■キリ番 1357/浬様■
い つ ま で も そ の ま ま で
デュナン湖を一望できる高台に建った城、「風雲城」。 そこは現在都市同盟に侵攻してきているハイランド王国に対抗する人々の集った都市同盟最後の希望の地と呼ばれている。 二十四の真の紋章の一つ、「始まりの紋章」の片割れである輝く盾の紋章をその右手に宿した年若き盟主の元、都市同盟に自由と平和をもたらさん、と心に誓った者達が集う都市同盟軍の本拠地。 厳しい戦いが続き、ようやくハイランドの狂皇子ルカ・ブライトを打ち倒した事により、今その地にはつかの間の安息がもたらされていた――― 本拠地の中でも、最も笑い声が絶えない場所。 それはレオナが営む酒場である。 戦いの続く最中でも、つかの間の安らぎの場として、また、人々の交流の場として繁盛している酒場である。 この、久しぶりにもたらされた安息の日々に、人々がここに集わないはずがなかった。 兵士としてこの地にいる者達の多くは一人身か、もしくは故郷に家族や恋人が残っている、というパターンがほとんどだ。 当然、夕食時から夜にかけては酒場で食事をし、そして仲間達と飲む、という生活スタイルが身に染みついてしまっている。 酒場一の常連客と言われるビクトールも、例に漏れずそのスタイルに慣れきってしまっていた。 「しかしよ、いつもいつもこーいうメンツばかりじゃ、かわりばえしねぇよなあ……」 大ジョッキに半分くらい残っていたビールを一気に飲み干し、ビクトールはそうぼやいた。 空になったグラスは女主人の元に差し出されている。そのジョッキを見て、レオナは形のいい眉を跳ね上げて冷たく言った。 「あんた一体何杯飲むつもりなんだい、ビクトール」 「いいだろー別に。まだまだ夜は長いんだからよ」 定位置のカウンター近くのテーブルでふんぞり返っていうビクトールに、レオナは呆れたようにため息をついた。 確かに、ようやく陽が落ち、宵の明星が輝きだしたばかりで、ビクトールの言う通り夜はこれからなのだが。 「いい年した男が、いつもいつも酒場で管巻いてんじゃないよ。ったく、いい人くつくるくらいの甲斐性はないのかい」 口ではきつい事を言いつつも、レオナはカウンターから身を乗り出してその空いたジョッキを受け取り、新しいビールを注ぐ為にカウンターの奥へ向かった。 「それにしても、かわりばえのしないメンツってのはヒドイんじゃないのぉー?」 同じテーブルで飲んでいたアニタが少々すねたような口調で文句を言う。 「しかし、確かにかわりばえはしないな……」 そのアニタの隣でウィスキーをロックで飲んでいたバレリアは、ビクトールの言葉に頷きながらそのテーブルを見回した。 四人掛けの丸テーブルにはバレリア、アニタ、ビクトール、そして先程から黙々とビールのジョッキを傾けているハンフリー。 この本拠地における「酒場たむろ率」上位四番までが雁首そろえて飲んでいるのだ。かわりばえどうこうと言えたものではない。 「ところで、さっきから気になってるんだけど―――」 バレリアと同じく、既にビールを飲み飽きてウィスキーのグラスを片手にアニタがビクトールを見た。 「おう、なんだ?」 陽気に答える男に、アニタはグラスを持った手の人差し指でひょいとビクトールの背後あたりを指差した。 「なんで一人でカウンターで飲んでるわけ?」 アニタの指を追って、ビクトールは首をねじって背後を振りかえった。 そこには不機嫌という表情を隠そうともせず、カウンターで一人黙々とジョッキを傾ける青年が一人。 その表情が二時間ほど前からずっと変わらないのにビクトールは苦笑した。 「ちょっと、いろいろあってな………ま、ちっとばかり一人で飲ませといてやってくれ」 ビクトールの言葉に、バレリアは眉をひそめた。 「またお前、何かやったのか?」 疑問形を取りつつも、ビクトールが何かやったに違いないという思いが滲み出たバレリアの言葉に、ビクトールは肩を竦めた。 「人聞きが悪ぃな、バレリア。フリックの機嫌が悪い原因がいつも俺にあるって思ってんのかよ」 「違うのか?」 あまりにもあっさりと切り返され、ビクトールは面白くなさそうにため息を付いた。 