■キリ番 1400/マミィ様■
誰 も 気 づ く な こ の 俺 に
「ふっ、ふざけるな!なんで、俺がそんなことしなくちゃならないんだ!」 フリックの悲痛な叫び声に、耳をふさいで顔を顰めたレオナは呆れた声で言った。 「なんで、ってそうでもしなきゃ、アンタこの街から出られないじゃないかい」 「そ、それはそうだが…っ、でも、それなら別にそういう手段じゃなくたって…」 助けを求めるように、フリックは部屋の中にいる人間を見回した。本来なら二人部屋の狭い宿屋の一室に、フリックを除いて五人の人間がいたが、誰一人としてフリックをかばおうとする素振りのある者はいなかった。 絶望の表情を浮かべたフリックに、正面に立っていたリィナがにっこりと微笑んだ。 「フリックさん、」 文句の付け所のない優雅な、しかしどこか底の見えない笑みに、フリックは思わず一歩下がる。それでも、抵抗の意思表示とばかりに、必死に首を横に振った。 だがリィナは、そんなフリックの様子を気にもとめなかった。 「フリックさん、このサウスウィンドウから出てビクトールさんたちと無事に合流するか、それとも駄々をこねてこのまま強行突破してハイランド兵に捕まり処刑されるか。選択肢は二つに一つ、ですわよ?」 「そ、そこまで極端な選択肢じゃないだろう、現状はっ」 この宿屋でほとぼりが冷めるまで隠れるとか、夜陰に乗じて逃げるとか……と続けるフリックに、腕を組んで立つレオナが、「ああ、もうっ」と柳眉を逆立てた。 「別にハイランド兵に突っ込めとか言ってるんじゃないんだから、いい加減に覚悟決めたらどうなんだいっ!男だろうっ、フリック!!」 レオナの様子に、本格的な怒りの前兆を見たフリックは、勢いに押されて思わず頷きそうになりながらも、抵抗を諦めなかった。 「そうだよ、レオナ。俺は男なんだよ!だ、だから嫌なんだよっ、女装なんてっ」 ―――レオナ達は、要するに、サウスウィンドウを占拠したハイランド兵の目を誤魔化して、ノースウィンドウへ行っているビクトールやフェイ達と合流するためにも、フリックが女装すれば問題ない、と言ってきたのだ。 それを、「冗談じゃない!」とフリックが突っぱねているのである……健全な成年男子としては至極まっとうな反応なのだが、いかんせんそれを認めてくれるほど、同行者の女性陣は甘くはなかった。というよりもむしろ、この機会を活用して、フリックで遊ぼうという魂胆がちらほら見え隠れしているようにも見えなくはなかった。 それは、この一人の少女の異常なまでのやる気が物語っていた。 「なによ、して減るものでもないでしょうっ!こんな機会でもないと、まずできないことよ?」 拳を握り締め、そうアップルが力説した。そもそもこの方法を考え出したという彼女の腕には、既にフリックの体に合う、女物の服がかけられている。 それを視界の端に入れながら、フリックは「いやだっ!」と再度叫んだ。 「もうっ!往生際悪いわねっ。ほら、早くビクトールたちとも合流したいんでしょ?手伝ってあげるから、さっさと着替えるわよ!」 このまま言い合っていても埒があかないと思ったのか、アップルが強硬手段に出た。 フリックの腕をつかみ、問答無用、とばかりに隣の部屋へ移るために引っ張りだしたのだ。 女性を邪険に扱うことのできないフリックは、そのアップルの腕を振り払うことができないで、なされるがままに引きずられていく。 「いっ、いやだ!アップルっ、手を放してくれっ!」 「はいはい、いいからいいから。ちゃんと美人に仕立て上げるから安心してよ」 鼻歌でも歌い出しそうな勢いのアップルに、フリックは涙目になりながら叫んだ。 「嫌だぁぁぁぁぁぁっ!」 ずるずると部屋から引っ張り出されていったフリックを、部屋の片隅の椅子に座っていたピリカはどこかわくわくした顔で、「がんばってねー」というように手を振って見送った。 サウスウィンドウ市がハイランド軍によって占拠されてから丸一日が経つ。 