■キリ番 2222/涼様■

知 り た い 気 持 ち



マイクロトフの朝は早い。
今日も今日とてマイクロトフの朝の発声によって目を覚まさざるを得なくなったカミューは、欠伸をかみ殺しながらそんな事を考えていた。
マイクトロフの日課は今に始まったことではないのだが、さすがに隣の部屋で気合の入った声を聞かされると、目が覚めてしまうのが当然だと思う。
マチルダにいたときは、お互いの部屋が遠かったこともあり、気付かなかった。
だが、ここ風雲城に来てからは隣室をあてがわれてしまい、現在その被害を一身に被っているのである。
さすがにこれは注意をしなければ、と隣の部屋をノックしたのが運のつき。
「折角早く起きたのならば、付き合えカミュー!」と有無を言わさず、この鍛錬場まで引っ張ってこられてしまったのだ。
元々朝の遅いカミューにとって、マイクロトフの朝の訓練ほど付き合いたくないものはないというのに、だ。
それは、カミューに限ったことではないだろう。ちらりと辺りを見回してそう思う。
この訓練に毎朝引っ張り出されている青騎士団の面々を見てみると、半数ほどは半分寝ぼけながら剣を振るっている。
あれで怪我人が出ないというのもある意味すごいことだ。皆、この状況に慣れすぎている。
それでも、騎士団長に異論を唱えるものがいないということは、よっぽどあの堅物が部下に信頼されているといことの証になるのだろう。
それにしても、とカミューは隣で壁に寄りかかりながら同じように欠伸をしている青年を横目で見ながら苦笑した。
珍しいお客様が、眠そうにもかかわらず真面目にその訓練を眺めている。
彼がマイクロトフに捕まらなかったら、カミューは何とか言いくるめて、この訓練から逃げるつもりだったのだ。
だがしかし、やはりマイクロトフの隣の部屋にいたらしい彼は、寝ぼけながら部屋の外へ出てきたところで、カミューの腕を引いたマイクロトフに遭遇してしまったのである。
この同盟軍の中においても剣豪と名高いその青年を見て、マイクロトフがそのまま通り過ぎるはずもなかった。
寝ぼけているのをいい事に、「ご一緒にどうですか!」と勢いよく誘いをかけ、相手が断る前に連れてきてしまったのだ。
あまりにも眠そうな様子を見ていると、別にカミューが悪いわけではないのだが申し訳ない気持ちになってくる。
「すみませんね、フリックさん。マイクロトフにつき合わせてしまって」
相棒の無礼を詫びると、フリックは苦笑して頭を振った。
「いや、別にかまわないさ。まあ、こういう朝もいいだろう―――たまには、だけどな」
「でも、昨晩は遅くまで飲まれていたのでは?」
今朝フリックが出てきた部屋を考えると、どうもそういう気がしてカミューが聞いた。その言葉に、フリックは「ばれたか」と笑う。
「ビクトールさんの部屋から出てきたのでは、そう判断せざるを得ませんね」
おそらく、ビクトールの部屋で遅くまで飲み、そのまま寝てしまったのだろう、というカミューの予想は外れてはいなかったらしい。
それでも、部屋から出てくるときに剣を携えているのはさすがといったところだろうか。
同盟軍に参戦してから早半月。その間、この青年に関する噂はいろいろなところから耳にしている。
剣技に長け、雷の紋章を操り、そして部隊を扱う手並みは、正規の軍人に負けずとも劣らず、と。
噂というのは尾鰭背鰭がつくのが当たり前とはいえ、それほどの噂が立っているとなると、実際のところはどうなのか、非常に気になった。
この同盟軍に入ったばかりのマチルダ騎士団は、まだ同盟軍の一員としては戦闘に出たことがない。そのため、未だに直接その腕を見る機会がないということも、その関心を強める一因となっている。
