■キリ番 111/らいら様■

副 長 は 大 人 気 !



最近、ビクトールは悩んでいた。
相棒曰く、「あまり悩まないから退化しているに違いない」ビクトールの脳も、悩むときはある。
ただそれが、相棒が悩んでほしいと思っている傭兵隊の砦の運営に関する事にさっぱり向いていないのが、ビクトールの、ビクトールたる所以だった。



「副長!すみませんがこの書類に目を通していただきたいんですが----」
ノックもそこそこに、砦の執務室に一人の男が入ってきた。
砦の創設メンバーの一人で、フリックの片腕として雑務をこなすルディスだ。
フリックが隊員選考のときから目をかけていただけあって、書類整理能力だけでなく、剣の腕も確かな男だ。
「リューベやトトからの食料支援に対する謝礼について…っと、すみません、お話し中でしたか?」
書類から目を上げ、部屋の中を見て、ようやくそこに目当てのフリックだけでなくビクトールもいたことに気が付き、ルディスは足を止めた。
ビクトールが旅装を整えて、行儀悪く机に座っているフリックの前に立っていたからだ。
出直そうとするルディスに、「いいから、何だ?」とフリックが手招きする。
「すみません、失礼します。ええとですね、近隣の村からの食料支援に対して、何か謝礼をしたほうがいいとおっしゃっていた件に関してなんですが、この間アナベル市長に副長の手紙を渡したところ、特別予算枠として設けてもよいといわれまして。それで書類にサインが欲しいとの事です」
「そうか、予算出してくれるのか。これで一安心だな。じゃあ、その書類、預かろう。…というわけで、ビクトール」
「ああ、サインして、アナベルに渡してこい、だろ?」
「…………………一応きちんと目を通してからサインしろよ?頼むから…」
「え?隊長、これからミューズにいくんですか?…雨、降りそうですよ?」
たった今、ミューズから戻ってきたルディスがそう言うと、ビクトールは思いきり眉間にしわを寄せた。
「マジかよ?…なあ、フリック」
「出発を明日に延ばしてもいいか?っていうことなら、答えは駄目だ。急ぎの用と書かれていただろ。今から出ればまだ大丈夫じゃないのか?ルディス、どんな感じだった?」
「そうですね…多分、馬を飛ばせば大丈夫だと思います。ただ夜は降られるんじゃないんですか?」
「おいおい、カンベンしてくれよ」
本気で嫌がっているビクトールに、フリックは「しょうがない」という顔をした。
「ビクトール、今晩はミューズに泊まってこいよ」
「「ええ!?」」
ビクトールと、なぜかルディスが一緒に叫ぶ。ビクトールは嫌そうに、ルディスは…なぜか嬉しそうに。
むしろビクトールよりもルディスの声のほうが大きくて、叫んだはずのビクトールもびっくりして彼を見た。
そんな二人の様子に、フリックは首をかしげた。
「?だってしょうがないだろう?あ、心配しなくても大丈夫だ、ルディス。宿泊費は経費で落すし」
「え、いや、べつに、そういう意味…いや、いいです」
なぜか慌てふためいて、ルディスは言葉を濁す。
一方ビクトールは、ものすごく剣呑な目をルディスに向けた。そして不機嫌な顔のまま、ルディスの手にある書類をひょいと取る。
「…とりあえずコレはもらっとく。もう行っていいぞ、ルディス」
「え、あ、はい、わかりました。ではお願いします」
急いで部屋を出ていこうとしたルディスに、フリックが「ああ、ルディス!」と声をかけた。
「はい、なんですか?副長」
「ご苦労様、今日はゆっくり休めよ?」
にっこりとフリックが微笑み、そういうと、なぜかルディスは顔を真っ赤にして、
「はっ、はいっっ!」
と勢いよく部屋を出ていった。その後、ずだだだだ、という音と「うわあああああ!」という悲鳴が聞こえてくる。
「……大丈夫かな、あいつ。意外にそそっかしいなあ」
きょとんとしてそんなことを言うフリックに、ビクトールは思わず溜め息を吐いた。
「お前なぁ、少しは自覚しろよ…」
「なにをだよ」
言外に「お前鈍い」と言われている気がして、フリックはむっとして反論した。
「なにを?」
「あいつ、ぜったいお前に気があるぜ?」
前々からフリックを見るルディスの目が気になっていたビクトールである。
あれは、ただ単に強い副長にあこがれているとかとおりこして、どちらかといえば、もっと俗っぽい感情を宿した瞳だ。
それはルディスに限らず、この砦に集まる傭兵の多くの目に、時々宿る嫌な感情だ。
「気のせいだろ?」
フリックからの返答はあっさりしている。
「……………そうも簡単に答えを返されると、なんとなくフクザツなんだがな」
ビクトールのカン、というのはこれがまたなかなか外れない。
カンとかそれ以前に、見ればわかるのだ。あの眼差しを!わからないのはフリックくらいなものである。
しかし、それをフリックに理解させるのは、デュナン湖の水を一日で干からびさせろというのと同じくらい難しいようにビクトールには思えた。
「お前に一目惚れ、とかかもしれんぞ?」
しょうがないので冗談めかして言うと、フリックはものすごくむっとした顔をした。
やたらきれいな顔をしているフリックである。過去そういうネタで苦労を重ねてきたこともあり、「男に惚れられる」ということに対しては非常に敏感な反応を示す。…端的に言えば、嫌がるのだ、非常に。そのわりには、その手の視線に鈍感なのはどういうことか。
「冗談でもやめろ」
剣呑な響きを含んだ声に、「へーへー」と答えて、ビクトールはおもむろに立ち上がった。
そろそろ出発しないと、本当に雨に降られるだろう。
このような状況の砦を一晩あける気はさらさらなかった。とっとと行って強行軍で夜までに必ず戻ってきてやる、とビクトールは決意した。
「でもなぁ、まじで気を付けろよ?おまえ、すっげぇ隙があるから」
机に浅く腰掛けたまま、立ち上がったビクトールに合わせて上を向いたフリックは、ますます眉間にしわを寄せた。
「隙ってなんだよ、隙って。ないぞ、そんなの」
「そうかぁ?…あっ」
「え?」
ビクトールの声にあっさりと上を向いたまま「え」の形に薄く開いた唇に、軽いキスをする。
「…っっっ!ビクトール!!!」
「こんな古典的な手に引っ掛かるなよなぁ?…ごちそうさん♪」
そう言ってビクトールはフリックの部屋を出た。閉めた扉越しに罵声が聞こえてくるが、ビクトールは無視をした。
「あいつも自分の無防備さをもう少し自覚したほうが身のためだと思うんだが…」
この三年、出会ってからならもう五年近くになる付き合いの中で、そういう点に付いてはまったく成長を見せないフリックのことを考え、ビクトールは溜め息をついた。



