てから日が浅いジョウイにも、この砦におけるムードメーカーが誰であるかということは一目瞭然である。 そんなことをつらつらと考えながら、二階へ続く階段を上る。 この砦の造りはひどく単純で、一階に食堂と隊員たちの宿舎、地下に物置と鍛冶場、そして二階に執務室と隊長、副隊長の個室がある。当然、夜中の二階は基本的には隊長と副長の二人しかいない。 おそらく、既にフリックも自室で休んでいるのだろう、ひどく静かなその空間を、音を立てない様にそっと歩いてジョウイはバルコニーへ通じる扉へ向かった。 静かに鍵を外し、扉を押し開く。ひんやりとした夜の風がそっと入り込んでくるのに一瞬目を細め、そのまま外に足を踏み出した。 バルコニーの手すりに近づき、ふぅっと溜め息をつく。そして、空を見上げた。 空高くに浮かぶ、丸い月が、静かに地上を見下ろしている。 小さい頃から、ジョウイは月を見るのが好きだった。 夜、一度はベッドに潜り込んでも、何故か夜中にふと目が覚め、淡く差し込んでくる月の光に誘われるように、窓から身を乗り出しては空に浮かぶ月を眺めていた。 今日も何故かあまり眠れなくて、一緒に眠るフェイとナナミを起こさない様に静かに部屋を抜け出してきたのだ。 無心に月明かりを見上げていたジョウイは、ふといつもと月が違うような気がして首をかしげた。 何故だかわからないが、違和感を感じるのだ。 月は毎日欠けていき、そして満ちていくわけだからその姿が違うのは当然なのだが。 そう考えて、ジョウイは一つのことに気づき、苦笑した。 「見てる月が変わったんじゃなくて…僕が、変わったんだ―――」 正確に言うならば、自分の立場、が。 身に覚えのない罪状で故郷から裏切り者の烙印を押され、逃げる様にして生まれ育った街を後にしてきた。 いつも見慣れた街からの景色でないから、違和感を感じたのだろう。 見ている月は同じなのに。見ている自分も、何も変わっていないのに。 何故、自分は今ここにいるのだろう。何故、故郷に「裏切り者」と罵られなければならなかったのだろう。 何故、何故、何故――― 理不尽な流れに巻き込まれたような自分の立場を思い返し、ジョウイはうな垂れた。 「…こんな時間にどうしたんだ、ジョウイ」 不意に背後から声をかけられ、ジョウイはびくっとして振り向いた。 バルコニーの入り口、淡い月明かりにちょうど照らされる位置に、フリックが立っていた。 おそらく、既に部屋で休んでいたのだろう。珍しくマントや肩当てなどを外したラフな格好である。 「フリック、さん…」 「まだ夜は涼しい。あまり外にいると、風邪をひくぞ?」 穏やかな笑みを顔に浮かべて、フリックは外に出てきて、ジョウイの横に立つ。 そして先ほどのジョウイと同じように、夜空を見上げて、「ああ、今日は満月か…」と呟いた。 ジョウイは、隣に立ったフリックをこっそりと横目で見上げた。 ビクトールと共にいる時には華奢に見えるフリックだが、こうしてしっかり見ると、戦士として無駄のない筋肉がついていることがわかる。 その腕に握られた剣が、いっそ優雅に閃き、敵を屠る姿を思い出し、ジョウイは溜め息をついた。 砦から逃げようとして発見された時、強行突破しようとしたことを思い出す。 フリックに一撃で倒されたフェイを助けようと動きかけ、その喉元に鞘に入ったままの剣をぴたりと突き付けられ、結局動けなかった。 悔しいが、それが現実だ。経験の違い、年の違い、そんな事は分かっているが、今力を必要としている時にその力がないということをまざまざと見せつけられてしまった。 きっと彼ほど強ければ、大切なものを自分の手で守ることができるに違いない。 何もできなくて、見ているだけしかできない自分と違って。 守りたい人はいるのに、守る力を持たないということを自覚してしまった。 このままでは、駄目だ。力が、足りない。大切な人たちを守ることができない。 守りたいのに。その笑顔を曇らせたくないのに。 どうしたらいい?自分に――― 「何ができる……?」 思わず声に出して呟いてしまい、ジョウイははっとして口を抑えた。 