だが、さすがに今朝その腕を見せてもらうのは酷と言うものか。
どれだけ飲んでいたのかわからないが、相当眠そうなところを見るとそう思う。今日はたまの非番だと昨晩聞いていたので、羽目を外していたのではないだろうか。
「フリック殿!」
そんなカミューの思いを他所に、素振りを終了させたマイクロトフが元気よくこちらに走り寄ってきた。
「フリック殿、是非俺と手合わせしていただけないでしょうか!」
ああやはり、とカミューは予想通りの言葉にため息をつきかけてすんでで止めた。
猪突猛進、一直線のマイクロトフのことだ。この機会に是非フリックの腕を見てみたいと思ってのことだろうが、もう少し相手の状況を考慮しろというのだ。
フリックも少し困った顔をして「うーん、」と悩んでいた。
ひとのいいフリックのことだ。こんなに期待した表情で言われて断れるはずもないだろう。そう思い、カミューは助け舟を出そうと口を開きかけた。
「俺でよければ、相手をするよ」
だがカミューが口をはさむより先に、フリックが頷いてそう言った。
「木刀でか?」
「どちらでも、フリック殿がやりやすいほうで俺はかまいません」
「うーん……こんなところで怪我でもしたら洒落にならないからなぁ…木刀にしておくか」
「フリックさん、」
二人のやりとりに、タイミングを逸してしまい口をはさめなくなったカミューは、ようやくそこで声をかけた。
「なんだ、カミュー?」
「………いいんですか?昨日、結構飲んでいるのでは……」
声を潜めたその言葉に、フリックはひょいと肩をすくめた。
「そこそこ、ってところかな?まあ、でも真直ぐ歩けてるし頭も痛くないし……」
なんだかとんでもないことを言っているような気がしたが、心配するカミューを余所に「大丈夫だって、」とフリックは笑って青騎士のひとりから木刀を受け取った。
そしてくるりと器用に剣先を回してマイクロトフに向け、にこりと微笑む。
「少しばかり二日酔いだから、手元が狂うかもしれないけどな。怪我、するなよ?」
そのとんでもない内容とあっけらかんとした口調に、しばしマイクロトフは口をぽかんとあけてフリックを見つめていた。しかし、すぐに表情を引き締め、頷く。
「望むところです」
そう言って、剣を構えた。こうなってしまってはもうカミューには止められない。そもそもフリックがいいと言っているのだから止めるも何もないのだが。
周りはしん、と静まりかえっていた。自分たちの団長と噂の『青雷』との打ち合いを見逃してなるものか、という雰囲気が満ち満ちている。
剣を片手で構えて立つフリックと、両手で握りしめ、正眼に構えるマイクロトフ。
「参ります!」
律儀に声をかけてから、マイクロトフはフリックに詰め寄った。フリックは少しだけ体の重心を下げ、それに相対する。
マイクロトフによって打ち込まれた剣を、真正面から受け止めたフリックは、少しだけ眉をひそめて呟いた。
「さすが、だな」
少しずつマイクロトフの力に押され、フリックの剣が傾く。
力では体格の差でマイクロトフが押し勝つに決まっている。どちらかと言えば自分と似た体型をしているフリックを見ながら、カミューはさてどうするのか、と静かに見守った。
マイクロトフが力を入れる方向を変えようとした瞬間、フリックは自分の剣を斜めに下げ、マイクロトフの剣を流した。
当然マイクロトフは一瞬だけバランスを崩す。その隙を見逃さずに、フリックの剣がマイクロトフの手元を狙って跳ね上げられた。
だがしかし、マイクロトフとて伊達に青騎士団の団長の座にいるわけではない。崩れた体勢を踏み出した右足で立て直し、そのまま後ろに跳び退った。
続けざまに攻めるかと思われたフリックは、そこで剣を止め、にやりと笑う。