一方、階下に転げ落ちたルディスは、その音に驚いて寄ってきた同僚達の手によって、一度休憩室のベッドの上に連れて行かれた。
「お前、大丈夫か?」
「まあ、骨は折れていないみたいだが…頭でも打ったのかな?」
同僚達がいぶかしむのもあたり前というものだ。ルディスは二階から落ちたにもかかわらず、なぜか満面の笑みを浮かべていたからである。
…………ものすごく、アヤシイ。そう皆が思うのも無理はなかった。
「ふっふっふ、聞いて驚け諸君。今日の俺達は最高にツイているぞ!」
「…階段から落ちといて、何が『ツイている』んだ?やっぱり頭打っておかしくなったか?」
「いやまあ、もとからこいつ、アヤシイっていえばアヤシイやつだから…」
「…そんなことを言っていると、副長関連のおいしいニュースを教えてやらんぞ」
その一言に、呆れていた同僚達の顔が、まるで戦場へ赴くときのように…いや、それ以上に引き締まる。
「俺達が悪かった、同志ルディスよ」
「お前が怪しかった事などない」
「それで、いったいどんな情報を手に入れたんだ」
皆の態度の急変に、気をよくしたルディスは「ふふふ」と笑った。
「今晩、この砦から隊長がいなくなる」
「なんだと…?それは確かか!」
いきなり目の色が変わる傭兵達。
「ではいよいよ、計画が実行できるな!」
「ああ、今日を逃したら、もう機会がないかもしれない!」
「ようし、それでは『副長を敬愛する会』の諸君!」
「今日こそは、副長と一緒に飲んで、飲んで、飲みまくって、副長をつぶすぞー!」
ただでさえフリックは酒に強い。そしてビクトールも一緒に飲んでいると、まず先に傭兵達のほうがつぶれてしまい、結局、フリックがつぶれたところは一度として見たことがないのである。
彼らには大いなる野望があった。それは、
「おお!そして、ぜひとも寝顔を拝ませてもらうぞー!」
ということ。
皆、この副長の片腕こと『副長を敬愛する会』会長のルディスの言葉に力強く握りこぶしを空に掲げた。
「「「「おー!!!」」」」
…きっとこの騒ぎを見ていたら、ビクトールは自分の危惧が当たったとフリックに主張しただろうし、フリックもビクトールの心配を素直に聞き入れたかもしれない。
だがしかし。この異様な盛り上がりを見せる『副長を敬愛する会』の集いを、幸か不幸か二人とも目撃する事はなかった・・・。