フリックは、その言葉に、ふと視線をジョウイに向けてきた。 だがなにも言わずに真っ直ぐジョウイを見るそのフリックの瞳に促されるように、ジョウイは思ったことを素直に口に出していた。 「僕は…僕は、あなたみたいに強くなりたい」 じっとフリックの瞳を見つめたままそう呟いたジョウイの言葉に、フリックは驚いたように目を軽く見開いた。 その視線に答えるように、言葉を続ける。 「あなたほど強ければ、大切な人を守れるのに………」 思い出されるのは、キャロで牢屋に入れられた時のこと。 引き剥がされたナナミ。伸ばしても、指先さえかすらなかった腕。 そして共に刑場に登らされたフェイ。フェイだけを逃すことすらできず、なされるがまま縛り上げられた。 どちらも自分は助けることができなかった。 あの時は、フリックとビクトールが助けに来てくれたから、なんとかなった。 だが、もしも彼らが来なかったら? そんなことを考えると、ふと目覚めた時に隣で寝ているナナミやフェイから感じられるぬくもりが奇跡のようにさえ感じてしまう。 奇跡は何度も起きない。そんなことは、よく知っているつもりだ。だが、失いたくはないのだ。何よりも大切な、この二人といられる時間を。 そのためには、自分で奇跡を起こすくらい、強くならなければならないとジョウイは思う。 「…俺は、強くなんかないさ」 静かに、フリックがそう言った。 その言葉に、自分の考えに沈んでいたジョウイははっとして、隣に立つフリックを見上げた。 フリックは、真っ直ぐ前を見つめていた。 「一番大切な人を守ることすらできなかった男だよ、俺は」 何かを思い出すように目を伏せ、フリックは呟いた。 青白い月明かりの下、その表情は穏やかで。けれど、何かを後悔しているような、涙をこらえているような、そんな声。 「……だけどな、俺は強い人間を知っている。そいつらを見て、本当に強いってことがどんなことだか、知ることができた。それを知ってるから、自分の弱さがよくわかった」 フリックの視線は、既にジョウイには向けられていなかった。遠く、遠く、山の向こうを見ていた。 ここジョウストン都市同盟と赤月帝国―――現在はトラン共和国か―――を隔てる山並みの向こう。 どこか懐かしそうに遠くを見つめたフリックは、ふと視線を傍らのジョウイに落として微笑んだ。 「弱くて何もできない自分―――だけど弱かったが為に失ったものを思い出すたびに、二度と同じことを繰り返さないように努力しようといつもいつも考えて動こうとしている。本当は弱いけれども、ジョウイに強く見えるのは、俺が後悔したくないと強く思っているからかもしれないな」 「後悔、したくないって思い……」 「ああ、」 フリックはゆっくりと頷いた。 「想いは力になる。都合のいい言葉だし、想いだけではどうにもならないかもしれない。けれど、想いがあってこそ、自分を奮い立たせる力になるんじゃないかな」 「想いは、力になる……」 フリックの言葉をかみしめるように、ジョウイはその言葉を口にした。 想いだけならば、誰にも負けない自信がある。それだけが、今のジョウイの誇りだと言えるくらいに。 ならば、強くなることも可能だろうか?自分を奮い立たせ、大切なものを守れるくらいに強く――― そのとき、ばたん、と扉が開く音がした。突然の音に、ジョウイとフリックははっとして後ろを振り返る。 開かれた扉からひょっこりと外に顔を出してきたのは――― 「あっ、ジョウイ!いたいた!」 「ちょっと、ナナミ、いま夜中なんだから、もう少し声を…」 そう言い合いながら賑やかに駆け込んでくるのは―――ナナミと、フェイ。 ジョウイは思わず微笑んだ。 彼らと共に在ること。 それだけが、ジョウイの望みだ。 その想いだけは誰にも負けない強さがあるのだから。だからその想いを守る為に、強くなろう。 フリックや、ビクトールや、色々な人の強さを見て、それを自分の強さにしていこう。 そうしていけば、いつかは自分自身の本当の強さを、身に付けることができることができるかもしれないのだから―――。 