「フリック、お気に入りだもんな、あんた」 ビクトールの言葉に、バレリアはふふん、と鼻で笑う。 「誰かさんと違って可愛いからね」 お気に入り、というよりも、放っておけない弟、という感覚の方が近いんだがな。と言いながらグラスに残っていたウィスキーを飲み干す。 「それで、何をやったんだ?」 すでにボトルごとテーブルに置いてあるので手酌で注ぎながら、バレリアは未だ渋い顔をしているビクトールを促した。 「あのなあ……だから、俺じゃないって。どうやら軍師さんにまたぞろ面倒な書類整理を頼まれたらしいぜ」 ビクトールの言葉に、アニタとバレリアが同時に顔を顰めた。 「……また、なのか?」 「フリックも災難だな……」 どちらかと言えばフリックは事務処理が好きではない。本人曰く、「不得意分野なんだが……」とのことなのだが、ミューズ市の依頼で傭兵部隊を束ねていた一年半、全ての事務処理を一手に担っていた―――というよりも、担わざるを得なかった―――という経験があり、その当時の部下達に言わせれば「副長がいなかったら三日で砦は崩壊する」とまで表される腕前だったらしい。 そして何より、その性格からか、頼まれた仕事はきっちり期日までに必ずこなすのだ。 戦いに一段落が付き、山ほどの書類整理に追われる軍師がそのおいしい人材を見逃すはずも無かった。 ご愁傷様、という顔で二人がフリックを見ると、どうやら途中から話を聞いていたらしいフリックが、怒りのオーラを身に纏って立ち上がるところだった。その雰囲気に、思わず女剣士達は口をつぐむ。だが、ちょうど相棒に背を向ける場所に座っていたビクトールは、そんな状態に気がつかずにつまみの枝豆を口にほうりこみながら言った。 「しょうがねぇよなー。あいつ要領悪ぃから、軍師サマにとっつかまっちまったら最後、逃げられねぇんだもんよー」 そういって大笑いするビクトールの背後に、フリックはつかつかと近づいてきた。そして。 「ボケたことぬかすな、馬鹿熊!!!」 力いっぱいその頭を殴りつけたのだ。 さすがのビクトールも、その力の強さにテーブルにがつっという音を立てて突っ伏す。 「うわ、すご…」 その音に、おもわずアニタは首を竦めた。バレリアはその光景に慣れているので少しも動じずに、呆れたようなため息をついた。 ハンフリーにいたっては、横目でちらりとその光景を見ただけで、そのままビールを飲み続けている。 「ってーな、いきなり何しやがるんだよっ!」 後頭部と額と、両方痛むのか、ビクトールは右手で額を、左手で後頭部をさするという妙な体勢で後ろを振り返り、いきなりの暴挙にでた相棒に怒鳴った。 フリックは冷めた目で、その相棒を見下ろした。 「うるさい、このボケ熊。何が俺の要領が悪いだ」 「確かに、悪いよねぇ」 アニタの突っ込みに、「ほっといてくれ!」とフリックは唸った。 「なんだよ、本当の事じゃねえかよ」 ビクトールもアニタの突っ込みに乗じてそう言うと、再度フリックの拳が飛んできた。 「うわっ、あぶねえなっ!」 今度は上手くよける事の出来たビクトールが、さすがに頭に来たのか椅子から立ちあがる。しかし、フリックは立ち上がったビクトールの胸倉を掴み、睨み付けた。 「一体誰のせいで、俺がシュウにこき使われるようになったと思ってんだ!そもそもお前がひとのいないところで『書類整理はフリックにまかせた!』とかぬかして自分が頼まれた仕事を俺に押し付けてからなんだぞっ!俺がシュウに書類整理を頼まれるようになったのはっっっ!!!」 がくがくと胸倉を掴んだまま揺さぶるフリックに、アルコールが変にまわったのかビクトールが気持ち悪そうに、「ま、待てフリック、落ち着け…」とフリックの手を抑える。 「これが落ち着いていられるかっっ!せっかく明日は一日なにも入っていないからのんびりできると思ったのに!俺の休暇をどうしてくれるんだ!」 ビクトールの静止の言葉に逆にキレて、フリックはなおもビクトールをがくがく揺さぶる。そこに、今まで沈黙を守っていた―――というよりも、普段からほとんど喋らないハンフリーが、ジョッキをテーブルに置いてフリックを見た。 「フリック。少し、落ち着け」 その低い落ち着いた声に、フリックは一瞬きっとハンフリーを見たが。 