「たいした脚力だな、マイクロトフ」
あの体勢を片足の力だけで押し返したのに感心したらしい。フリックの言葉に、マイクロトフは「それほどでも」と相変わらず生真面目に言葉を返す。
その攻防を息を詰めて見つめていた団員達から、ほうっとため息が漏れた。
いつの間にか自分でさえも息をつめていたことに気がつき、カミューはこっそり苦笑した。
「さて、と」
軽く呟き、フリックが少しだけ剣先を下げた。その時。
「おう、邪魔するぜ」
のっそりとした太い声が鍛錬場に響いた。その声にフリックはげんなりとした表情で肩から力を抜く。マイクロトフもそのフリックの様子を見て、剣を下ろした。
「なんの用だ、ビクトール」
振り向きながらそう言うフリックの表情は不機嫌そのもの。この立会いを邪魔されたことを不快に思っているようだった。
そんな調子のフリックに慣れているのか、ビクトールは特に気にした様子もなく肩をすくめた。
「軍師サマのお呼びだよ」
「…………まじかよ」
心底嫌そうな表情のフリックに、カミューはこっそりと笑う。
使えるものは親でも使え、というポリシーを持っているらしい軍師の噂は、この本拠地に身を寄せて間もないカミュー達の耳にも届いている。恐ろしことに、たくさん飛びかっているとんでもない噂がほとんど真実だという。
どうやらフリックも例に漏れず、軍師の呼び出しを嫌がるタイプだったらしい。
「仕方ないな、」
ふぅ、と深い溜め息をつき、フリックは苦笑しながらマイクトロフを振り返った。
「すまない、途中で」
「いいえ、お気になさらずに。よろしければ、またの機会に続きをお願いします」
律儀に頭を下げるマイクロトフに、「じゃ、」と声をかけ、フリックは出口へと向かった。
途中カミューの横を通る時に、フリックはちらりと申し訳なさそうな視線を向けてきた。マイクロトフに負けず劣らず律儀な人だ、と内心感心しながら、カミューはにっこりと微笑んで手を振って送り出す。
出口で待っていたビクトールと連れ立って出て行くと、鍛錬場内に大きな溜め息が満ちた。
「………噂通り、というところか」
あの短い打ち合いの中、派手なことはしなかったにも、その力はひしひしと感じられた。仕合ということもあり、戦闘中のような命をかけた剣の打ち合いではなかったにも関わらず、フリックはこちらの背筋を緊張させるような雰囲気を醸し出していた。
フリックの剣技に触発されたのか、観戦ついでに一休みしていた騎士たちが皆手に武器を携え立ち上がる。
「団長!我々を、もっと鍛えてください!」
「お願いします!!」
自分たちが新たに所属することになった部隊のひとつを率いる青年の実力を垣間見て、このままではいけない、と向上心の高い騎士たちは思ったようだ。もちろん、剣を交えていた当のマイクロトフなどそれをひしひしと感じているに違いない。
「うむっ!では訓練を再開するぞ!」
先ほどまでとはうってかわって真剣味を帯びた訓練を遠巻きに見ながら、カミューは先ほどのフリックの立ち振る舞いを思い出していた。
トレードマークの青いマントを身につけていなかったにも関わらず、なぜか「青」のイメージが強く残っている。
それはバンダナの色。剣の柄を飾る青い輝石の色。そしてなによりも、深い瞳の色。
穏やかそうな眼差しから、戦士としての眼差しにいとも簡単に切替えるフリックのその瞳の色が、強烈な印象を残すのだろうか。
「あれが意図してできているなら―――とんでもない人だな、あの人は」
意図しているのか、していないのか。それを見極めるほどまだフリックという人間をカミューは知らない。
興味を抱くには、十分すぎる魅力を持った青年だ、とカミューは思った。