「副長!今晩一緒に飲みませんか?」
執務室の扉を開けるや否や、ルディスは開口一番そう言った。
フリックはまだ書類整理をしている途中だったが、その言葉にふと顔を上げる。
「そうだな…」
手もとの書類にもう一度目を落し、それらの締め切りを手早く確認すると「うん」と頷く。
「とりあえず仕事も一段落ついたし。久しぶりにお前達の宴会に参加させてもらうとするかな」
そう言ってフリックはにこりと笑った。その笑顔に、ルディスは「生きててよかった…」とかアブない感想を抱きつつ、
「もう準備を進めてますから。行きましょう」とフリックの前に立ち、一階に下りていった。
一階の酒場では、今晩砦に泊まり込んでいる傭兵総勢二十名がそろってフリックを出迎えた。
「なんだかすごいな。これだけの人数が集まっていると」
集まっている原因が自分にあるとは少しも思っていないフリックは、素直に驚きの表情を顔に浮かべている。
それを見て、酒場の女主人のレオナは、
「…天然記念物並みのぼけっぷりだねぇ」
とこぼした。
「俺が今晩帰れなかったときには、レオナ、お前だけが頼りだ」と悲壮な顔をしたビクトールに言われていたが、レオナははっきり言ってそこまで面倒を見る気はさらさらなかった。
「だってフリックだっていい大人なんだし。仮に何かあったって男同士なんだから子供もできないって」
別に、ルディス達に南の群島諸国の珍しいお酒を差し入れられたからでは、決してない。
レオナは「後片付けはしっかりしといておくれよ」と言って、早々に自分の部屋へ戻っていった。


一方。アナベルに呼び出されてミューズへ行ったビクトールはどうしていたかというと。
「畜生…いつまで待たせる気なんだ、アナベルのやつ!」
…という具合で、あいかわらず忙しい市長に待たされっぱなしの状態だった。
どうやら最近動きが怪しいハイランドに対して都市同盟はどういう策を取るかということを都市同盟の代表者全員で話し合っているらしい。
確かに、ハイランドへの牽制をどうするか、考えることは重要だ。
だがしかし、今のビクトールにとっては、飢えた狼しかいないような砦にフリックを残してきたことのほうが非常に問題だと感じていた。
…すでにその心配の仕方が保護者の域に達していることに気付いていないビクトールであった。