「………そうだな、この元凶をどうにかしたところで、もう頼まれちまったんだからしょうがないしな……」 あっさりと掴んでいた胸倉を手放した。当然、ビクトールは支えられていた力を無くし、どすんと腰から椅子に落ちる。 「あいててて……この乱暴者……おえっ……」 振り回されて酔ったらしいビクトールは、それでも文句を言わずに入られなかったのでそうぼやいた。その言葉にぴくりと反応したフリックが再度ビクトールに詰め寄る前に、バレリアが隣のテーブルから椅子を引っ張ってきて自分とハンフリーの間に置く。 「とにかくちょっと落ち着きな、フリック。ほら、こっちに座って」 ぱんぱん、と椅子を叩きながらフリックを促すと、剣呑な目つきをしながらもバレリアの言葉にしたがって、すとんと椅子に腰を下ろす。 「まあまあフリック。こんな馬鹿熊は放っておいて、とりあえず今日は楽しく飲もうよ」 一部始終を面白そうに眺めていたアニタは、カウンターからフリックが使っていたグラスを持ってきて、彼の前に置いた。 「……飲んでおけ」 ハンフリーはカウンターから眺めていたレオナに、フリックが飲んでいた酒を瓶ごと受け取り、残り少なくなっていたグラスに注ぎ足す。 まわりからよってたかって慰められ、フリックはようやく怒りの表情を収め、苦笑した。 「……そうだな、飲まなきゃやってらんないな。今日はとことん付き合ってもらうぜ?」 フリックの言葉に、アニタはにやりと笑う。 「あー、いいのかな、そんなこと言って。倒れても面倒見ないよ?」 その言葉に、フリックは眉をひょいっとあげて返した。 「……どっかの馬鹿熊みたいに倒れるまでなんて飲まないさ」 「……どうだかな…」 ハンフリーの突っ込みに、「大丈夫だって」と笑って、フリックはグラスの酒をくいっと飲み干した。 その様子をカウンターから見ていたレオナはやれやれ、と首を振る。 「あれ、アルコール度数高いのに…大丈夫かね、フリック」 「なんだ、アイツ何飲んでるんだよ?」 しばらく気持ち悪くて椅子に座り込んでいたビクトールだったが、ほっぽらかしにされて虚しくなったため、先程まで相棒が座っていた席に移動して、レオナに新しい酒を求めながら聞いた。 レオナはそのビクトールをちらりと一瞥し、何も言わずに棚から取り出したグラスに新しい酒を注いで差し出す。 グラスに注がれた透明な酒を見て、眉を上げてビクトールはレオナを見る。レオナは頷いてフリックを指差した。 「それ、フリックが飲んでるのと同じもんだよ」 「……まじかよ。しかもストレートで?」 「そう」 香りでなんの酒であるか気が付いたビクトールは、それでも確かめるようにグラスを手にして口に含んだ。 柑橘形の爽やかな香りとすっきりとした喉越し。そして、酒が喉を通った一瞬後から、かっと燃えるようにそこが熱くなる。 「……アイツ、もしかしてさっきからずっとこればかり飲んでたのか?」 「そうだよ。まったく、いくら強いからって、あれじゃ悪酔いするよ?」 普通はジュースで割るもんだしね…とレオナが言うその酒は、まごうことなきテキーラだった。 レオナの言う通り、この酒場では普通はカクテル用として使われるのであまり原液のまま出す事のない酒である。アルコール度数が非常に高い為、本当に酒に強いものでないと飲めないという事もあるのだが。そういう意味では、フリックもビクトールも、飲める事は飲めるが、そんなに大量に飲むものでもないと思っている酒でもある。 「それにしたって、あの酒はショットグラスでちびちび飲むもんじゃねぇのかよ?なんでアイツ、グラスでがばがば飲んでんだ?」 暗に、なぜグラスで出しているのかと責めるように言うと、レオナはため息をついた。 「しょうがないだろ。ここに来てからビールも飲まずにテキーラを頼むし、ショットグラスで出してたら飲み足りないからグラスで出してくれって駄々こねるし…まったく、つぶれてもあたしは責任とれないよ、今回は。相棒の面倒、きちんと見てやんな?」 フリックが本当に酔っ払った時にどういう行動に出るかよく知っているレオナは、「ま、いるのがあのメンツでよかったね」と慰めにならない事を言う。 「あの状況なら、あんたかハンフリーにしか抱きつかないだろ?」 