高い市壁に囲まれたこの街から外に出られる唯一の門を、ハイランド兵は警備―――という名目で、監視していた。 槍を持ち、門の左右に立つのは、まだ若い兵士である。 今回の遠征を指揮するハイランド王国皇子ルカ・ブライト以下、各軍団を率いる軍団長は市庁舎につめており、兵士達も市庁舎の奥で遠征の疲れを取るために休憩している。そのため、自然と警備には下っ端の若い兵士が駆り出されているのだ。 サウスウィンドウには軍隊はない。戦争が起ると、サウスウィンドウの各町村から義勇兵がこのサウスウィンドウに集い、軍隊が結成されるのである。 街の中に、大規模な軍事力を持つ組織がないということは、この警備を形式的なものにするのに充分な要素だった。 念のため、この街を出ていこうとする人間の素性などを確認するだけである。 それは、市庁舎関係の人間が出て行くのを阻止するためと、ミューズ傭兵隊の生き残りを捕らえるためのものだった。 万が一、このどちらかに当てはまる人間がいたら、呼び子を鳴らし、街を巡回している兵士達を呼ぶ算段になっている。 だが、実際門を警備していても、出ていくのは女子供ばかりだった。考えてみれば、市庁舎にいた人間は全て市庁舎に軟禁されているし、ミューズの傭兵の生き残りがいたとしてもハイランド兵を警戒しているはずだから、そんなに要注意人物が現れるわけでもないのは当然と言えば当然である。 そのような雰囲気なので、自然兵士達もリラックスした様子で立っていた。 最初はそれこそ荷物をいちいち調べたりもしていたのだが、相手が女子供ばかりということもあり、 「名前は」 「住まいは」 「どこへ行くのか」 「誰をたずねるのか」 そんな単調な質問を繰り返すだけになっていた。 「ああもうめんどくさいなぁ」 門の右に立つ青年がそう呟けば、 「ほんとうだよなぁ。早く交代来ないかな」 と、左の青年も頷く。 さきほども、「実家のあるクスクスに帰る」という女性達を通したばかりだった。 兵士達が立っているのを遠巻きにして立ち止まり、こちらが声をかけようとすると逃げ出しそうになる始末。 おかげで簡単な質問をするのにもやたらと時間がかかってしまった。 「あんなに脅えないでほしいよな」 「まったくだ。とって食うわけでもないんだから……ん?また来たようだな」 「あーあ、とっとと終わらせようぜ?」 そんな会話を交わし、だらけていた姿勢を直して兵士達は手に持った槍を門の前で交差させてふさいだ。 槍から一メートルほど離れたところで立ち止まった六人組みの中から、黒髪の少女が歩み出て、兵士達を見てにっこりと微笑んだ。 「申し訳ありませんが、通していただけないでしょうか?」 その物怖じしない様子に、兵士達は「これは早く終わりそうだな」と、内心ほっとしていた。 「念のためいくつか質問がある。正直に答えてほしい」 脅えられても困るが、なめられてもまた困るので、ハイランド兵は少しだけ威圧的に少女に言う。 だが、少女は脅えるどころか平然とした様子で微笑むだけ。少女の連れも、小さい女の子を除けば特に怖がっている様子を見せなかった。 「とりあえず、君の名前は?」 初歩的な質問から始めたハイランド兵に、少女はにっこり笑って答えた。 「リィナ、と申します」 ハイランド兵がリィナに色々質問を始めるのを、フリックは少し離れたところに立って黙って聞いていた。 側に寄らないのは、変装がばれないため―――という以上に、こんな情け無い姿をあまり他人に見られたくなかったためだ。 思わず溜め息をついて俯くと、さらり、と長い金茶色の髪が肩から前に流れ落ちるのが視界に入る。 ぎゅっと拳を握り締め、フリックは肩を震わせた。 (こっ…こんな…こんな格好してるときに、俺だとばれるわけには絶対にいかない…っ) 涙目で、フリックは情けない決意を固めていた。 レオナと似た形の―――アップル曰く「東洋風」の丈の長い袖なしの青いワンピースを着せられ、むき出しの腕には白い長手袋。 