「副長お〜飲んでますか〜?」
「ああ、飲んでるって。…お前ら、もう酔っ払ってるのか?早いなぁ」
グラスに零れるほどの酒を注がれつつ、フリックは苦笑した。
フリックはここに来るまで、自分がそんなに酒に強いほうだとは思っていなかった。
しかし、ここに来てから今回のように大勢で飲むときもあれば、小人数で飲むときもあり、様々な場面で酒を飲んできて、実は自分はとても強い部類に入ることがわかってきた。
要するに、今までは比較対照が悪かったのだろう。ビクトールを筆頭に、ハンフリー、バレリア、グレンシール、そしてリーダー…トラン解放軍の面々は酒にやけに強かったのだ。
今回も、実は隊員の誰よりも飲んでいるのだが---というのも、皆が皆、フリックに注いでくるのでそれをすべて受けているのだ---、おそらく誰よりも頭が冴えているように見受けられる。
(これは今回も俺が後片付けしなきゃならんのかな…)
と、冷静に考えている自分がいるのが分かる。
一方、隊員達は焦っていた。
総勢二十人がかりでフリックに飲ませまくっているのに、このかっこよくて綺麗で皆の憧れである副長は全く酔っ払わないのである。
それどころか、一緒に飲むうちに隊員達のほうが撃沈していっているのだ。
フリックに自覚がないにしろ、返り討ちにされているようなものである。
このままでは当初の「副長の寝顔を見よう!」という目的達成は難しいように思えた。
その中で、まだ比較的余裕のあるルディスは「奥の手を使うしかないか・・・」と、こっそり懐に忍ばせてあった紙包みを取り出した。
できればこのようなものは使いたくないと思っていた。というよりも、自分の力でフリックを落してみたかった。
だがしかし、多分これを使わなければ無理だろうということはよく分かっていた。
(でも…ここまでするんだから、できれば自分一人で拝みたいよなぁ、副長の寝顔…)
『副長を敬愛する会』会長とも思えぬ、自分勝手な望みのために、ルディスは味方を犠牲にすることに決めた。
要するに、自分以外の人間がつぶれてから、フリックに一服もろう、と考えたのである…。



「申し訳ありませんが、どうやら会議は今晩中に終わる気配がありません。よろしかったら宿の手配をいたしますのでそちらでお休み下さい」
市役所の役人にそう言われて、ビクトールはとうとうキレた。
「わりぃが、俺も忙しくてね。今晩は帰らなきゃならねぇ。つーことで、また後日あらためて来るって市長さんに言っといてくれや」
そう言うや否や、ビクトールは荷物を担いで客間を飛び出した。
背後で「待って下さい!」とか聞こえてきたが、無視した。
「まったく、アナベルのやつ、駄目なら駄目で早く言ってくれよな!」
ぼやきながら市庁舎を出ると、外は雨。しかもけっこう酷く降っている。
「だーっ!畜生!意地でも帰ってやるぜ!」
厩舎からいやがる馬を引っ張りだし、勢いよくまたがる。そして、あぶみを蹴って叫んだ。
「待ってろよフリック!俺が帰るまで、無事でいろ!!」