「なんだ、お前達も起きてしまったのか?」 苦笑を含んだフリックの声に、ナナミが真夜中だというのに元気に頷いた。 「うん。というか、ちょっと目が覚めたらジョウイがいなくてねー」 「それで慌てたナナミに僕はたたき起こされたんです……」 フェイは少し眠そうに目をこすりながらも、すでに習慣になってしまったといっても過言ではないくらい条件反射的にナナミの言葉に突っ込む。 「えーっ!だって心配じゃないっ!」 「…トイレに行ってるとか考えなかったの?ナナミ……」 「もうっ!過ぎたことはどうでもいいでしょ!」 相変わらず無茶苦茶な論理をびしりと弟に突きつけ、ナナミはジョウイの腕をとった。 「ほらあ。体冷えちゃってるよ、ジョウイ。早くねなおそ?」 にっこり笑って、「ね?」と首をかしげるナナミに、ジョウイはくすくす笑った。 「そうだね。もう遅いし……」 そう言ってジョウイはフリックを振り返った。 フリックは、優しい笑みを浮かべ、ジョウイ達を見ていた。 「フリックさん。難しいことだけれど……がんばります。ありがとう」 「ああ。その気持ちを忘れなければ……大丈夫だよ」 明確な言葉を省いた会話だったが、ジョウイにはそれで十分だった。 「なになになに?どしたの?ジョウイ」 「……秘密の話だよ。ナナミ」 片目を器用につぶってジョウイがそう言うと、案の定ナナミは不満そうな顔になった。 「えーっなんかずるいー」 「ナナミ……だから今夜中だって……」 ぶーぶー言って頬を膨らますナナミ。それを少し困った顔でたしなめるフェイ。 あまりにも、普通の光景だ。だからこそ、大切な光景なのだ。 あらためてこの日常がどんなにすごいことなのかを胸に刻んだジョウイに、「あっ!そうだ!」とナナミがぽんと手を打った。 「名案が浮かんだんだけどっ」 「ナナミの名案って、名案だった試し、ないじゃないか……」 「うるさいなぁ、もうっ!お姉ちゃんの言うことに間違いはないのっ!」 つっこむフェイを一喝して、ナナミはその光景をおもしろそうに眺めていたフリックに笑いかける。 「ねっ!フリックさんも一緒に寝よ!」 唐突なナナミの言葉に、さすがにフリックは驚いた顔をした。 「あ?って、四人でか??」 「うんそう!だってベッド大きいし!」 「ベッドが大きいって言うより、ナナミが三つくっつけたから大きくなってるだけだってば……」 「大きいことにはかわりないでしょ!もー、フェイったら最近すーぐつっこむんだからー」 再度むくれるナナミに、今の会話の流れについていけなかったフリックがぼそりと呟いた。 「ベッドが大きいとかそういう問題じゃなくて、そもそもなんで一緒に寝るって発想になるんだ…?」 思わず、といったその呟きに、隣にいたのでその言葉を聞き取れたジョウイは苦笑する。 「ほら、そこはもうナナミですから……」 「……なるほど」 理由になっていないジョウイの言葉に、しかしなぜか納得してしまうフリック。 そして二人は顔を見合わせて、笑った。 その夜。 「…おいおい、ここは託児所かぁ?」 ビクトールはフリックの部屋の入り口で、ノブに手をかけたまま呆れたように呟いた。 真ん中に寝るフリックの両脇に、まるで親猫にくっついているように丸くなって眠っているお子様が三人。 結局ナナミの勢いに負けて一緒に寝ることに決めたフリックが、「それなら俺の部屋のベッドも大きいから、こっちで寝るか?」と苦笑して提案したことは、珍しくもミューズに仕事をしに行っていたビクトールには預かり知らぬことである。 「…しゃあねぇなあ。晩酌に付き合ってもらおうと思ったけど、今日は諦めるか」 健やかに眠る相棒と、安心しきった表情で深い眠りについている子供たちの寝顔をしばし見つめていたビクトールは、呆れたように溜め息をひとつついた。それでも、その瞳に浮かぶ光は、とても優しいもので。 くすりと笑い、ビクトールはそっと扉を閉めた。 「…いい夢、見ろよ」 ぱたん、と静かに扉が閉めたれた部屋の中には、静かな寝息と淡い月光だけが満ちていた。 fin... |
■あとがき■ |