「まあ、そりゃそうだがな…。ま、そんなに心配しなくても大丈夫そうだけどな……多分」 ここしばらく―――それこそ砦時代の初期の頃以来、フリックの抱きつき癖は収まっていた。だからおそらくアニタは知らないだろう。 しかし、それこそ解放戦争時にはしょっちゅうあったことなので、ハンフリーとバレリアはよく分かっているはずだ。 それなのに、あそこまで飲ますという事は――― 「がーっと飲ませて、酔っ払いになる前につぶす気じゃねぇの?あいつら」 ビクトールの指摘に、レオナは「本気かい?」という顔でフリック達の座るテーブルに目をやった。 確かに先程までフルボトル三分の二ほど残っていたはずの酒は、今ではグラス二杯程度しか残っていない。 ちなみに、アニタも一緒になってウィスキーのボトルをあけてしまっていて、「おかわり〜」と空ボトルを持ってカウンターまでやってきた。 奥から新しいウィスキーのボトルを取り出し、アニタに手渡しながらレオナは言った。 「それ、本気かい…?フリック、あれで二本目なのに……」 レオナの呆れたような口調に、さすがのビクトールも驚いた。 「二本目!?」 まさかすでに一本空けていたとは思わなかったビクトールは驚いた。機嫌の悪いフリックを無理矢理酒場に引っ張ってきたのはビクトールだ。だから酒場滞在時間は同じはず。 「いつのまにそんなに飲んだんだ、アイツ……。そいつはちっとやばいな」 そう言ってビクトールが立ち上がり、ハンフリーにそろそろ止めるよう声をかけようとするのと。 あおっていたグラスをテーブルに戻したフリックがそのまま前のめりにテーブルへ倒れ込んでいくのと。 それは同時だった。 ごつん、といい音を立ててテーブルに突っ伏したフリックに、さすがにバレリアは驚いて椅子から立ちあがる。 「おい、フリック!?大丈夫かっ!」 ゆさゆさとその肩をゆするが、顔を下に向けたままフリックはぴくりともしない。横にいたハンフリーは慌てず騒がず、ひょいっとフリックを横に向かせた。瞳を閉じているせいか、普段よりもさらに若く見えるフリックは、すー、すー、と気持ちよさそうな寝息を立てていた。 「…寝たな」 ハンフリーの言葉に、バレリアは「ああびっくりした」と肩を竦めた。 「結構飲んな…。ああ、やれやれ」 そう言ってビクトールの方を向いてにっこりと笑った。 「さて、後はまかせるぞ、ビクトール。きちんと部屋まで連れて行ってベッドに寝かしつけるんだぞ?」 「……そーくるのかよ、結局」 諦めた口調でビクトールは肩を落とした。その肩を、立ち上がり、カウンターに金を置いたハンフリーがぽんと叩く。 「…相棒、だろ」 「へいへい」 口調ではいかにも面倒くさそうに言うビクトールだったが、眠るフリックに近づき、その体に肩を貸して立ち上がらせた横顔はひどく優しげだった。 「じゃあな、あと頼むわ。レオナ、今日のコイツと俺の代金は…」 「ちゃんとツケておくよ」 「…たく、しっかりしてるぜ」 苦笑して、ビクトールは正体不明に眠り込んでいるフリックをひきずり、酒場を後にした。 「なんだかんだ言って、きちんと面倒みるねぇ、ビクトールも」 喧嘩しても、結局このオチかい、とレオナが苦笑すると、こちらもそろそろひけようとバレリアが代金を支払いながら肩を竦めた。 「昔からビクトールがちょっかいかけたりなんかしでかしたりしては、フリックが怒ってたけどね―――、」 バレリアの言葉に、腕を組んでハンフリーも頷いて同意する。 「でも、なんだかんだ言ってああやってお互い面倒を見ていたよ」 変わってないね、とどこか嬉しそうに呟くバレリアに、カウンターによっかかってそのやり取りを見ていたアニタがくすりと笑った。 「なんか、あんたすごく嬉しそうな顔してるね」 アニタの言葉に、バレリアは「まあね、」と笑い返した。 「やっぱり、何年経っていても変わらないものがあるってことは、なんかほっとするだろう?」 バレリアの言葉に、それぞれの人生経験の中でやはり同じような事を思った事がある三人は、確かに、と頷いた。 「喧嘩しても騒いでもいいから、あの二人はずっとあんな感じでいてほしいね……」 酒場を壊されるのはごめんだけど、とレオナは呟いた。 