「そろそろお開きにするか。みんなつぶれちまったしなぁ…」
そういうフリックも、少し眠そうである。口を押さえてあくびをしながら、唯一生き残っているルディスにそう言った。
「そうですね…さすがにそろそろきついですし…。ま、片づけは明日の朝やりましょうか」
「うーん…レオナに怒られそうだが…まあ、しょうがないよな…。じゃあ、休むか…」
ここだ、ここしかない!とルディスは決心し、こっそりと紙包みの中の粉薬をグラスに落す。そして残っていた赤ワインを空のグラスにまず注ぎ、そして薬を入れたグラスにも注いで、そちらをフリックに差し出した。
「副長、最後の一瓶ですから、これだけ飲んで寝ちまいましょう」
多少ぎこちない笑みを浮かべ、ルディスは言う。フリックは、顔や態度には出ていないが、それなりに実は酔っ払っていたので、ルディスの不自然な様子には全く気付かなかった。
「そうだな、じゃ、最後の一瓶に乾杯!」
キン、とグラスのあたる軽い音がして、その音の余韻が残るうちにふたりともくいっと飲み干した。
「あと一杯づつくらいはあるな…」
瓶を持ち上げて、フリックはそう言うと、問答無用でルディスのグラスに残り半分を注いだ。
「副長…俺、結構いっぱいいっぱいです…」
少しだけ弱音を吐くと、フリックは「ま、無理して飲むことはないか」と、自分のグラスに残りをすべて注いだ。そして平然とした顔でそれをあおる。
それを見ていたルディスは、
(この人には、真っ向勝負じゃ絶対勝てないな…)と、内心冷や汗をかいていた。
だがしかし、そろそろ先ほどの薬が効いてくるはずである。なに、ただの眠り薬だ。
これだけ飲んでいるフリックは、自分が眠くなっていってもそんなに不審には思わないだろう。
そう思ってドキドキしながらルディスはフリックを見つめていた。
そんなことには少しも気付いていないフリックは「瓶だけでもまとめておくか・・・」と、部屋の隅のほうに、空いている瓶を運びはじめた。
「あ、俺も手伝いますよ」
ルディスはそう言って、さりげなくフリックに近づいていった。
「ん・・・助かる・・・よ・・・?ふわぁ・・・」
大きくあくびをして、フリックは「あれ?」という顔をした。
「おかしいな。なんだかすごく…ねむい…」
しめた、と思いながら、ルディスはさりげなくフリックの背後に立ち、「あれだけ飲めばそりゃ眠くもなりますよ」と、肩を支えた。
「まあ、そうかも、な…」
そう言いながら、フリックは支えられているのをいいことに、ルディスによっかかってしまった。
(うわっ!そりゃやばいっすよー副長…)
半分目がとろんと閉じかけているフリックは、同じ男から見てなぜかものすごく色っぽく見える。
白い肌が、酒でほんのりあかくなっているのもあいまって…と、ルディスはごくりとつばを飲み込んだ。
「ふ、副長…こんなところで寝たら、かぜ、ひきますから…部屋に行きましょう。上まで送っていきますよ…」
「う、ん…」
フリックはかろうじてルディスの言葉に頷き---そして、完全に眠りに落ちてしまった。
すー、すー、と安らかな寝息を立てはじめたフリックの顔に、思わずルディスは見とれた。
「うっわ…想像以上に…かわいいっすよ、副長…。これは…やばいって」
もはや自分で何を口走っているかルディスもわかっていない。ルディスも相当飲んで酔っ払っているのだから当然とも言えるが。
「じゃあ、副長、とりあえず、部屋へ…」
よっ、と声を出して、ルディスはフリックを抱き上げた。
「軽いなー副長・・・ちゃんとメシ食ってるのかな・・・」
どうでもいいようなことを呟きながら、ルディスは慎重に二階へ階段を上っていった。
執務室の左、フリックの寝室の前に立ち、ごくりとつばを飲む。
「…副長。ここまできたらいいですよね・・・?」
フリックが起きていたら「なに言ってんだお前は!」と怒りつつ、雷の一つや二つ落しそうな台詞を言って、ルディスは部屋の扉をそっと開けた。
フリックの部屋には物が少ない。本棚と机、そしてベッドがあるだけだ。
そのベッドにそっとフリックをおろすと、「ううん・・・」と唸って、寝返りをうった。
その夢にまで見た寝顔を前に、ルディスは感動していた。
ああ、この人の元で働けてよかった!神様ありがとう!
そんな事を考えつつ。思わずフリックの顔に手を伸ばしていた。
すっと前髪を掻き揚げると、思った以上にさらさらした感触が指先に感じられる。そのままそっと頬をなで、顎に手をやり---静かに顔を近づけていった。
(うわ、まつげも長いなあ・・・)
そんなことを思いつつ、「キスくらい、いいよな…」とぐいっと顔を近づけた、その時。
「…トー…」
フリックがささやき、微笑んだ。
(え?)
思わずルディスの動きが止まる。
(今…確かに、ビクトールって、言ったよな・・・)
しかも、こんな幸せそうな笑顔で・・・。
(まさかまさかまさか、副長は隊長のこと…!)