背の中ほどまである、フリックの地毛と同色の金茶色のつけ毛に、ご丁寧にも化粧までバッチリとさせられている。 もともとの肌の色が白いので、頬紅や口紅が映え、本人は認めたがらないがどこをどう見ても完璧な女性だった。 このあまりの出来栄えに、着付け担当のアップルも、傍観していたレオナやリィナ、それにピリカまでもが感動のあまり、しばらく口が聞けないほどだった。 だがしかし、その無言の感動が過ぎた後は、手放しに誉められまくり、フリックは思わず「似合わないと言ってくれっっ!ボルガン!!!」と、半ば泣きながら仲間内で唯一の男にすがったが、ボルガンは顔を赤らめながら「いーや、綺麗だぞ、フリック」ときっぱり言ってのけた。 その言葉に止めを刺され、半ば茫然自失のまま、ハイランド兵が警護する門まで連れてこられてしまったのだ―――。 恥ずかしい。ただひたすらに恥ずかしい。 そんな思いだけが、フリックの頭の中を駆け巡る。 だが、話はそんなフリックにかまうことなく、先へと進んでいた。 「それではリィナさん、あなたたちはどこへ行くのかな?」 咳払いをして、兵士がたずねると、リィナはごく自然に答えた。 「ラダトへ行くつもりですわ」 リィナをはじめ、フリック以下総勢六名が、ハイランドによって占領されたこのサウスウィンドウから無事逃げ延びることができるかどうかは、兵士に対応する人間の肩にかかってくる。 その役目は、リィナが進んで引き受けた。もちろん、誰も「否」と言うものはいなかった。 出会ってからまだ日は浅いが、既にリィナがどういう人となりか、少なからず分かってきている一行は、一致団結してリィナに全てを託したのだが、どうやらそれは間違ってはいなかったようだ。 始終笑みを絶やさず、物腰柔らかに話すリィナは、好印象を相手に与える。特にその相手が男だった場合は―――効果抜群だ。 案の定、ハイランド兵は顔を赤らめ、意味もなく頷く。 「そ、そうか…ラダトに知り合いでもいるのか?」 「ええ。わたくしの、ではないのですけれど…、」 ちらり、とリィナは斜め後ろへ視線を向けた。つられて、兵士もその視線を追う。 視線の先に立っていたアップルは、ゆっくりと頷いた。打ち合わせ通り、だ。 「私の兄が住んでいるんです」 「そうか。念のため、君の兄の名前を教えてくれ」 「シュウ、です。交易商人をやっているんです」 事前に話し合った通りに、嘘と真実を半々に織り交ぜたシナリオに沿ってアップルは兵士に説明した。 交易商人のシュウは確かにラダトに実在する人物だが、アップルの兄ではない。確かに知り合いであることには変わりはないのだが。 全部が嘘であるよりも、わずかな真実が交じっていた方が、相手はそれを嘘だと見破りにくいものである。 「交易商人ね…。ところで、君たちはどういう知り合いなのかな?」 これも、予想していた通りの質問である。念のため、設定だけはしっかりと決めているので、後はいかにそれを自然に話せるかがポイントだといえよう。 まずはリィナが口を開いた。 「わたくしと、それからこっちの―――、」 話しながら、後ろを振り返り、ボルガンとピリカを手で指し示す。 「この二人は、旅芸人なんです。色々な所を旅していて、たまたまサウスウィンドウに立ち寄ったのです」 リィナの話を聞きながら視線を向けてきた兵士に、ボルガンはにかっと笑った。ピリカの方は少し脅えているらしく、そのボルガンの足にぴったりと張り付いていて、こそっと顔だけ覗かせていた。 「旅芸人、ね…。小さい子を連れて、大変だな。…………娘さん、では―――」 「あらまあ、兵隊さんにはわたくしが子持ちに見えるということでしょうか?」 口調こそ穏やかだが、目が笑っていないリィナの言葉に、ハイランド兵はうろたえて、「き、君は?」とアップルの方に話を振った。 アップルは笑いをかみ殺し、真面目な顔で兵士に言った。 「わたしは、グリンヒルからの帰りで、たまたまこの街に寄って宿に泊まったらリィナさんたちと会って……。