翌日。 当然のごとく、フリックは酷い二日酔いで朝を迎えた。 指を動かすのすら億劫で、このまま一日寝て過ごしたい、と真剣に考えないでもなかったが、仕事を引き受けた以上きちんと軍師の部屋へいかないと何を言われるかわかったものではない。 なんとか体を起こし、ベッドから足を下ろすとむぎゅっとなにかを踏んだ。 「?」 何だろうと思って足元を見下ろすと――― 「………なんでこいつ、こんなところで寝てるんだ?」 足元に寝転がるビクトールを見て、フリックは首をかしげて昨日の晩の事を思い出そうとした。 が。ハンフリー達のテーブルに移ってから先の記憶がほとんど無い。いつ部屋に戻ったのか、それすらも覚えていなかった。 「もしかして……お前が運んでくれたのか?」 踏んでも目覚めないビクトールの背中を足でつつきながらそうたずねる。返ってくる答えはなかったが、おそらく自分の考えが間違っていない事をフリックは確信してた。 「…なんだかんだ言って、面倒見ちまうのが、こいつのいいところだよな……」 普段、本人に面と向かっては決して言わない言葉を言いつつ、フリックは微笑んだ。 「このまま、寝かせておいてやるか」 昨日あれほどこの男に対して怒っていた事など忘れて、フリックはビクトールの体に毛布をかけてやった。 その後、重い体を引きずってなんとか軍師の部屋へたどり着き、ノックをして入ると、そこには額に青筋を浮かべた軍師が椅子に座って入り口を睨み付けていた。 「お、おはよう、シュウ……」 そのきつい視線にひるみつつも、フリックは朝の挨拶をする。 シュウはそのフリックに向かってため息を付いて、手に持っていた書類の束を差し出した。 「何だ…?」 思わず反射的に受け取り、フリックはぱらぱらとそれをめくる。先に進むに連れ、その顔が強張っていった。 フリックの様子を見ながら、シュウは低い声で言った。 「……ここ二ヶ月ほどに提出された、必要経費引き落としの書類だ」 シュウの言葉に、フリックはぎこちなく頷く。確かにシュウの言う通り、それは遠征や交易のための費用を一時的に立て替えた者が提出する書類である。だいたいはリーダーと共に出かけるわけなので、財布を握るリーダーが支払をするから提出しているのは主にフェイになるわけだが、その内容が……。 「酒代二万ポッチ、食事代一万五千ポッチ、酒代一万ポッチ、酒代三万ポッチ、酒代………っっっ!」 読み上げていきながらも、怒りが込上げていくのが解る。 そのフリックに、シュウはため息をついた。 「いつもお前と一緒に行動しているわけではないから、別にお前のせいと言うつもりはない。しかしだな、やっぱり相棒のことについては責任を取ってもらわないと」 そう言って、シュウは出納帳とペンをフリックに差し出した。 「全部で二百枚ほどある。それをすべてこっちの出納帳に書き込んだ後、自費負担がどれくらいになるか計算してくれ。その分は力仕事で返してもらうからな」 「……俺も、一蓮托生なのか?」 怒りに声を震わせながら、フリックが尋ねると、人の悪い軍師は真顔で「もちろん」と頷いた。 「ビクトール一人に任せたら、それこそ何をしでかすか解らんからな。お目付け役、頼むぞフリック」 もう声も無いフリックは、肩を震わせ俯いていたが。 「…仕事する前に、一つだけやってきていいか?」 俯いたまま、地を這うような低い声でシュウに許可を求める。 「…ほどほどにしておいてくれ。少なくとも、モンスター退治にいけるくらいには」 なにをするのかだいたい解っているシュウは、そう言って頷いた。 シュウの言葉が終わるや否や、踵を返してその場を後にしたフリックの背を見送りつつ、シュウはため息を付いた。 「まったく…二人一緒だと、楽になる部分と大変になる部分が同じくらいある奴等だな……」 数分後、大音声を立てて雷がとある部屋に落ちたのは、想像に難くない事であった―――。 「まったく……一緒にいると落ち着くんだか落ち着かないんだかわからない奴等だねぇ…」 上からの振動に、はからずも軍師と同じ感想を、酒場の女主人も口にしていた。 なにはともあれ、戦乱の合間の、のどかなひとときであった――― fin... |
■あとがき■ |