「すごいな、フリック殿は」
隣を歩くカミューに、マイクロトフは何度目になるかわからない台詞を繰り返した。自分でもわかってはいたのだが、興奮が隠し切れない。先ほどまでは部下たちの手前自粛していたのだが、あのフリックの剣技に相当熱くなっていたようだとつくづく思う。
正直言って、今の元マチルダ騎士団の中であのレベルの剣技を持っている人間はほとんどいない。自分でさえも、まともに戦えば勝てないだろう。
「こう言ってはなんだが……できれば実戦で、もっとフリック殿の戦い振りを見てみたい」
あれだけの短い時間の仕合でなく、もっと真の力を発揮するような、そんな場所で。
騎士としては不謹慎極まりない望みだとわかってはいるが、思わずそう口にした。
カミューはそんなマイクロトフに苦笑する。
「そんなに都合よく戦いが起こるものでもないだろう?でもまあ、」
そこで言葉を切ったカミューに、マイクロトフはどうしたのかとカミューの顔を見た。そこでようやくどこか悪戯を思いついたような表情で、ニコニコ笑っているカミューに気付き、マイクロトフは顔をしかめる。
カミューの、この一見無邪気な表情は、一番とんでもないことを考えている時なのだということを、マイクロトフはよく知っている―――知らされている、といったほうが正しいだろうか。
「興味深い人だよねぇ、本当に」
しみじみとした口調でカミューはそう言った。
「とりあえず、私はフリックさんともう少しお近づきになりたいな。お前はそうは思わないかい、マイクロトフ」
にこにこ、とそう言われて、マイクロトフは困ったように眉をひそめた。
お近づき、というか、もう少しフリックという人間をよく知りたいという気持ちはマイクロトフにもある。
だからといって、それではどうしたらいいか。手立てを思いつかなかった。
「―――とりあえず、毎日朝の訓練に誘ってみるとか………」
ない知恵を捻って搾り出したマイクロトフの言葉に、「却下」と素晴らしい笑顔でカミューは言った。
「それじゃあ、戦っている所しか見られないだろう。それに朝早すぎるし」
後半は、言外に自分がそれに付き合うのは嫌だということだろう。マイクロトフにとってはあの訓練は朝早すぎるとは思わないのだが、朝に弱いカミューにしてみれば「冗談じゃない」ということになるようだ。
「まずは、食事に誘ってみようかと思ってるんだが。お前も同席するかい?」
「食事も何も―――とにかく、フリック殿の予定を聞いてみないことにはどうにもならないだろうが」
あくまでマイペースに事を運ぼうとするカミューに、とりあえず常識的なことを言ってみる。
「わかっているよ。じゃあ、予約を取り付けてこようかな。じゃあ、また後で」
そう言って、カミューはさっさと次の角を左に曲がって行ってしまった。方向からして、ハイ・ヨーのレストランに向かったようである。
取り残される形になったマイクロトフは、「フリック殿に迷惑がかからねばよいが……」と少しだけ不安に思っていた。




その日の夜。
「ということで、貴方のことをもっとよく知ってみたくて」
まるで女性を口説くときのような会話を繰り広げているカミューと。
「カミューの戯言はあまり気になさらないでください」
至極真剣に申し訳ない表情で、肩を落とすマイクロトフと。
「はあ……まあいいけど。俺のこと知っても面白みもなにもないと思うが……」
物好きだなあ、という呆れ半分笑い半分で二人の騎士団長に苦笑を向けていたフリックの姿がハイ・ヨーのレストランの一角で見られ、「一体どういう会話をしているのかしら」「仲がよいのかしら」とその場にいた女性客の注目をひたすら集めていた。
そして、それをやはり同じレストラン内で見ていたフェイとナナミが、
「あの三人、揃うと壮観だねぇ」
「美青年三人組って感じだよねぇ」
「じゃ、そーゆー協力攻撃してもらおうか」
「あ!それいいかも。楽しみー」
などとこっそり相談していたことを、その時まだ三人は知らなかった―――。


fin...

■あとがき■

last update 2004/12/07