色々お話していたら、次はラダトへ行くつもりだということだったので、ご一緒することにしたんです」 「グリンヒル……ああ、君はあそこの学生なのか」 「ええ」 グリンヒルはジョウストンで有名な学園都市である。いかにも真面目そうなアップルは、そこの学生といって十分通じる。 「では、あなた方は……」 兵士は残りの二人、レオナとフリックに目を向けた。その問いに、レオナが一歩前に進み出て艶やかに微笑む。 「あたしたちはクスクスからここに買い物に来ていたんだけどねぇ。あんまりいい品がなくてさてどうしよう、と宿屋の食堂で考えていたらたまたまこの人たちの話が聞こえてきてさ。ラダトで有名な交易商人さんの妹さんだって言うじゃないかい。是非いい品を売ってほしいって頼んだら、快く承諾してくれたんだよ。で、これから一緒にラダトへ向かうつもりなのさ」 「ほほう。……ところで、」 そう言ってハイランド兵は、レオナの斜め後ろに立っているフリックにちらり、と目をやった。 「さっきから気になっているんだが―――こちらの女性は何故ずっと俯いているんだ?」 その言葉に、皆はぎくっとした。が、それを表に出すほど、甘い人間ばかりではなかった。 ……ちなみに、ボルガンは何か言おうとして思いきりリィナに足を踏まれて、慌てて口をつぐんでいたのだが。 フリック的には、こんな情け無い姿をあまり人にさらしたくなくて俯いていたのだが、確かにはたから見てずっとそうでは怪しいとしか言いようがない、かもしれない。 何か言おうと思って、ようやく顔を上げ、兵士の顔を見て口を開きかけて―――その時。 「おう、お前達、警備ご苦労だな!」 やたら陽気な声が、フリック達の背後から飛んできた。 その声を聞いた瞬間、フリックは血の気がさあっと引くのがわかった。 (こ、この声、もしかして―――) 過去何度か偶然出会ったことがあり、声を聞けば誰だか分かる程度には知り合いと言える人間だ。そして、今この街にいてもおかしくない人物なのだ。 目の前にいたハイランド兵が急に姿勢を正し、ぴっと敬礼した。 「はっ、ありがとうございます!シード様!」 (やっぱりーーーっ!!!) フリックは恐くて後ろを振り向けずに心の中で絶叫した。 ハイランド軍第五軍団長。炎の闘将とも呼ばれるシードだ。 ミューズに雇われているフリックとは敵同士なわけなのだが、縁があるのだかなんなのか、なぜか戦場以外の場所でも出くわしたことが多々あるのだ。一番最近顔を合わせたのは、傭兵隊の砦が陥落した時になるか。 当然、シードはフリックの顔をよく知っている。 ここで顔を見られたら、絶対にばれる。 フリックの頭の中に、「ばれる=女装癖のある男だと思われる=笑い話のネタになる=風の噂で広まる=相棒の耳に入る=あの熊に絶対にからかわれる」という図式がぱぱぱっと浮かんだ。 条件反射的に逃げ腰になったフリックの手を、隣にいたレオナがぎゅっと握った。その感触に、フリックははっと我に返ってレオナを見た。 レオナは鋭い視線で、フリックを見つめていた。彼女が何を言いたいのか充分に伝わり、フリックはそっと頷く。 ここで逃げる素振りでも見せたら、今までの苦労が水の泡になることはフリックにだってわかっている。 だがしかし。 動悸が激しくなるのだけは抑えられなかった。 そんなフリックの葛藤を知らずに、シードはフリックの横をすり抜け、ハイランド兵の肩に気さくな様子でぽんと手を置いた。 「あんまり、厳しく取り締まらなくてもいいぞ。役人関係は全員抑えてるんだからさ」 地位に似合わぬざっくばらんな物言いに、ハイランド兵はなんとも言えない顔をした。 「はっ、しかし、ミューズの傭兵隊の生き残りのほうも…」 あくまで真面目に言う兵士に、シードはひらひらと手を振った。 「いいっていいって。そんなの」 「しかし、シード様……」 「それにさ、」 なおも言い募ろうとする兵士を遮り、シードはにやりと笑った。 