「そこまでにしときな、ルディス」
チャキッという音と共に、首筋にひんやりしたものが当てられる。
振り返らなくてもわかる。剣を突付けられているのだ・・・ビクトールに。
「た、隊長…」
恐る恐る振り向くと、ビクトールが無表情で立っていた。
防水コートは下で脱ぎ捨ててきたのだろう。しかし、黒髪からぽたぽたと雫が落ちている。
「お前は絶対にヤバいって感じてたんだよ…案の定、フリックに手ぇだそうとしたな…」
目に少しも笑いがない。本気で怒っているのである。
そのビクトールを見て、ルディスは唐突に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
剣を突付けられているのも忘れて、がばりと土下座する。
「すみませんでした隊長!お二人がそーゆー仲だと気付かなかったばっかりに、隊長には不快な思いをさせてしまいました!」
急に謝り出したルディスに、うっかり傷付けそうになったビクトールのほうが慌てて剣を引いた。
「……………ちょっと待て。そーゆー仲って??」
「今更しらばっくれないで下さい!デキてるんでしょう!お二人は!」
あまりの言葉に、ビクトールは唖然としてしまって言葉が出てこない。その沈黙を肯定と取ったのか、ルディスは一人でかってに頷いている。
「あんなに幸せそうな顔で副長に寝言で名前を呼ばれるなんて…うらやましいです!でも、お二人が相思相愛ならば!我々『副長を敬愛する会』は陰でひっそりとお二人の幸せを祈っています!お邪魔して申し訳ありませんでした!失礼します!」
言うだけ言って、ルディスは部屋を飛び出していってしまった。しばらくして「うをぉぉぉ!?」という声と共に、階段から転げ落ちる音が聞こえてきた。
「……なんかあいつ、すげぇこと言ってなかったか?…相思相愛??」
ルディスの勢いに押されて怒りがそらされてしまったビクトールは、わけがわからず呟いた。
「……なんなんだよ、なぁ、フリック?」
そう言って、ビクトールはフリックの枕元に腰掛けた。
付けたままのバンダナをそっとはずしてやりながら、苦笑する。
「まあ、何にもなかったみたいだからいいけどな…だから気を付けろって言っただろ…?」
この砦の連中は、まだ直接睨みが利くからたちのいいほうだ。お互いの目もあるし、そう簡単には手を出してこれない。
「だけどなあ、世の中にはもっといろいろタチの悪いやつがいるんだから、もっと自覚もてよ…?」
それこそ、ドラゴンに編み物を教えるようなものだとわかっていたが、ついつい口にしてしまう。
その時、フリックが身じろぎして手を伸ばした。何かを探すように、手を動かす。枕元に体を支えるためにおいていたビクトールの手にたどり着くと、きゅっと握ってきた。
「フリック…?」
そっとビクトールが声をかけると、フリックはにっこり笑って呟いた。
「ビ…クトール…」
「……おいおいおいおい…頼むぜ、相棒。そんな可愛い顔して俺の名前呼ぶなよなぁ…襲っちまうぞ?」
ビクトールのぼやきに返ってくるのは、フリックの健やかな寝息だけだった。
「しょうがねぇよなぁ…俺がベタ惚れなんだよな、結局」
隊員達のフリックを見る目が嫌で嫌でしょうがなく、酷く気分が悪くなっていたが、今のフリックの笑顔と寝言でそれが吹き飛ばされたようだ。
無茶して帰ってきて疲れているはずのビクトールだったが、心はとても軽かった。
「俺も寝るかなぁ…」
そう言って、フリックのベッドの隙間に潜り込む。普段だったら怒るだろうが、フリックのほうが手を握り締めて離さなかったといえば、怒るに怒れないだろう。
朝起きたときに慌てるフリックの様を思い浮かべ、ビクトールは眠りに落ちていった。



そして朝。

「なんでお前がここにいるんだ馬鹿熊ーーーー!!!!」
朝起きてみれば、ビクトールのほうがフリックを抱き込む形で眠っていたため、ビクトールがかってに忍び込んだと思ったフリックは、朝一番の天雷球を落した。
ビクトールは言い分けもできずに、焼けこげることとなった。

レオナは、朝起きて食堂をのぞき、頭を抱えた。まだ隊員達は屍となっているし、片づけも終わっていない。かろうじて瓶が一まとめにしてあるくらいだ。
「ほら、とっととおきなよ、あんたたち!きびきび片づけてもらわなきゃ困るんだからさ!」
二日酔いで激しい頭痛を抱えこむ隊員達は、レオナの声に再び撃沈された。

そしてもう一つ。
その日を境に、フリックにちょっかいを出してくる人間はいなくなった。
『副長を敬愛する会』の会員達は切なそうに溜め息をつく。
「もう隊長とデキてるんじゃあ、諦めるしかないよなぁ…」
だからといって、会を解散する気は更々なく、陰からこっそり副長の幸せを祈ることになったとかならないとか…。

傭兵隊の砦は、とりあえず今日も平和なようである。

fin...

■あとがき■

last update 2000/04/07-08