「……多少生き残って抵抗してくれなきゃ、つまんねぇよ」 「はあ…」 上官のあまりな言葉に、兵士は呆れた様子を隠せなかった。 そんな兵士達を一瞥し、シードはフリック達を振り返った。シードから見て右端のアップルから順に、左端のフリックまでぐるりと見回す。その視線が、ふとフリックの上で止まった。 (やば……っ) そのシードのいぶかしげな視線から、フリックは思わず視線を逸らしてしまった。 そんなフリックの方をシードがまじまじと見つめてくるのを感じながらも、一度そらしてしまった視線を戻すこともできずに、フリックはどうしたらいいのか困ってしまった。 「―――ほら、もういいからいきな。早くでないと日が暮れちまうだろう?」 不意に投げかけられた言葉に、フリックならずとも、一行は驚いてシードを見た。 そんな反応を気にした様子もなく、シードはどこか上機嫌な表情でハイランド兵達の持つ槍を手でひょいっと持ち上げ、人が通れるようにした。 「シ、シード様…」 「俺がいいって言ってんだからいいんだよ。それともなんか文句あるのか?」 じろり、と睨み付ける軍団長に、兵士達は一斉に頭を振った。 「いえっ!ありません!」 「よし」 満足そうに頷き、シードは再度フリック達を促した。 「―――ありがとうございます。それでは失礼いたしますわ」 先頭をきってリィナが頭を下げてから門をくぐりぬける。 次いでボルガン、ピリカが多少急ぎ足で続き、アップルも目礼をして門をくぐった。 そして、レオナとフリックも後に続く。 フリックが門から足を踏み出そうとした時。 「ああ、そうだ、そこの金茶色の髪の女!」 不意にシードが背後から呼びかけた。 フリックはびくっとして足を止める。門を出かけていたレオナも振り向いた。 ここで焦ったら全てが露見してしまう、とフリックはいやいやながらもゆっくりと振り返った。 シードの赤茶色の瞳と視線がばっちり合う。 そのシードの瞳に浮かぶ感情を読み取り、フリックは眉をひそめた。 シードは―――笑っていた。 (こいつ―――!?) フリックの動揺をものともせず、シードはにやにや笑いながら、フリックに近づいた。 並んで立つと、多少シードの方が長身のため、フリックはわずかに見上げる形になる。 「なあ、あんたさぁ―――」 何を聞かれるのか、とフリックは身構えた。話の展開によっては、ここを強行突破しなくてはならないかもしれない。 剣は外から見たらわからない様に梱包して、ボルガンが背負う荷物袋の中に入れてある。頼れるのは己の拳と紋章か。 ごくり、とつばを飲み込みつつシードの次の言葉を待ち構えていたのだが―――。 「……っ!?」 いきなりシードはフリックの肩を自分の方へ引き寄せたのだ。当然の如く、フリックはバランスを崩してシードに倒れ込んでしまった。結果として抱きしめられるような格好になってしまったフリックは慌てて体を起こそうとするが、その動きを片手一本で封じたシードがこっそりと耳元で呟いた。 「――――――――――」 その言葉に、フリックは驚いてもがくのを止める。 硬直してしまったフリックから体を離し、シードは至近距離でにやりと笑った。 「わりぃな、あまりに美人なんでつい手がでちまった」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」 気が動転して口をぱくぱくするだけでなにも言えないフリックの腕をレオナが引っ張り、「あんまりウブな子をからかわないどくれよっ」とシードに言葉を投げ捨て、硬直したままのフリックをずるずる引っ張っていった。 「気を付けてなー」 レオナの捨て台詞を笑顔で受けとめ、シードは手を振って見送る。 レオナ達は、背後を振り返ることなく、できうる限り迅速にサウスウィンドウから遠ざかっていった。 シードは手を下ろし、非常に楽しそうに笑った。 「―――次に会うのを楽しみにしてるぜ」 シードの背後で、これまた唐突な上官の行動についていけず、呆気に取られていた兵士達は顔を見合わせた。 そして、どちらからともなく溜め息をつき、呟いた。 「……シード様って、面食い……?」 「ちっくしょう…あいつ―――」 サウスウィンドウからだいぶ離れ、既に門が遥か向こうに見える小高い丘まできて、フリック達一行はようやく肩の力を抜き、しばしの休憩を取っていた。 この休憩を利用して木陰で着替えてしまい―――アップルには「もう少しいいじゃない!」と散々文句を言われたが、冗談じゃない、とフリックは叫び返した―――いつもの青ずくめの格好に戻っているフリックは、皆から少し離れた所に立って街の方を睨み付けながらぼやいていた。 あの時。いきなりシードに片手で抱きしめられた時に、耳元で囁かれた言葉が、未だ耳から消えてくれない。 『次に会う時には、いつもの格好していろよ。女の格好してるんじゃ思いきって戦えないだろ?フリック―――』 やはり、気づいていたのだ。あの男は。 だが恐らく、フリックが本調子でない―――というよりも、本気で戦えない格好をしている状況でフリックとの決着を付けることを望まなかったのだろう。 いかなる時でも真っ向から正々堂々とぶつかってくる、ある意味潔いシードの性格を思い出し、フリックは苦笑した。 「……いろんな意味で、無視できない存在になっちまったな……」 さしあたって、他の人間にばらさなければいいが……と一抹の不安を抱く。 風になびいた青いマントが体にまとわりついてきた。 それを手で軽く抑えながら、ふうっと溜め息をつく。 「……口封じ、しなくちゃなぁ……」 物騒なことを呟きつつ、フリックは踵を返し、大きな樹の下で休む女性陣の元へ向かった。 ―――シードよりも、仲間の女性達の口を封じることが先だと気づいたのは、もう少し後のことである。 一方。 「あー……しっかし、あいつ思いきったことするよなぁ。女装だなんてさぁ」 フリック達が去って行った方角に目をやり、見張り台の壁にだらんともたれかかりながらシードは呟いた。 警備兵達は、あの「女性」がかの有名なミューズ傭兵隊副隊長"青雷"のフリックだとは全く気づかなかったようだ。 それもそのはずだろう。シードですら最初は気づかなかったくらいの化けっぷりだったのだから。 だが、いくら女装したとしても、あの瞳だけは変えようがない。 どこまでも澄んだ青空の色の瞳に浮かぶ、真っ直ぐな光。 何度となく剣を切り結び、その瞳を真っ向から受けたことのあるシードを騙しきることはできなかった。 「それにしてもなぁ…」 はぁっと深い溜め息をつき、シードは空を見上げた。 「…あいつ、まじで美人だなぁ…」 フリック本人が聞いていたら、本気で泣くか、無言で剣で切りかかってくるか、どちらかをするだろう言葉を呟いた。 だがしかし、いくら美人でも相手は男で。 しかも、シードが必ずこの手で倒したいと思っている男で。 「…ああ、でもあいつ、あんなかっこうしなくても、綺麗だけどな」 普段のフリックを思い出すように、シードは瞳を閉じた。 脳裏に浮かぶのは、戦場のフリックだ。 いつもの青装束を身に纏い、無駄のない動きで敵を屠る姿はいっそ美しいと言えるものだ。 女装などしなくても、十分なくらいに。 が。 「……あいつ、妹とかいないのかな……いたら紹介してもらうのになぁ」 やはりシードだって男だから、綺麗な女性には弱いのである。 「あいつ似だったら絶対美人だもんなぁ。あ、でもいたとしても紹介なんかしてくんねぇよなぁ。……俺でなくても、男なんかに近づけるかっ!とか。……兄馬鹿っぽいよな、絶対」 などということを、シードは呑気に考え、くすくす笑っていた。 軍議を行うのにシードがいない、と怒り狂って探し回っているクルガンに見つかり、こってり絞られるのはこの数分後のことである―――。 次に戦場で再会した時、フリックがまっすぐシードの部隊に突撃していったということは、言うまでもない。 fin... |
■あとがき■ |